36、思惑と視線
決戦の朝、ムラクモの街に日常の活気はない。
北側街道沿いの街路地から王城の門前まで、住民の退避誘導が行われたからだ。
先の大戦で離れた住民が多かった地区でもあり、完全にゴーストタウンの様相だ。
静かすぎる大通りを、ミナヨシを先頭に200人からなる集団が練り歩く。
ほとんどがミナヨシを慕う北方領地の農民のはずだが、纏う雰囲気は農民というより、生気の薄い亡者のようでもあった。
集団が、門前へとたどり着く――。
――城内は常軌を逸したほどの慌ただしさだった。
キューコの部屋に向かって、メイド達の押す台車の列が料理を運び込み、その横を伝令が行き交う。
ベッドに横たわるキューコの目が開いた。
その瞬間からキューコは猛烈な勢いで料理に食らい始める。
大皿の上の料理が一瞬で消えた。
次、その次、とどんどんキューコは料理を吸い込んでいく。
ズドン、とキューコの部屋が揺れる。
大外の城門が破られたのだ。
「非戦闘員はもういい、予定通り退避を始めさせろ」
そうベルク卿がキューコの部屋の前で伝令を捕まえて告げる。
そしてキューコはベッドから重すぎる体を持ち上げた。
同時にベッドの土台が、ギシリ、ギシリ、と悲鳴を上げる。
とんでもないサイズの魔鳥のレッグを片手に――。
――キューコが中庭を見下ろす内側の門の上に立った。
ちょうどその瞬間、ドシンと、城内に続く内門に激しい衝撃。
閂が今にも折れそうなほど撓んでいる。
キューコは贅肉で回らない首で僅かに振り返る。
「カロワン、あなたも下がってください」
キューコの優しい語り口調に、カロワンは反論もせず、恭しく頭を下げたあと静かに下がっていった。
本当に小さく唇をかみながら。
それを見送り、キューコは大きく息を吸い込む。
そして、暴虐姫の仮面をかぶるかのように眉間に皺を寄せ、中庭のミナヨシたちを見下ろす形で叫んだ。
「喧しいぞ! 愚か者どもめ!」
チキンレッグを軍配のように振ったキューコに向かい、ミナヨシと暴徒たちの視線が集まる。
「あれが諸悪の根源! 悪魔憑きの姫だ!」
ミナヨシも叫びに応じる形で、キューコを指し示した。
亡者のようだった農民たちに燃料がはいったのか、怒気の表情でキューコを見上げる。
キューコはもう一度息を吸い込み、そして見下ろす。
眼下に見える集団の先頭に立つ男は、ニコに聞いた勇者ミナヨシのイメージとはやはりどこか違う。
だが、ミナヨシであることは間違いない。
「勇者ミナヨシよ、領地を割とたくさんやるから、こっち側に来ないか?」
キューコはチキンレッグを齧りながら、暴虐姫のままの真顔で問う。
ミナヨシに施された精神操作がどれほどのものか、探りでもあり、半分は本気でもある。
農民たちの視線を受けながら、ミナヨシは強くキューコへと言い放つ。
「お断りだ! お前こそ改心しろキューコ。まだ間に合う、圧政を強いてぶくぶく肥え太ったお前は本来のお前じゃない! 本当は綺麗な娘だったはずだ! 悪魔の言いなりになるんじゃない!」
キューコの眉間に一層深い皺が刻まれる。
ミナヨシと会話が噛み合わない。
「何が圧政だ……」
そうキューコが零す。
ほぼ同じタイミングだった。
「何が、圧政よ」
城門に続く東側の回廊からニコがミナヨシを見下ろしながら重々しく呟いた。
あのとき、理解を示してくれたはずのミナヨシの言葉とは思えない。
腹を割って話し、お互いに好意的に歩み寄れたかに思えたあの夜が、まるでなかったことのように。
いや、ミナヨシの中ではなかったのだろう。
ニコは改めて確信する、そしてヴェールの下で悲しみを噛みしめる。
その背後に、静かに佇むスケルブの横に、カークスが隠密の歩法で現れた。
「姫様、クッフム領ですがね、領民にいたるまで、誰一人見当たりませんでしたぜ」
「そう……、良からぬことかしら」
「十中八九、生贄の儀式かと」
カークスは、ニコがあえて避けた表現を悪びれなく告げる。
するとニコは、さらに重々しく息をはいた。
「事と次第によっては、“アレ”を使うわ。だからお前たちもお下りなさい」
ヴェールの奥の視線は、以前ミナヨシを見下ろしたまま、二人の従者へと告げた。
「仮に、それが最悪の状況を招いたとしても、お供いたします」
スケルブは珍しく、少しばかり強い口調で言い放つ。
すると今度は、カークスがため息混じりに続く。
「なぁ、姫様」
「ん――」
と、ニコが肩越しに振り返ると、カークスが肩をすくめていた。
「姫様は俺達に言ったじゃねぇですか。『私の前で死のうと思うな』ってね。だから俺達は決めたんだ。前じゃなく姫様と一緒に、姫様の傍らで死のうってね。さらに言うとね、それで姫様が踏みとどまってくれたならなお良しってね」
優男の笑みの横で、無骨なスケルブも頷いている。
「そう。笑えないから善処するわ」
笑えないとのたまうニコは、ヴェールの奥で口角を持ち上げ視線を戻した――。
――内門の上では、キューコがチキンレッグを貪り、骨までしゃぶって捨てる。
そして刀の柄に手を置き、腹の肉が邪魔そうに前傾姿勢を取った。
「もう一度言う。勇者ミナヨシよ、こっちへ来ないか?」
「くどい! 今俺がお前の目を覚ましてやる!」
瞬間、とんでもない魔力がミナヨシの指先に収束し、指先の空間が湾曲する。
ミナヨシの指先に、ギンギンと魔力が猛り輝く。
「喰らえ! 超神魔弾!」
この世界の“系統”にはないだろう技の名前をミナヨシが叫んだ。
だが、一瞬、わずかなの一瞬だけ、ミナヨシは指先から光弾を放つのを躊躇った。
怒りか、悲しみか、あるいは色々をごちゃ混ぜにしたような感情は殺意にも似ている。
そんな視線が、城門に続く東側の回廊からミナヨシを射抜いていた。
ヴェールを脱ぎ捨て、さらには瞳に施された封印を解き放ち、ニコは魔眼の眼光をミナヨシに注いでいた。
その眼光は、圧倒的な強さを誇るミナヨシを、僅かに怯ませ、さらには、脅威はここだと、その光弾をこちらに向けろと挑発する。
ミナヨシとニコの視線が、一瞬だけ交差した。
ニコの下瞼の膨らみから、一条、雫が滑り落ちる。
ミナヨシは、ほんの僅かに驚くような……、そして笑った。
ミナヨシの笑みの、意味するところはわからない。
もしかしたらニコが本来のミナヨシの心を引き戻したのかもしれない。
だが、それを確かめる術も余裕もない。
ミナヨシが外した視線は刹那だが、キューコに取って十分な隙だった。
一瞬遅れて放たれた光弾は、尾を十分に伸ばすことなく、ミナヨシの眼前。ズバンッと中心から真っ二つに裂けた。
ミナヨシの躊躇い、ニコの素顔に視線を奪われていなければ、あるいは違った結果だったかもしれない。
「青錬刀、花一文字、火花斬り!」
光弾を割った青光る刀身は、一気にミナヨシをも断っていた。
ミナヨシが左右真っ二つに割れ、倒れるまでのインターバルは5秒ほど。
ミナヨシが立っていた場所のさらに先で、青光りに照らされながら、刀を振り切った姿勢で残心する妖艶な美少女キューコがいた。
「悪いな。お前は強いから、手を抜くことが出来なかったんだ」
高圧的な言葉も、どこか言い訳がましい。
そう言ってキューコは刀を一度振り、刀身を鞘に納める。
見計らったように兵たちが城内から飛び出してくる。
「姫様、暴徒はいかがいたしましょう」
ベルクが、キューコの傍らに膝を付いて問いかける。
見れば、農民たちは毒気がぬけたように、大人しくなっていた。
自分たちが何をしていたかは理解しているのだろう、しおらしくもあった。
「全員捕まえて、牢に放り込め!」
キューコはその場の暴徒の成れの果てにも聞こえるように声を張り上げた。
「はっ! 承知いたしました!」
そうベルクが立ち上がると、キューコはその肩を摑まえてそっと付け足した。
「3日ぐらいコンコンとお説教して、それから米を革袋いっぱいに詰めて持たせて。あと……勇者は丁重に葬ってあげて」
「はっ、姫の御心のままに」
「……転生者の知識を生かして、領地改革してくれたらと思ったのに」
独白めいた言葉までを聞き、ベルクは微笑みながら直ぐに兵たちへと指図を始めた。
キューコは、物言わぬ骸に向かい、
「……次は、神の策略なんかに引っかかるなよ」
ルイの気持ちを、口調を真似て代弁すると、それを風がさらい、あおられたサクラの花弁が舞った。
だが騒動はここでは終わらなかった。
花びらが舞う空に、今までとは違う類の光が躍った。
そこにいた者たちのざわめきが止んだ。
死人以外、全員が空を見上げた。
天には“神の顕現”を示す光玉の粒子、降臨光雪が現れている。
それも異常なほど広く、明るく、禍々しくもムラクモ全土を照らし、覆うかのごとく激しく――。




