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38、神意

 壁を構築していた騎士たちは蹴散らされ、ことごとくが重傷を負っている。

 そしてベルク子爵とメイド戦士カロワンが倒れ、キューコに迫る危機。

 中央塔の最上階の部屋から、タッロ王は中庭の惨事を見下ろしていた。

 

「なんてことだ……」

 苦々しくタッロが漏らす。

 何もできず、こんなところに閉じこもっているだけの自分がただただ情けない。

 そして子供たちが気がかりで仕方ないのに、動けないことが死ぬほど苦しいのだ。

 

「あのクソアマ、受肉しやがった」 

 タッロの傍らで、悪魔は罵詈を吐く。

「受肉とは、……肉体を得たと言うことか」

「あぁ。勇者と、連れていた農民と、いくつかの都市の住民なんかも生贄にしただろうさ」 

 

 悪魔の視線が、眼下の光景に吸い付けられる。

 収束した光が降り立った場所に、濃密すぎる神の気配が具現化する。

 

 金髪碧眼の美しすぎる女。

 “神”という、“見える者”にしか見えないような朧げな存在ではなく、はっきりと存在している。

 イヴァール帝国の主神ウェヌースだ。

 

「全くの予想外だよ。受肉なんて微塵も考えてなかった。だってそうだろう? 受肉するってことは肉体に精神を預けるってことだ。これで自らの手で殺戮を繰り広げることができるけど、言い換えればウェヌース自身も殺されるかもしれないってことなんだ。……自ら弱点を晒すなんて誰が考えるかよ」

 興奮のせいか、ルイは妙に早口になっている。

 

 悪魔にとっても、予想外が過ぎた。

 

 自国民の命を対価に召喚した勇者を生贄にして、ウェヌースは自らの身体を構築。

 イヴァールの消えた街の住人を鑑みれば、さらに追加で自国の民を惜しげもなく生贄にしているのは明白だ。

 

 下手をすれば【黒錆の竜バリュオン】級の使徒や、魔物すら取り込んだ気配がある。

 本来、民を守護する神の、度を越したあるまじき行為だ。

 

「悪魔ルイよ。ウェヌース神は、一体なにがしたいのだ」

「こっちが聞きたいね。ボクだって意味がわからない」 

 当初の予測では、なにかの布石にムラクモを生贄にするのだと思っていた。

 イヴァールを守護する上で、何か重要な局面を迎えているのだろうと考えていた。

 その線で悪魔ルイと長兄イッロの意見は一致していた。

 だが、それが揺らいだ。

 今の行動は、全く理由に合わないのだ。

 

 女神ウェヌースに一体何がそうさせたのか。

 仮に復讐が目的だとしても、すでにヤルマテアはウェヌース自らを滅亡に追いやった。

 

 そして記憶が奪われて数千年単位の時間が過ぎているのに、なぜ今なのか。

 

 そもそも復讐なら、ヤルマテアを滅ぼした超兵器を使えばいい。

 生贄が足らないなんてことはないだろう。

 何か、使えない理由があるのか。

 

 仮に、超兵器の使用になにか制限があるとしても、ミナヨシを精神操作できるなら、民を生贄に神の祝福で、ミナヨシを蘇生するほうが安全だ。

 そもそもキューコが燃料切れしているのだから、ムラクモ側に打つ手はない。

 残念ながら優秀なムラクモの兄妹達と英雄を集めても、ミナヨシには及ばないだろう。

 ミナヨシは、シンプルに規格外(チート)なのだ。

 

「子どもたちは、助かるだろうか」

 タッロは中庭を凝視したままで言った。

 対して悪魔は、タッロの表情を見つめた。

「全員はどうだろうね。キューコは助けるさ。兄姉達もできる限りはね。まあ国は滅びるかもしれないけど」

「それでも私は親なのだ……」

「へぇ、子どもと国、天秤にかけたわけだ。“悪魔の囁き”をしたつもりはないんだけど?」 

「私は王であるまえに、親なのだ……」

「それを聞いて安心したよ。タッロ王、君がここにいてくれればサイコロを降るチャンスならある。楽観はできないけど、あとは“勝ちの目”を引けばいい」

 

 ルイは思う。

 勝ちの目を引くのは簡単かもしれない。

 なぜならラスボスは今、キューコの目の前にいるからだ。

 むしろ好都合とさえ言える。

 

 肉体を有したウェヌースなら、キューコの一撃は必殺。

 当てさえすれば勝ちが確定する。

 

 あとは脂肪(エネルギー)の問題だが、それもすでに仕込みはある。

 と、ルイはタッロの横顔を見つめたまま、口の端を持ち上げた。

 

 そんな悪魔の笑みを見ないまま、タッロは告げる。

「悪魔ルイ。……感謝する」 

「感謝……?」

 ルイの表情に訝しげが差した。 

 ここで、タッロの視線がルイに向けられる。

 ルイは、すぐに表情を平静に戻し、軽く首を傾げた。

 

「子供たちを、出来うる限り助けてくれると言った。“悪魔は契約を(たが)えない”。なのだろう?」 

「うん。でも、“助かる”という保証はないよ」

「それでもだ。滅ぼされる道から随分と好転した。思い残すことがあるとすれば、あの子を、キューコをもう一度この手で抱きしめてやりたかったことだ。いや……キューコだけじゃない。思い残すことなんて数え上げればきりがないが、それでも……」

「あぁ、気がついていたのか」

「子供たちのためなら、何でもすると言ったのは私だからな。で、私は、いつ死ぬ?」 

「キューコが死ぬとき、キミが身代わりになる。そしてその瞬間、キューコは必殺の一撃(カウンター)を放つだろうさ。キューコにはそういう暗示をかけてある。そして……この戦争は勝利で終わる」

 神すら断つ“青錬”の一撃で、ウェヌースを肉体ごと葬り去るだろう。

 刃の届く距離に、攻め込んできたことが仇になる。

 これが、キューコに告げた保険の正体だ。

 

 

 タッロは胸のペンダントを強く握った。

 子どもの身代わりになれるなら本望だと自分に言い聞かせているのだろう、笑みを浮かべながら。

「子供たちには恨まれるだろうが、そこは悪魔らしく上手くやってくれ」

「そんな皮肉が、キミにも出来たとはね」 

 覚悟を決めた親の顔を尻目に、ルイはため息とともに肩をすくめ、眼下に視線を流した――。

 

  

 

 

 ――光は失せたが神々しさを残したウェヌースが、両手を握り、そして開く。

「なるほど。二割というところね」

 満足している様子ではない、どちらかといえば不満げに。

 まだ体が精神に馴染んでいないといった感じがうかがえる。

 

 

 半球の防御壁に囲まれたキューコとカロワン。

 その前でうずくまるベルク。

 さらにその前に、サーロとヨーコは間を割るような立ち位置を取ってウェヌースを睨んだ。

 その隙に、ハチロがベルクを引きずりながら半球の中に押し込んで、二人の横に並ぶ。

 

 ウェヌースが、ハチロに対しほんの僅かに目を細めた。

 

「ベルク! ベルク!」

 キューコが叫ぶように、名を呼んでいるが、半球は音の大半を吸収していて、わずかに漏れ聞こえる程度だった。

 

 少し遅れてイッロが到着、半球の一部を撫で、

「少しだけ待っててくれ」

 そう言ってから、弟妹の横に並んだ。

 そしてメイド姿のナーコが並び、その少し後ろに、その夫サーエル・ドッシュ料理長。

 最後に、ニコが黒装束たちを引き連れて現れ、兄弟たちの並びに加わった。

 

 今いる兄姉と、その家族たちがそろい踏み、女神と対峙する構図となった。

 

 みな臨戦態勢を取ってはいたが、女神と兄姉たちの間にはアクションはまだない。

 風も止み、息遣いすら潜めたように、両者の間には妙に静かな空間ができあがっていた。

 

 意外なことに、女神ウェヌースは慈しむまのような眼差しで、端から順にイッロたちを眺める。

 

 そして開口したのは女神だった。

「あぁ、皆から志津火(しずか)を感じるわ」

 そう、女神ウェヌースは信じられないほど優しく微笑んだ。

 

 そして指先を持ち上げる。

 ベルクたちを撃ち抜いた光弾を警戒して、一斉に皆が身構えるが、発射されることはなかった。

 むしろ雰囲気を悟って、女神は違うと小さく首を振ってから、差し向ける指をそろえ、手のひらでまずニコを差し示す。

「アナタからは、志津火の眼力を感じるわ」

 次に、イッロを指し示す。

「アナタからは、志津火の知性を」

「アナタは志津火の力強さを、そしてアナタからは志津火の練り上げるような精神力を」

 ヨーコを差して、サーロを差した。 

「そしてアナタからは、志津火の神通力と、一番色濃く志津火を感じた」

 そう最後にハチロを差した。

 全員に、まるで愛するように、慈愛の表情で笑む。

 戦争を仕掛けてきたなんて思えないほどに、優しげに。 

 

 イッロが一歩踏み出し、声を投げようとした瞬間だった。

「だけど、アレは違う。見かけばかりでなにもない。何も感じない、本当にひどい(まが)い物」

 ウェヌースの表情が一変、嫌悪に顔を歪めながらキューコを見て、すぐに顔を背ける。

 

 神の変化にイッロたちは一様に混乱し、焦燥にしながらキューコを見た。

 半球の中では、キューコは疲れ切った体で、懸命に二人の従者に対し止血を試みている。

 当然キューコは、それどころではなく、半球のせいで外の声もほとんど聞こえない状況だ。

 

 小虫でも追い払うような仕草で、ウェヌースが手のひらを振るう。

 

 解除の術式すら使わず、神の御業はいとも簡単に、無音で半球を消し去った。

 唐突過ぎて誰も動けない中、

「ベルク! カロワン!」

 必死に名を呼ぶ、キューコの声が辺りに開放される。

 

 皆が圧を感じた。

 出所は、女神ウェヌース。

 その表情は、やはり汚物でも見るように歪んでいた。 

挿絵(By みてみん)

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