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30、面紗の姫

「この都を離れて行かれた神々に、お会いしに伺いたいのです」

 エルテナの要望は思いがけないものだった。

 つまり主神イアマナの他、十一か所の縁故地を巡るということになる。

 国内とはいえ、それなりに長い旅が予想された。

 

 イッロは条件付きで了承する。

 条件の内容は、長くは都を離れることのできないイッロの代わりに、イッロの選んだ護衛小隊を連れて行くこと。

 そして、まずは今回の疲れを癒し、旅の支度を万全に整えること。

 

 エルテナは素直に、休息を取り疲れを癒す――。

 

 

 

 ――その頃、ムラクモ王家の九人兄妹の二番目、長女ニコはムラクモ北方地区の視察に向かっていた。

 目的は、18年前にハチロの母ヒムカと父ルマハ、そして【港街ケルセン】を丸ごと犠牲に召喚された勇者を探すためだ。

 だが、やみくもに探すのではなく、ニコには既にめぼしを付けた人物がいた。

 勇者というのは、それだけ目立つ存在でもあるのだ。

 

 

 ニコはムラクモの外交を受け持つ才女だ。

 優れた情報網を持つニコの耳には、常に他国の情報が流れ込む。

 イヴァールの動向も然り。

 開戦直後、イヴァールの動向を仕入れていたのもニコだった。

 

 そんなニコの“良い耳”に舞い込んだ噂が二つある。

 一つは、ムラクモ領内に、イヴァールの物資が流入しているという噂。

 もう一つは真逆で、ムラクモ領内からイヴァールに物資が流出したという話だ。

 もともと隣接する土地だ。

 国境越しとはいえ、独自の交流があってもおかしくはないし、ムラクモ王家だって多少目をつぶる程度の度量くらいはある。

 

 だが、妙だ。

 北方地区の村々と、イヴァール国【クッフム伯爵領】は、前から交流があったわけではない。

 交流が始まったのは宣戦後なのだ。

 

 さらに妙なのは、流出先がクッフム領ではなく、ススムがいた【辺境都市イアヌ】の市場だったことだ。

 両方ムラクモとの隣接地ではあるが、北方地域からイアヌは遠すぎる。

 

 とはいえ、いかに妙な事柄でも戦争ムードの中では些末な類。

 なのにニコは気が付いた。

 張り巡らせた情報の糸は、蜘蛛の巣の如く些末な妙もからめとる。

 

 

 秋の終わりが迫り、当然の如く寒風が乾きと、冬の空気を運び始める。

 街道を進む幌馬車の荷台。

 飾り気のない黒い服にヴェールで顔を隠したニコは、向かいの商人に扮した側近のスケルブ・イトゥに言った。

「比較的豊作だった地域の税率を上げることで、兄上は北方地区に救済措置を取った」

「はい。ここまでの村々には、十分な配給がございました」

 途中に寄った比較的王都に近い三つの村のことを思い、厳つい顔のスケルブが神妙な顔で頷く。

 

 今度は、御者台で手綱を引く従者役のカークス・ミツシが、肩越しに振り返り、シャープな顔立ちに余所行きの笑顔で言った。

「姫殿下、問題はここからですねぇ」

「ええ。凶作のはずの村から、なぜ物資がイアヌに流出したのか、ね」 

 と、ニコはヴェールの下の、異常に鋭い眼光を街道の先に向ける。

 すると睨まれた訳でもないのに、スケルブは身を竦め、カークスはスっと前に向き直った。

 

 

 程なく、再びカークスが肩越しに振り返る。

「“ご主人様”、まもなくです」

 行商人に扮したニコ一行の馬車は、村の入り門アーチを潜った。

 

 

 目に付くのは老人と子供が少し、雰囲気は閑散としている。

 幌馬車を広場に着けると、直ぐに村長の老人が出迎えに来た。

 

 付き人二人を背後に置き、ヴェールの奥に色眼鏡までかけたニコが、決まり文句のように告げた。

「行商でございます。生まれつき目が悪いもので、このままでご容赦を。さて商い初めに、ご入用の品はございますか?」

「食料を。村の若い者が、魔獣を狩りに出ておりますじゃ。まもなく戻りますで、素材で何か食料をくださらんか」

 閑散としている理由が氷解した。

 

 狩人の村でもないのに狩りに出るとは、よっぽどだ。

 しかも女まで狩りに割いているらしく、老人が子供の世話をする様子が見受けられる。

 

「米ならすぐにお渡しできますが。王都からの救済はなかったので?」

「そんなもんないですじゃ。役人様は戦争戦争言うて、集めるだけ集めてからに」

 村長の顔が歪んだ。

 もっと言いたい事はあるが、我慢しているといった風情が感じ取れる。

 

(凶作の地域は免税措置が取られたはずなのに……)

 ヴェールと色眼鏡に隠し、ニコの眉間に皺が寄った。

 

 村長が嘘を言ってるようには聞こえない。

 つまり、言葉通りなら救済は前の村までということになる。

「分かりました。ここは村長様を信用して米を二俵置いていきます。先を急ぎますので、素材とやらは先の村を回った帰りにでも」

「おぉ、それはありがたや」

「スケさん。二俵、下ろして差し上げて」

「畏まりました」

 と、スケルブが軽々と米の俵を軽々と両肩に担いで運ぶ。

 

 それからニコたちは、早々にその村を出た。

 馬車が村から離れると、ニコはヴェールの下の色眼鏡を外す。

「確かに開戦時、地方には相当な苦労を強いたのは確かだけど」

 スケルブはニコに同意の頷きを向け、それから顎に手を当てた。

「知る限り、こんな地方の農村部から、税も、資財を集めた記録もありません」

「本当に気色の悪い。あの、消えた代官の仕業ね」

「十中八九は……」

 北方は領主不在で、王家に代わり代官が管理していた。

 だが、その代官も、当初の敗戦ムードのどさくさで開戦前には夜逃げ。

 そして姿を晦ましている。

 

 ニコはしばらく考え込んだ後、チッ、と大きな舌打ちを零す。 

「余計な仕事を増やしてくれるわね……。カークス、代官の足取りを追わせて」

「そのあとは、捕えますので?」

「かかずらわるのは時間の無駄。だけど、民の財で太らせたままにするのも癪。殺して」

 そこには感所の機微はなく、ニコはただ決定事項のように告げる。

「承知しました」 

 そしてカークスもまた、ごく普通に頷いて応えた。

 

 

 草原の道のはずが、雨がほとんど降らなかったせいで乾いた砂が舞っている。

 

 ニコは御者台の隙間から、荒れた草原の成れの果てを一瞥の後、カークスに問う。

「この辺りに、縁故地を持つ神はいないの?」 

「残念ながら」

「最初から?」

「はい」

「イアマナ神も、さすがにお一方では手が回らないのね。十一神が、おわせば、こうはならなかったのに。まったく守護神のありがたみが嫌でも分かる瞬間ね」

 

 

 次の村には半日ほどで到着した。

 やはり、この村にも救済物資は届いていなかったが、【クッフム伯爵領】からの流入で事なきを得ていた。

 

 ニコは、村長にお決まりの文言を向けた後、あいさつ代わりの米俵を進呈。

 おかげでしばらく滞在したいというニコたちの要望は、快諾された。

 

 一つ前の村と違い、この村には住人以上に人がいた。

 物資を求め周辺の集落からも、人が訪ねてきていたのだ。

 おかげで情報収集には事欠かない。

 

 聞くところによれば、先の村と同様に、他の集落でも北方地区の代官が税を接収したらしい。

 本当に余計な事をしてくれる代官だ。

 

 一つ前に寄った街道沿いの村に知らせなかったのは、代官を警戒したのだろう。

 前の村の連中も、ここまでくれば物資がもらえると知っていれば狩りに出ずとも済んだのに。

 

 この村の長は、ニコたちにも、クッフム領からの物資のことは秘密にしてほしいと頼んできた。

 一体誰に秘密にしてほしいのか。

 身分を隠しているから仕方ないが、王族になら、既に目の前にいる。

 さらに言えば、税の接収に来る代官も、すでに“飛んで”しまっている。

 だがまあ、とりあえずだ。ニコは了承という意味で頷いた。

 

 

 都合のいいことに今日、この村へとクッフム領から物資が来るという。

 物資が届くと、広場はさながら、物々交換市のような賑わいを見せるらしい。

 

 ニコは、広場の片隅でクッフム領の馬車を待ちながら、右側のカークスに耳打ちした。

「見たところ、人族(フラット)しか見当たらないようだけど」

 カークスは、愛想笑いを村人たちに振りまきながら、ニコにしか聞こえないような声で答える。

「声すらかけてないんでしょ。イヴァールは、亜人と呼ぶ連中を良くは思っておりませんからねぇ。村長の勝手な判断かと」

 すると今度は、左側のスケルブが帳簿を見るふりをしながら言った。

「近隣にあるのは犬頭族(ドガー)の集落ですが、見た目が怖いですからな」

「見た目で言えばスケルブ。お前の顔も大概だけど?」

「“ご主人様”には言われたくありませんな。私の怖さは、少なくとも“人並み”です」

 と、スケルブは、正面を帳簿で隠して、ニコに満面の笑みを向ける。

「お前は顔の造りが厳ついんだ。おかげで胡散臭いが、それが商人らしくはあるわ」

 それを聞き、愛想に長けたカークスの肩がゆれる。

 

 

 昼も近くなると、広場には村の内外から、さらに人々が集まって来た。

 そしてイヴァール国クッフム領の馬車が見えると、誰かが声を張り上げる。

「来たぞ、場所を空けろ!」

 直ぐに馬車が停まるスペースと、品を広げる場所が空く。

 

 馬車が広場に停まると、ニコは遠巻きに手綱を持つ青年を眺めながら、また小声で零す。

「あれが、イヴァールの五大貴族、クッフム・ムサルド伯爵の?」

 カークスは頷かず、同じ程度の声量で応える。

「ええ。長男ユグドゥですな。もっとも、なぜかここへ来るときは、ミナヨシと名乗っているようですが」

「ミナヨシか。ムラクモ風で、馴染みやすくはあるわね。ねぇ、スケルブ。お前ならあれに勝てる?」

 ニコは、ミナヨシからあえて視線を逸らし、スケルブの持つ帳簿を指さしながら言った。

 強さは、見るものが見れば分かるような強者のそれと、完全に分からないような隠者のそれがある。

 ミナヨシは前者だ。

 

 スケルブは帳簿を見たまま、片手で顎を摩りながら一言。

「無理ですな」 

「カークスと二人なら?」

「それでも無理ですな。我々二人に、ベルク卿を足しても五分持てばいいところ」

 すると、ククっとカークスが喉を鳴らして笑ってから言った。

「我らが“姫殿下”と、”油売り”たちを総動員すれば、刺し違えるくらいは可能でしょうよ」

「ばかか。“油売り”はともかく、姫を失えば、ムラクモの損失は計り知れんぞ」

 そう、少しだけ声を荒らげたスケルブ。

 

 ニコは、クスっと鈴を転がすように笑った。

 そして、どちらにというわけではなく、ヴェールの前で唇の前あたりに人差し指を立てる。

「“油売り”も、お前たちも、当然私自身の命も。私の“商会”からは犠牲を出すつもりはないの」

 するとスケルブは真剣な面持ちで頷き、対照的にカークスは口の端を持ち上げるように笑った。

 

 ニコは、シートの上に物資を広げ始めたミナヨシを一瞥、背を向けるように歩き出す。

「だけど、このまま支持を広げられるのは後々厄介だから。“油売り”に、他の集落に根回しと、“見切り品”の処分をさせて」

「承知しました」「畏まりました」

 スケルブとカークスはほぼ同時に頷く。

 そして、それぞれが別の方角へ歩き出す中、ニコは立ち止まり振り返る。

「あの青年には、策略も陰謀も見当たらない。純粋な善意か。……さて、困ったな」

 視線の先には、市場の如き様相を呈した中心で笑うミナヨシがいる――。 

 

 

 

 

 ――私腹を肥やした代官さん。

 酔っぱらって水路に落ちて、死んだんだってさ。

 ため込んでた金も、ほとんど消えてたと言うから不思議だよね。

 あぁ怖い怖い。

 

 それにしても、ニコ商会の“油売り”は、夜闇に紛れてよく働くと思わない?

 これもひとえに長女ニコの、手腕の賜物なのかな。

 

挿絵(By みてみん)

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