7、慣性なき悪魔。
国境を越えて半日、ススムは偶然村を見つけた。
ススムは少し離れた茂みから村の様子を窺う。
村の規模は多くても100人程度だ。
イヴァールの街と同じく木と石と泥壁を使った建築物。
少しばかり様式は違うが、雰囲気は大差なく、井戸のある広場を囲む一般的な集落だ。
ムラクモは悪魔の国と聞いていたススムだが、ここから見る限り変わった様子は見当たらない。
村人のステータスは多少高いが、環境の過酷さを考えれば当然だろう。
むしろムラクモ国の魔物レベルが高いと聞いていたのに、村の人間がこの程度で大丈夫なのだろうかとすら思う。
ススムは観察を切り上げ、意を決したように村に足を踏み入れた。
広場には青年が2人、若い娘が1人、井戸のある広場で、文字通りの井戸端会議をしていた。
ススムは直ぐに3人のステータスを見た。
全員の名前は“やっぱり”見えない。
イヴァールの街でもごく稀に名前まで見える人間がいたが、見えないのが普通だからそこは気にしない。
だがステータスは分かる、平均的な村人の数値だ。
その3人の視線は、不思議そうにススムへと向けられたが、直ぐに娘がぽんと手を打った。
「あ、ハンターさんね。王都からかしら?」
背負ったバスターソードを見てか、女の表情が笑顔に変わる。
男たちも、あぁ、と納得したように頷いている。
武器を見てそう思ったのなら、魔物退治だろうと予想もつく。
どこにでも似たような組織はあるものだと、ススムは話を合わせることにした。
「あ、いや、違う街からかな……。噂を聞いて来たはいいけど、詳しい事情は知らないんだ」
実際、冒険者としてハンターの仕事もしていたし嘘は言っていない。
「あなた、さては“あわてんぼ”さんね?」
娘は朗らかで、実に屈託ない笑みで笑う。
「じゃあ俺、村長の所にハンターさんが来たって伝えてくる」
「ああ、じゃあ俺は宿にする家の準備だな。タキ、少しハンターさんの相手しててくれ」
青年二人が少しだけ足早に、一人は少し離れた大きな家へ、もう一人は逆の方に向かっていく。
残されたタキという娘は、変わらずの笑みで丸太を手のひらで指し示した。
ベンチ代わりなのだろう。
ススムが腰を下ろすと、タキも横に座った。
「こんなに早く来ると思ってなかったから」
「あぁ、なんか、ごめん」
ススムは雰囲気的に謝っただけだったが、タキはぶんぶんと首を横に振った。
「そんなことないよ! 村のために、こんなに早く来てくれたんだから、むしろありがとうだよ!」
言葉や雰囲気からにじみ出る気立ての良さがある、純粋で可愛らしい娘だ。
そしてこの娘、タキからはどことなく懐かしさすら感じた。
「アタシの顔になにかついてる?」
「あぁ、いや」
と、首を傾げるタキに、ススムは微笑んで首を横に振った。
(あぁ、髪や肌の色だ。アジア人というか、日本人に雰囲気が似てるのか)
と、疑問はススムの中では直ぐに自解していた。
「それよりさ、どんな魔物を退治するんだい? 俺の名前はススム」
「ススムさんね、アタシはタキ。そっか、知らずに来たんだったね」
タキが言うには、イヴァールの国境辺りから定期的に強い魔物が流れてくるのだそうなのだが……、ススムがイヴァールで聞いていた話と随分違う。
ムラクモから来る魔物がイヴァールの民を苦しめているという話だったのに、まるで逆だ。
この村からはやっぱり悪魔めいた《具体的にはどんなものかは知らないが》雰囲気を感じない。
(これが悪魔の巧妙な手口なんだろうか……)
ススムはタキとしばらく談笑の後、呼びに戻って来た青年と共に村長の家に行き、手厚いもてなしを受けた。
豪華とは言えないが、それでも一つ一つに愛情を感じるような、純朴な料理はやたら美味い。
ススムは団欒を味わいながら、いつぶりだろう、と忘れていた感覚を思い出す。
恐らくは、転移してきて初めて味わうような感覚だ。
宴の後は、用意された宿代わりの家へと案内された。
広めの集会場のような建物で、寝床の代わりに毛皮がひいてある。
他のハンターも、寝泊まりする予定なのだろう、予備の毛皮が脇に畳んであった。
真夜中、ススムは村を抜け出した。
タキや、村人から聞いた話が本当なのか確かめるためだ。
夜闇の森はとても穏やかだ。
魔物は本当にイヴァールの国境の方角からやって来るのか。
まずは森の中で魔物を探す。
スキル“隠形”を使い、気配を消して森を歩く。
そしてススムは魔物を見つけた……のだが、なんというか、想像と随分違う。
キツネのような姿だが背中に小さな羽があり、恐ろしいというより、むしろかわいい。
名前は、文字化けのようでわからないが、ステータスは読めた。
レベルは4で、ステータスのパラメーターは20前後。
村人たちより、少し弱い程度の魔物だ。
ススムが隠形を解くと、キツネの魔物は警戒の色を見せ、襲ってくる様子もなく逃げてしまった。
ほかにも何匹か見つけはしたが、どれも脅威とは思えない小物ばかりだ。
ススムは、スキル“俊足”を使い、普通に走って2日ほどかかる距離を2時間ほどで踏破。
村で聞いた魔物が現れる方角にある、国境にほど近いの湖に辿り着いた。
妙に闇が濃いような湖畔で、ススムは大型の魔物を見つけた。
そして直ぐにステータスを確認する。
(名前は、サーベラス……。レベル75だと……?)
現在のススムのレベルよりも高い、頭が3つある巨大な狼だ。
パラメーターも軒並み5000前後であり欠点らしい欠点は見当たらない。
ススムでも苦戦必至の厄介な相手が、2匹もいた。
2匹ともが石像のように動く気配はないが、なぜこんな化け物がここにいるのかススムは首を傾げる。
確かに、こんな化け物が村まで行けば、村人ではひとたまりもないのは明らかだ。
(しかし本当にこの化け物が、村を襲うのか?)
いやそれ以前に、このまま放置していいものなのかススムの中で葛藤はあった。
だが真贋のほどを確かめる必要はあると、ススムは自分を納得させる。
そして念のため、スキル“探知”でサーベラスをマーキングした後、一度村へと戻った――。
朝を迎え、村が動き始める。
各家々で、朝食の匂いが立った。
そしてススムも朝食に誘われ村長の家に向かった。
「アンタがススムか!」
村長の家の前で、テンガロンハットの、長身の女がススムの征く手を阻んだ。
ススムも小さい訳ではないのに、頭一つ分は大きい女だ。
そして、おもむろに片手を出し出して、ニっと笑った。
「あなたは?」
ススムは、差し出された手を見下ろし、同時に女のステータスを見た。
(レベル50……。今まであった人の中で一番高いな)
各パラメーターも魔力と知性以外は、2000を超えている。
「俺はヨーコ、魔物ハンターさ。よろしくな、ススム」
村長からススムの話を聞いたのだろう。
ヨーコは、ススムの手を半ば無理やりに掴むと、ぶんぶん揺らして手を離す。
力強い握手だ。
村長の家の扉が開き、今度は小柄な眼鏡の男が現れた。
(こっちはレベル55か……)
ススムと魔物を除けば、レベル記録が更新された瞬間だ。
ステータスも、こっちは知性と魔力が3000超えで、他が3桁止まりと典型的な魔法使いだ。
「あれはサーロ兄。無口でな」
そうヨーコが紹介に指し示すと、ススムに向かいサーロは静かに頭を下げた。
ススムは、朝食を見て、また懐かしさに目を見開いていた。
(米と味噌汁……、しかも箸だ)
あとは漬物と煮物、卵焼きのようなものまである。
食べてみても、記憶の中の味とそん色はない。
むしろ超えているかもしれない。
ススムが少なからず感動していると、ヨーコが笑いながら言った。
「ここの飯、べらぼうに美味いだろ?」
「ああ、正直驚いたよ」
「たくさん食っとけよ。村の近くで戦うつもりはねぇから明日、他のハンターの到着を待ってから打って出る。しばらく米の飯は食えねぇからな」
言われるまでもない。
ススムは、掻きこむような勢いで、懐かしくて美味い飯を喰らった。
今日は、ゆっくり準備に充てるはずだった。
だが、予定は一気に崩れ去る。
探知にマーキングまでしていたススムは、その存在にいち早く気が付いた。
とんでもなく速い、“俊足”を使ったススム並みの移動速度で迫って来る魔物の反応だ。
ススムを含め、村の人間やヨーコやサーロまで2、3日は余裕があると思っていた。
だが、そんな予測を簡単に裏切りながら、あの化け物【サーベラス】は村へと迫りつつあった。




