27、王子の目論見
イッロが洞窟から頭を出した。
次いでエルテナが、そしてロドも現れる。
見張り番をしていた衛兵が、それを目の当たりにした瞬間、慌ててサンドイッチを口に押し込む。
「ぐむむ。殿下、おかえりなさいませ」
大柄の衛兵の太い喉が、一気に食べ物を嚥下する。
衛兵は悪くない。
タイミングが悪かったな、とイッロは左のポケットから懐中時計を取り出し時間を確認する。
時計は11時を指していて、昼飯時には少しだけ早い。
出発したのは朝の10時頃だったはずだが、体感だが半日以上は“地下”にいたはずだ。
「ロレイ君、今は何時だね?」
「え、はい、先ほど昼の鐘が鳴ったところです」
名を呼ばれたことに、衛兵は背筋を伸ばす。
一瞬だけ妙な間があったのは、一介の衛兵である自分のことを、まさかイッロ殿下が覚えているとは思わなかったからだ。
鐘が鳴ったということは、12時を過ぎているのは嘘ではない。
イッロは懐中時計に耳を当てる。
発条はカチカチと音を立ててしっかり動いているし、聞いた限りでは狂っている様子もない。
半日ではなく、丸一日以上経過していたのだろうか、とも思ったが、
「私たちが、洞窟に入ってどれくらいが経った?」
そう聞くのが一番早い。
「多分、二時間ほどかと……」
自信なさげにロレイは答える。
分刻みまではさすがに期待してない。十分な回答だ。
志津火は、“あの場所”では時間が曖昧だと言っていた。
ならば好都合と、イッロは時計をもとのポケットに落とした。
「私は王城に行ってくる。すぐ神殿に戻ることになるからエルテナ殿は休んでいてくれ。ロドはエルテナ殿の護衛を」
神殿に戻ってくるのはいいのだが、はて、とエルテナは首を傾げた。
「殿下、都に戻ったのに、なぜ私に護衛を?」
「念のためだ。今後はウェヌース妄信者に狙われないとも限らない」
狙われるような理由。
心当たりと言えば、最近はイッロと行動を共にすることが多い事だろう。
それを思うと、エルテナは妙に意識してしまって顔が熱くなった。
「あの、私なんて――」
「すまないが、話は後にしょう」
エルテナは、いつもの自己肯定感の低さを告げようとしたが、瞬間で遮られた。
そんなエルテナの視線の端では、ロドが微笑んでいて、それが一層恥ずかしさに拍車をかける。
それからすぐにイッロは視線の矛先を変えた。
「ところでロレイ君。君は第一護国隊だったな?」
「はい! 白銀隊、衛兵部に配属されております!」
そんなところまでご存じなのかと、ロレイは感銘を受けつつ、さらに背筋が伸びた。
「ゴッロには私から伝えて置くから、キミは今をもって神殿の守備隊長に任ずる。後ほど小隊を与えるからそのつもりでいてくれ」
「た、隊長でありますか、身に余る光栄です!」
ムラクモには、王族近衛兵以外に、二つの軍隊がある。
その一つ、第一護国隊は、通称“白銀隊”と言い、三男ゴッロが率いる剣士と騎士を中心とした千人規模の主力部隊だ。
そしてもう一つ、第二護国隊は、黒鋼隊と言い、三女ロコが将を務める重鎧兵300名と、魔術師200名からなる守りの要だ。
適当にロレイを任命した訳ではない。
イッロは、見る目には自信を持っていて、普段から才のある者に目を付けていた。
エルテナもその一人なのだが、私的な感情がないと言えば嘘になる。
イッロもそこは人の子だ。エルテナが心配だからと多少過保護にもなる。
だが、とりあえず今はロドとロレイに任せ、イッロは足早に王城へと向かった――。
――半時ほどで、イッロはキューコの部屋の前にたどり着く。
ノックの後、中に入り込むとキューコは昼食の最中で、冗談のような肉団子の山に挑んでいた。
「お兄様、もぐ、お帰りなさい。もぐもぐ」
食べ物の誘惑と戦いながら、キューコが細い目をさらに糸にして笑う。
イッロもそれを見て和みつつ、今はそうじゃないと、咳ばらいを挟んだ。
「キューコ。悪魔と会えるよう、取り次いでくれないか?」
「え?」
キューコの食べる手が止まる。
悪魔嫌いのイッロの言葉とは思えない。
そして、僅か二時間ほどの間に何があったのだろうという疑問もある。
いつもなら血の繋がりを利用して、ある程度は夢の中で把握できるキューコ。
だが今回はイッロの帰還があまりに早く、キューコは食事の途中で、眠りに入っていなかったのだ。
「大丈夫だ。喧嘩を売るようなことはしない。一度、腹を割って話す必要が出来たのだ」
悪魔関係では珍しく穏やかな兄の言葉に、キューコは、それなら、と頷いた。
「では、神殿で待つ」
と、普段なら無駄に長居したいところだが、その気持ちはぐっとこらえ、キューコの部屋を後にする。
イッロは王城に来たついでに、一応執務室に顔を出す。
そして詰めている事務方達に仕事の指示を出してから、便箋を一枚とり、とんでもない速度で羽ペンを踊らせた。
そうしてしたためた手紙を、今度はやつれた顔の政務官に差し出した。
「ノートル次席政務官。君の家は南地区だったな?」
「はい、左様でございますが……」
それがどうしたのだろう、という疑問はありつつも、イッロ様だしなぁ、という諦めが立つ。
普段から割と不可解な事をいうからだ。
「第二護国隊の砦に行って、ロコに直接渡してくれ。そのあとは戻ってこなくていい、帰って休むように」
「え?」
確かに南の地区は、第二護国隊の砦に近いが。
余りに真っ当な優しさを喰らったせいで、ノートル政務官は困惑を微塵も隠せなかった。
「残った書類は私が後で見て置く。どうした、不服かね?」
しかもイッロから書類をやると言い出すなんて、とノートルに二度目の衝撃が走った。
「い、いえ、滅相もない! 心得ました!」
心変わりされてはたまらないと、ノートルはコートをひっつかみ執務室から飛び出した。
ノートルの後姿を見守ってから、イッロは時計を一瞥。
それから、何か言いたげな他の政務官たちにも一瞥を投げる。
「君たちと違って、彼は息の抜き方が下手だからな」
政務官たちには、思い当たる節があり過ぎた。
だから何も言えず、イッロが去っていく背を見送るに甘んじた。
――昼下がり、酒場や夜の店が、開店準備で活気づく。
そんな通りの端の袋小路には、すこしばかり古めかしい石造りの娼館が数軒。
中でも一番端にあるその店の名は、朧亭。
鉄製の三日月を模した看板の下には、木製の板に、
『開店時間、気まぐれ』
と、記されている。
イッロは朧亭の扉をドンドンと叩く。
だが、反応はない。
イッロは“起きる”まで叩く勢いで、何度も強めのノックをする。
しばらくして、
「うるさぁぁい」
と、閉ざされている二階の窓から声が降って来た。
それから、よくは聞き取れないが、ぶつぶつと、起こされたことに対する不満の類だろう言葉をまき散らしながら、二階の窓が勢いよく開かれる。
「眠りを妨げるとはいい度胸……、ん、……おやおやぁ王子様じゃないの。お久しぶりねぇ」
そう長い黒髪で裸同然の女がイッロを見下ろし、荒口調は一変。
一気に艶のある猫撫で声に変わった。
「すまないカスミ。急ぎの用だ」
「あら残念。“遊んで”行くわけじゃないのね」
「生憎な。もっとも今までだって“世話”になったことはないが」
「あは、確かにぃ。アタシはいつでもウェルカムなんだけど」
「そっちの世話になる予定は未来永劫ない」
「つれないなぁ。で、今回は?」
「詳しい話は、神殿でする」
「神殿?」
「あぁ、その立派なものを早く仕舞って来てくれると助かる」
「いやん、えっちぃ」
カスミは、芝居がかった様子で片目を瞑り、片手を振ってから窓を閉める。
イッロは気にした様子もなく、踵を返し神殿へと向かった。
イッロが神殿の白亜門にたどり着くと、門の前でロレイが出迎える。
「殿下、中庭でお客様がお待ちです」
「ありがとう。エルテナ殿とロドは?」
「はっ、エルテナ様は自室に。ロド殿は自室の前で警備をしております」
「分かった。あぁ、それともう一人来る予定だから食堂の方へ案内してくれ、そこで君も待機だ」
「はっ!」
威勢のいい返事を耳に、イッロは夜街の方を一瞥。
しばらく来ないだろうなと、肩を竦めた後、門をくぐって中庭へと進んだ。
中庭には、キューコの近衛長ベルクとメイドのカロワン。
そして重鎧姿の女が二名。長杖をもったローブの魔導士の女も一人いる。
三人は、第二護国隊の隊員だ。
ノートル次席政務官に持たせた手紙は、三人を呼び寄せるためだったのだ。
まずイッロは、ベルクに向かい肩を竦めた。
「ベルク卿は有給とやらではなかったかな?」
「ええ。休日の過ごし方は、キューコ様のご命令を聞くと決めておりまして」
「なるほど、で命令とは?」
「イッロ殿下が、怒り出したら、お止めするようにと」
子爵位の騎士に頼むような事ではない気はするが。
清々しいほどの笑顔がベルクからイッロに向けられている。
「なるほど」
(しばらく口をきいてもらえない、という未来だけは避けたい)
イッロは神妙な顔で頷いた。
次にイッロが視線を流すと、重鎧の二人と、魔導士の娘が、背筋を伸ばして胸に片手を置いた。
「早速招集に応じてくれて感謝する。追って指示するから君たちは食堂の方で待機してくれ」
「「ハッ」」
と、声が綺麗にそろったあと、三人は正面入り口ではなく、裏口の方へと歩いて行った。
これでイッロの準備は滞りなく終了。
悪魔が来るのを待つため、台座の間へと向かった――。
――まさか、イッロからお呼びがかかるとはね。
この時ばかりは流石のボクも、すこぉぉしだけ、ドキドキしたんだ。
じゃあ、今回はここまで。




