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28、淫らな隠者

 夢次元に隔絶された学び舎では、リボンタイに短めのスカートといった出で立ちのキューコが、ルイの書き込むチョークの動きを見守っている。

 

『勇者』

 と、色違いの肘当てが特徴的な、よれよれスーツ姿のルイが黒板に刻んでチョークを置く。

 そして瓶底眼鏡をクイっと持ち上げ振り返った。

「英雄の相とは、類まれなる才能を宿すものを言い、英雄とは才能を開花させた者のことを言う。剣士も、魔法使いも、知恵者や学者も全部含む総称だ。では勇者とは? はい、キューコ君」

 ルイが、手を挙げてすらいないキューコを指名。

 キューコはぎょっとした後、挙動不審に目を泳がせながら、必死に思案する。

「えっと……、勇気のある……ひと?」

 必死に絞り出した言葉だ。

 言い終えると、キューコは情けなくなって俯いた。

 

 そしてジャッジとばかりにルイは分厚いレンズの向こう側から鋭い視線を向けてキューコを指差す。

「んん……、正解!」

「ルイ、ごめんなさい。アタシには……わかりま、……え、正解?」

 キューコのしょんぼり顔が困惑に変わる。

 

 ルイは見辛かったのか、眼鏡をクイっとおでこまで持ち上げた。

「少しだけ補足するなら、異世界から自分の意志でやって来ると言う、“勇気ある”行動をとった者を指す」

 

 厚すぎる眼鏡が気になりつつも、キューコはルイ言葉を反芻するように考える。

「異世界転生者が勇者……?」

「いや、それは少し違う。異世界からの転生は別に珍しい事じゃないからね。この場合は、過酷な運命と知って、自ら志願した者を指すんだよ。もっともどこかの女神は、“選ぶしかない”ように仕組んでたみたいだけど」

「あ、だからこの世界は人口が増えるの……?」

「その通り。じゃないと閉鎖された世界で魂が循環してるだけで、増えようがない。獣から人に転生する者もいるけど、そんなのは稀有な存在だからね」

「ちなみにだけど、どんな人が、この世界に転生してくるの?」

「あぁ、例えばもう滅んでしまった世界の、行き場のない魂とかね。その場合、記憶の9割9分は消えてくる。どういう仕組みかまではボクにも分からないけど」

「そうなんだ……」

 なんでも知っていそうなのに、とキューコがルイをじっと見ると、ルイは照れたように額の眼鏡を下して顔をそむけた。

 時折見せるルイの照れたような仕草は、何に起因するのかは分からないが、キューコはそれを可愛らしく思って微笑む。

「と、とにかく! そろそろ時間だから行ってくるよ!」

「アタシはどうすれば?」

「君は燃費が悪いから、ここから見ているといいよ」

「はーい。でも兄様は、本当に大丈夫かな……」

 妹の、取り分けキューコのこととなると過保護すぎてキレやすい兄を思い、キューコの眉が八の字をかいた。

 

「なんにせよイッロは腹を割って話したいんだろう。ならそれに応えないと」

 ルイが教壇から降りて扉へと向かう。

 そしてルイがキューコに向かって肩越しに手を振ると、それを合図に姿はフッと消えた。

 

 キューコはルイが消えたあたりから、今度は黒板に視線を向ける。

 するとプロジェクターで映し出されたように、上映が始まった――。

 

 

 

 

 

 ――戦争において、ムラクモの一番の問題は、兵にも指揮官にも戦争経験がないということに他ならない。

 もっと言えば、“人を殺せるのか”だ。

 殺すという行為において発生するストレスに、精神が耐えられるのか。

 

 衛兵の中には、盗賊団討伐などで武功を上げた者もいるが、それはごく一部だ。

 いくら訓練を行っても、最初から殺せる兵などいない。

 技術ではなく、心の問題なのだ。

 

 ベルク・フォルク子爵のような、対人戦闘のスペシャリストも存在する。

 だが、そんな彼でもやはり戦争となると話が違ってくる。

 彼は英雄であっても騎士で、司令官ではない。

 

 指揮官として敵を殺す采配をとれるものは多少存在はするが、盤上での指揮は、実際に刃を交わす訳ではないから殺人の実感に乏しく、勝つという一点だけが考慮された結果、敵も味方も多く死ぬ。

 文字道理、兵は駒だからだ。

 

 

 真に優れた政治家は戦闘を未然に防ぎ、真の意味で優れた指揮は、短期決戦を尊び、時として残酷な一手を打つ。

 そしてムラクモには隠れた名将がいた。

 

 名を【カスミ・マイヤーズ】と言う。

 前世は、異世界の軍人将校で、若くして一軍の参謀を務めていた切れ者だ。

 そして記憶を持ったままやって来た異世界転生者だ。

 

 この世界に来る切っ掛けは、彼女のいた世界で大国同士の戦争が勃発した時のことだ。

 あわや世界大戦にまで発展する手前で、彼女は電撃作戦を立案、そして敢行。

 極め付きに、非人道的なミサイル兵器を敵国首脳部にぶち込んだ。

 敵国民3500人が死亡した。

 

 結果、戦争は終結。

 敵国側には新政府が樹立した。

 

 その後、国家間で平和条約が締結されると、声高に断罪を叫ぶものたちが、戦争終結の立役者である彼女を死刑台へと向かわせた。

 

 自らの最期を前にしながら悲愴も後悔もなく、カスミは場違いなほど、しっとりと濡れた微笑みを浮かべる。

 それが見る者の目に、有りえない程妖艶な印象を与えた。

 

「悪女め……、いや悪魔め!」

 誰かが、段上の彼女に、はばかりもせず言った。

『ガコンッ』と足場が失せ、カスミは絞首刑により34歳の生涯を閉じる。

 

 

 気が付くと、カスミは薄暗い岩窟のような場所に、裸で立っていた。

 そして目の前には、三角帽をかぶった男が麻袋を肩に、立っている。

「カスミさん。君の英断がなければ世界大戦に突入していたよ。その場合の死者はざっと80億人。“あの”世界の総人口だ。それを理解している人もいたみたいだけど、体よく平和のための礎に、いや“生贄”にされてしまったね」

 非日常的な状況で、その男は、なれなれしく名を呼び気さくに笑い、肩を揺らす。

「あなたは?」

「私は、旅人だよ。もし良ければだが、そんなカスミさんに提案だ。異世界で生きてみる気はないかい?」

「異世界……?」

「そう、第二の人生とでも思ってくれればいい。もちろん、このまま地獄へ行くという選択肢もあるけど、その場合は長く苦しい時を過ごす羽目になるし、何なら、新たに生まれ変わるころには、カスミさんのいた世界は滅んでいるだろう。率直に言えば、あなたは失うには惜しい存在だからね」

「惜しいかはさておき、ふむ、第二の人生か。で、見返りは?」

 カスミは訝しんでいた。

 聞き間違いでなければ、このまま記憶を持ってやり直せるということだが。

 死んだとはいえ、そんな上手い話があるものだろうか、と思う反面、第二の人生という言葉が酷く甘美なものにも思える。

「何も? あなたはただ、自由に生きればいい」

「なぜ、私にそんなチャンスを?」

「さっきも言ったが、惜しいってのもある。だがそれ以上にカスミさん、あなたが不憫だから、……なんて。というのは嘘。きっと面白くしてくれそうってのが本音だね。さぁ、どうする?」

「……。なるほど、なら地獄を選ぶ理由が見当たらないな」

 不憫に思う、で終わっていたら、地獄を選んでいたかもしれない。

 まさに眼前の男の、隠すことのない本音が判断の決め手になった。

「あはは、それは重畳だね。では案内しよう。あぁ、ちなみにだけど、第二の人生、あなたはどう生きたい?」

「そうだな、思いっきり羽目を外して、肉欲にでも溺れようか」

「面白いね。加護も恩恵も与えてあげられないからね。少しばかり資金を融通しよう」

「あぁ、助かる」

 歩き出す男を追ってカスミも歩く。

 加護も恩恵も、何を意味しているかは分からないが、資金があるのは素直にありがたい。

 

 

 

 ――カスミは、18歳程度に若返り、ムラクモの都にたどり着いたのが5年ほど前。

 手にした袋いっぱいの金貨を元手に娼館をひらいた。

 

 その娼館は“客を選ぶ”らしい。

 そんな噂とともに、女が一人で開いた店は、またたく間に話題となった。

 

 娼婦風情が何様だ、とケチをつける客未満の男たちもいたが、全員半殺しの目にあった。

 

 おかげで彼女の悪名も知名度も上がった。

「けっ、悪女が」

 客未満の男の捨て台詞は、カスミには心地よい。

 好きに抱き、好きなら抱かれる。

 自由に遊び、自堕落に過ごす。

 前世の規律に縛られた生活の反動のように、彼女は自由に生きる。

 

 

 そして、イッロと出会ったのが一年ほど前。

 場末の酒場で知り合い、意気投合。

 

 イッロにその才を見抜かれ、彼女もまたイッロの能力に惚れ込んだ。

 

 何を隠そう、イヴァール戦争の時、キューコの戦略を立案したのはカスミだったのだ。

 暴虐の一手を立案できる残虐性と合理性を合わせ持つ。

 結果、敵味方双方の被害を最小限に留め、民を救った影の功労者だが、その話はイッロとカスミの間の秘密だ――。

 

 

 

 

「じゃあ、始めようか」

 悪魔ルイが、神殿の中央に現れる。

「あぁ」

 イッロは、ルイの目の前に進み出る。

 

 ちょうどその時、

「あ、悪女カスミ!?」

 と、神殿の外からロレイの声が木霊した。

 

 

「ははぁ、イッロ君。君は隠れ勇者まで垂らし込んだのか。まったく……恐れ入るよ」

 そう、悪魔は肩を竦めて笑った。

 

 


 挿絵(By みてみん)

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