5、隠者の如き英雄ども。
キューコは、とりわけ善人というわけではない。
年頃の女の子らしく、たまには悪態もつくし、ちょっとだけズルすることもあった。
秀でたところがあるかと言えば特筆するほどのことはない。
美貌に関しても、多くの人が彼女を美しいと認めるだろうが、王族の姫という肩書による影響も大きい。
好みだけで言えば、姉姫たちのほうが美しいとおもう者も多いだろう。
彼女が持って生まれた“英雄の相”にしても、そこまで珍しいわけでもなく、百人に一人くらいの割合で存在するし、努力の末に英雄の相を得る者もいる。
とはいえ英雄の境地に達することなく一生を終える者もいるから、悪魔の力を借りたとはいえ、英雄に至ったキューコは一歩抜きに出たと言ってもいい。
さて愛国心にしても、環境によるところが大きく、王族に生まれ、愛され、慈しまれて育ったからこそ、この国が守りたいと思えた。
貧困層居住区に住む少女に、悪魔と契約してこの国を守りたいか? と問えば、何か理由がなければ間違いなく首を横に振るだろう。
キューコの“生まれ”がそうさせたのだ。
王族という恵まれた環境にあり、かつ王族だったから知り得たであろう状況。
そしてあの日、王族として訪れた神殿で、他の兄姉よりほんの僅かに速かった判断と決断。
いろいろな状況が絶妙に混ざった結果キューコだったのだ。
――悪魔に憑かれたキューコに対し、多くの者の態度が変わった。
身近にいた者の心が離れ、あるいはその者自身が離れて行った。
そして、民の偶像崇拝的存在から、『可哀そうね』『気味が悪いわ』といった哀れみや侮蔑の対象となった。
王都防衛戦から三ヶ月が経ち、疎開した民の半分ほどが王都へと戻ってきたが、残り半分は疎開地から帰って来なかった。
そんな戦後処理が一段落ついた頃、キューコの乳母でもあり教育係でもあった側付きメイドが辞職を申し出た。
地方領主である父親を手伝うのだそうだが、それはあくまで表向きな話だ。
地方の街にかかった負担は大きく、不思議な事では無かったが、実際の所はキューコが怖くなったのだ。
メイドは思った。
強い叱責を受けるかもしれないし、下手をしたら命すら危うい。
だが同時に、もしかしたら昔の可愛い姫だったころのように、泣きながら頬を膨らませて、行かないで、と懇願してくるかもしれない、と。
もしキューコがそうしたなら、メイドの決心は揺らぎキューコの元に残ったかもしれない。
だが、キューコは素気ないほどに、別れを拒むことはなかった。
あぁ、やはり姫様はお変わりになってしまったのね。
おかげでメイドは納得してキューコの側を去ることが出来た。
キューコは勿論悲しかった。
しかしそんな感情は表には出さないようにして、メイドの辞職願を受理したのだ。
乳母役のメイドだけではない。
側付きだった六名の内、五名が故郷に帰っていった。
理由はそれぞれあったが、それは大した問題ではなく、キューコは全員の願いを受理。
キューコ付きの近衛兵たちも転属を願い出た。
王国に仕える騎士に、そんな勝手な事が許される訳がない。
にも拘わらず、キューコは咎めることもなく許可した。
暴食の呪いで起きている時間の大半を費やし、キューコはその後眠る。
そしてキューコが眠りにつくと、一人残った側付きメイド【カロワン】は、ワゴンに食べ終わった大量の皿を乗せ洗い場に向かう。
兎人族の彼女のプラチナホワイトの髪には、ヘッドドレスの代わりに、持ち前の兎耳が主張していた。
廊下の角で曲がる手前で、カロワンの片耳がくいっと折れ曲がった。
「姫様の様子は?」
カロワンが角を曲がると、声の主である銀の鎧の中年男が、壁に背中を預けて顎髭を弄っている。
「姫様は、また達観されたような気がするわ」
そう言ってカロワンはワゴンを止め、一度辺りを見渡した。
男以外の気配はない。
ちなみにカロワンが見渡したのは、ただの“職業病”だが、そもそもがここを通る者は少ない。
いても姫の部屋に用事がある者くらいだ。
「やれやれ。目を覚ますたび、我が君は精神だけ歳を一つ重ねられたような、そんな錯覚を覚えるよ」
「眠りの中で、姫は十倍の時を過ごしてるんだとか。それよりベルク卿、もう少し部屋の近くで守ったら?」
カロワンはベルクに並ぶように壁に背を預け腕を組む。
そして彼女の頭上の耳が、手の代わりに、キューコの部屋を指示している。
「鎧が擦れる音で起こしたくはないからな」
「姫様は、揺すっても起きないわよ」
「だとしても、これくらいの距離が丁度いいのさ」
「ベルク卿は、本当にキューコ姫が好きなのね」
「今のお姿になられてからも、ぽよんとした頬の上で細まった目は何とも言えない可愛らしさがある」
ベルク・フォルク近衛兵長の表情が緩んだ。
ベルクはキューコが幼いころから、ずっと側に仕えて来た。
そして去らなかった数少ない者の一人だ。
そんなベルクを横目に、カロワンは肩をすくめた。
「姫が小さな頃から、貴方、そんな表情で姫様を見てたものね」
「ああ、否定はしない」
「ヘンタイ」
「何とでも言え、思うのは自由だ」
「あっそ」
区切るように呟いた後、カロワンは静まり返った廊下の先を見た。
夜の帳は降りているのに、ろうそくは消えていて、闇が妙に主張している。
「で、ベルク。今日は何人だった?」
「六人だ」
「信奉者と言うのは厄介なものね。守備は増やさないの?」
「増やせば、人の出入りが増えるだろう。それでは姫が余計な心配をしてしまう」
カロワンは少し考える。
「そうね、大好きだった人達まで遠ざけるような優しい姫だものね。あなたも大概だけど」
それから壁から背を離し、再びワゴンに手を掛けて進みだした。
その背中に、ベルクは声を投げた。
「世話をかける」
するとカロワンは、肩越しに振り返り人差し指を唇に当てた。
「ベルク卿、廊下ではお静かに」
闇がやたら濃い廊下をカロワンはワゴンを押して進む。
ひとつ、ふたつ、と、声に出さずに唇を揺らしながら、視線が闇の中で動く。
そして三つ、四つ、五つと数えたところで、次の六つ目を探して、視線が彷徨う。
見当たらない様子で、今度は天井を見上げたところで止まった。
「あぁ、六つ、……掃除が大変ね」
溜息と共に、カロワンがワゴンを押して進み始めると、
『ドサリッ』
と、天井に張り付いていた何かが落ちて来た。
「信奉者って奴は……まったく」
小さな呆れ声を残して、カロワンは食堂に戻る予定を変更する。
程なく、カロワンは掃除道具を持って闇の中へと戻って来た。
そしてろうそくに火を灯す。
揺らめくろうそくの淡い光に、暗殺者たちの無残な躯が浮かび上がった――。
――キューコの他にも、ムラクモ王国には、何人か、英雄の域に達した者たちがいた。
一人は、兎人族の戦士、カロワン・ヤー。
一人は、キューコ付き近衛兵長、ベルク・フォルク子爵。
小国でありながら、英雄が育つ土壌。
何が起因したかはわからない。
さておき、この二人によってキューコの安眠は守られている。
だがまあ、これは知る人ぞ知る秘密でね。
一人の英雄のために、二人の英雄が尽くす。
救国は一人によって成すにあらず、って言ういい見本だね。
では、今回はここまで。