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40、果ての残響 第一章終幕

 イッロの手を包むウェヌースの手は柔らかく、暖かかった。

「実際に会って確信したの。あのヒトの残り香、あのヒトの面影があることを。あのヒトの残した貴方たちを悪いようにはしないわ、だから私の下へ来て。おねがい」 

 大国の女神が、王子とはいえ、ただの人に哀願している。

 かけちがえたボタンのような違和感はあったが、肉体を持ったからこその本心かもしれない。

 

「下った場合、この国の人々はどうなるのだろうか」

 そうイッロの視線は、まず添えられた手に戻り、それから優しく微笑む女神の表情を行き来する。

「国民も生かしましょう。悪魔の国が、この世界から消えさえすればいいの。信仰だって、縁故の神のままでいいの」 

 イッロにとって、ここまで提案はこの上ないものだった。

 それはタッロが望んだ形でもある。

 条件を飲めば、この戦争が終わる。

 

 死んでいった者たち、お互い様ではあるが多くの犠牲を払ってきた。

 だが戦争なのだから、どうしたって死者は出る。

 ここが幕の引きどころか、と。

 

(――抵抗しても敗戦が見えている。さらなる犠牲を払うより万倍いいのではないか)

 イッロは王子としても兄として、そう考えるに至る。

 

 

「だけど、あの子はだめ」

 ウェヌースの顔に再び嫌悪が現れた。

 視線の先が誰なのか、イッロには振り向かずともわかった。

 それが最愛の妹姫に向けられていることは、とんでもなく苦しい。

 だが、問わねばならなかった。

「何故、キューコが、駄目なのだろうか……」

 必要な問ではあるが、イッロは戸惑っていた。

 今までなら何に置いてもキューコが優先だった。

 なのに、駄目な理由を聞けば、その後には決断が求められるのだ。

 

「あの子が悪魔の作品だからよ。ヒトを変えたがっていた、あの悪魔らしいやり口。あの子はもう手遅れなのよ」 

 嫌悪の色に、悲色が混じった。

 

 悪魔の作品。

 イッロの中で合点がいった。 妙に納得してしまった。

 そして後ろめたさで、イッロは振り返ることが出来なくなった。

(キューコ一人の犠牲で……すべてが終わる。悪魔の呪縛も……) 

 そう答えに行き着く。

 

 そして決断を口にしようとした瞬間。

 イッロは背後で、異様な気配を感じ取る……。

 突き刺さるような、一つの視線だ。

 

 ぽたり、右目を押さえるニコの指先から赤が滴る。

「……ッ、ぐぅ――」

 ニコの喉の奥で、獣のような唸りがくぐもった。

 痛みでも怒りでもない。

 ニコは、立ち上がるためだけに、その唸りを吐き出したのだ。

 

 

 押さえていた右目から手を離し、肘を抱くように胸の下で手を組んだ。

 凛とした立ち姿は、痛々しくえぐれた右目なんて、どうということはないと体現する。

 

 そしてニコは深く息を吸い込む。

「まさか、その程度で染まるような人じゃありませんよね? お兄様」

 そう、イッロに対し、皮肉たっぷりないつものニコらしさを叩きつけた。

 

 イッロは、ハッと我に返った。

 厳密には、自分らしくなかったと思い直したのだ。

 そして一瞬でもキューコを見捨てようとした自分を恥じるが、そこは表情に隠した。

 

 イッロは、半ば無理やりウェヌースの手を解く。

「当然じゃないか。私がキューコを、最愛の妹を見捨てるとでも? 見くびってもらっては困るな」  

 そう、イッロはウェヌースに背を向けた。

 無防備にも程があるが、それでも悠々とニコの傍らに向かう。

 

 イッロの欠損した指は痛々しくも、ニコの手前、特にそれで顔を歪めるようなことはない。

 長兄と長女の度を越した強がりだ。

 揃って立ってウェヌースに笑みを向ける。

 

 触発されたのかヨーコが立ち、サーロが起き上がる。

 

 ナーコが立ち上がり、最愛の夫の頬を撫でる。

「大丈夫ですよ、旦那様は少し休んでいてください」

 重傷を負ったサーエルは壁に背を預けるように座った姿勢で僅かに微笑み、そして頷いた。

 

 ハチロが腕力を駆使して、跳ねるように、勢いよく立ち上がった。

 

 スケルブとカークスも、ただ事ではない深手を圧して体を持ち上げる。

 生き残った油売りたちも、立ち上がろうと必死にあがいている。

 

 無理をする部下たちに、ニコは、出かかった静止の言葉を飲み込む。

 それでも彼らは立ち上がることを知っているからだ。

 

 

 たった一撃で壊滅しかけたというのに、それでもムラクモの英雄たちは立ち上がった

 

 そして、ベルクまでもが折れた剣を杖代わりに立ち上がろうとしている。

「ベルク、駄目よ!」

 キューコが引き留めようと、手を伸ばす。

 だがその手を、ベルクはやんわり退けて立ち上がった。

 そして柔らかにキューコへと笑った。

 

 死んでいてもおかしくないカロワンまでもが、ギリギリと歯噛みした。

 さっきまで意識すらなかったのに、夥しい血を流しながら両手を地面について立ち上がろうとしている。

 

「姫様。ソイツは流石に無理でしょう。だから、せめて姫が抑えていてください」

 と、カロワンを一瞥のあと、ベルクは剣をだらりと垂らしたまま歩き出す。

 

 言われるままに、キューコはカロワンを背中から抑え込んだ。

「駄目、動かないで……」

 そして血まみれになりながらキューコは、必死にカロワンを、傷口を押さえるように抱きしめた。

  

  

 ウェヌースは兄弟縁者たちの、一部始終を眺めていた。 

 その表情に、慈愛も嫌悪もなく、ただ冷淡だった。

 

 

「いいのね?」

 そう、ウェヌースは短く端的に問う。

 問うたところで答えが変わらないことも知った上だろう――。

 

 

 

『キューコ。君は、立たないの?』

 それは悪魔の囁きだった。

 

「ルイ……、でも力が……」

『君が立てば、キミの兄姉達も死なない。 キミが抱く大事なその子も、キミを慕う騎士も。さぁ、振り絞って立って』

 

 聞こえた声に、兄たちの視線がキューコに集まる。

 兄も姉も、悪魔が囁いたのだと一瞬で悟った。

 だからといってキューコと悪魔に声を投げはしない。

 

 決意は全員決まっている。

 ただ全力で抗うだけだ。

 末っ子がどんな決断をしたとしても、全力でキューコを信じるのだと。

 キューコがベッドで言った“勝てる”という言葉は未だに生きている。

 

 

 キューコは、カロワンを一度強く抱きしめ、そのまま寝かせる。

 カロワンも抵抗はしない。

 力を使い切ったはずのキューコから、不思議な“確かさ”を感じたからだ。

 キューコに誘導されるまま、生き絶え絶えのカロワンは自らの手で傷口を押え、信じていると意を込めて頷いた。

 

 

 

 とうとう刀を携えキューコが立った。

 歩き出すと、ベルクが脇の避けながら剣を胸に騎士の礼で送る。

 

 ヨーコの横を通り過ぎる瞬間、キューコが頷くとヨーコも応えた。

 ナーコは先に頷き、サーロが微笑む。

 ハチロが親指を立てると、キューコは少しだけ驚いたように目を見開いてから頷いた。

 

 力など残っていないはずのキューコが、堂々と歩く。

 悪魔の囁きの影響などではなく、おそらくは気力のなせる技だったろう。

 

 そしてニコとイッロの間を、信じてくれる長兄長女の期待を受け取りキューコが通り抜ける。

 

  挿絵(By みてみん)


 キューコとウェヌースが対峙した。

 悪魔憑きの姫の、必殺の距離だ。

 ウェヌースがキューコに手を出せば、次の瞬間勝ちが確定する。

 

 

 悪魔は、嘘を言っていない。

 問われていないだけだ。

 犠牲が出ないとは、一言も言っていない。 

 だがたった一人、タッロ王が生贄になることで済む。

 非情な悪魔の計略だ。

 

 

 ムラクモの城の一番高い場所の上、顛末を見守るように、カラスが留まっている。

 ウェヌースの視線が僅かに上がった。

 

 

「本当に残念だわ。いいえ、憎むべきはあの悪魔ね」

 そう言って、視線をイッロたちへと戻し、麗しい女神が落胆の息を吐いた。 

 

 

 キューコがコイクチを切る。

 刀身が、スーっと、顕になっていく。

 青錬刀(セイレーンブレイド)と呼ばれる刀は妖艶に輝いた。

 

 ウェヌースが手を持ち上げ、指を差し向ける。

(あの一撃が来る)

 と、おそらくは誰の目にもとまることのない一撃を、誰もが予想した。

 

 

 決着のときは一瞬だった。

 そして無情だった。

 

 シャンッ、と青白い線を引きながら、刃の風切り音が鳴った。

 そしてキューコの首が飛んだ。

 

 

 ウェヌースの手には、青錬刀(セイレーンブレイド)が握られている。

 そしてキューコの体が重力に惹かれて倒れ、首が地に転がった。

 

 ウェヌース以外の者が絶句した。

 何かの間違いだ、幻だと、まだ先があると、信じているものもいる。

 

 

 だが、その後も何も起こらなかった。

 キューコの手に青錬刀(セイレーンブレイド)が無くてはならなかったのだ。

 

 呆気なく希望が絶たれ、イッロの心がポキリと折れ、膝をつく。

 それを皮切りに、弟妹たちが絶望する。

 

 

 風が大きく桜の枝を揺らし、たくさんの花びらが散った。

 

「さようなら、志津火(しずか)の忘れ形見たち――」

 そうウェヌースが吐き終える瞬間だった。

「イッロ様!!」

 女の声が強く、長兄王子の名を呼んだ。

 

 ウェヌースの視線が声の方を見る。

 同時に、蒼白のイッロの視線も向けられる。

 そして名を零した。

「エ……ルテナ?」

 息を荒くしながら、彼女は城門の一つに立っていた。

 

 空には、 色鮮やかな、幾重にも円が重なるような降臨光雪(アドベントスノー)が現れた。

 それは神々の降臨を意味している。

 

 

「今更、何を――」

 呆れたようなウェヌースの言葉は紡ぎ切る前に、ドゴンッ、と重い音と衝撃にまたも遮られ、同時に掻き消された。

 瞬間移動の隣くらいの勢いでウェヌースが城壁に叩きつけられる。

 ドバンッ、と聞いたことのない破裂音とともに石造りが容易く砕け散る。

 コンマ遅れて衝撃が辺りを揺らす。

 

 一言で言えば、無敵の女神が、ぶっ飛ばされたのだ。

 

 イッロは、二人の名を呟く。

「義学(ぎがく)殿、義賢(ぎけん)殿?」

 

 異界の武人が、男鬼の義学(ぎがく)が人知を超えたサイズの斧を、振り切った姿勢から肩へと担ぐ。

 傍らには、女鬼義賢(ぎけん)の姿。

 

「どうだ?」

 女鬼、義賢(ぎけん)が問うと、

「仕損じた。あれでも駄目かよ」 

 と、義学(ぎがく)は渋い顔で首を横に振った。

 

 

 瓦礫がガラガラと崩れ、ウェヌースが起き上がる。

 その姿は、今までのものではない。

 美神だった面影は確かにある。

 だが、概ね見たこともない、角のある形容し難い異形の神へと変貌していた。

 

 

 刹那、ウェヌースを中心にとんでもないエネルギーの放出が起こった。

 それは辺りを真っ白に染め上げ、すべてを消し去っていく――。

 

 

 

 

 ――とまぁ、これが悪魔の、ボクの語れるすべてさ。

 まもなくボクも依代(大桜)も完全な灰になる。

 

 

 この声が、どれほどの英雄に届いたかわからない。

 だけど、最後に、ボクの願いをここに託す。

 

 どうか、キューコを助けてほしい。

 

 誰が彼女を助くのか――……。

 

 

 

 

 

 

 第一章 終

 

 

 

 

 挿絵(By みてみん)

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