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26、面影の纏い人

 イッロには言いようのない疲労感があった。

 語られた昔話が、知らない内に琴線に触れていたのだろう。

 

「神は人の成れの果て、悪魔は神の成れの果て。確か“堕天”と言ったか」

 義学のしゃがれ声が告げる。

 

 天上の存在が地の底に、堕ちるか。

 言い得て妙だ。

 

 イッロは大樹の根に近寄り、厚い皮に手を置く。

 するとエルテナは、口をぎゅっと結んで感情が漏れるのを堪えながらイッロに視線を送った。

 平静に見える志津火を見て、共感力の高いエルテナは、いた堪れなくなったのだ。

 そんなエルテナに、イッロは頷いて見せる。

 たったそれだけだが、エルテナの表情のこわばりが和らいだ。

 

 

「志津火殿、桜累殿は助けることが出来たのか?」

「完全とは言いがたいが、ある程度は」

 イッロは、志津火の中に術者としての底知れないものを感じる。

 それも相まって、少しずつだが謎解きパズルが組み上がっていく。

 

 その時、背後で何かが動いた気がして、イッロが振り返る。

 すると夢幻が再び街を形作っていた。

 

(一番幸福だった世界か)

 何を基準に幸福と呼べるのか、疑問は残る。

 誰もいない街角なのに、人々の息吹だけが残っている気がする。

 逆にそれがもの悲しい。

 

「なぜ、現れるのだろうか」

 イッロが呟く。

 それを、義賢が摘まみ上げた。

「隙間から、こぼれ落ちるようなものでも、必ずどこかに吹き溜まる」

(生まれ出流(いずる)時、こぼれ落ちた記憶か……)

 幸福が故に、強い望郷の念になったということなのだろうか。

 

 

 イッロには、スクランブル交差点に人が歩く姿が見えた。

 それは、確実に幻だと言い切れるものだ。

 

 奥のデパートから志津火によく似た女性がゼブラゾーンに踏み出し、金髪の女性が腕時計を気にしながら口を尖らせる。

 手前の街路樹から、いつか見た悪魔にそっくりの小柄な女性は、交差点を斜めに通り過ぎて行く。

 

 突然、ワっとたくさんの人々が交差点を埋め尽くす。

 早く渡れと急かすような、電子音が追い立てる。

 歩道の信号が、青から赤に変わる――。

 

「殿下。どうかなされましたか?」

 そう問うエルテナの声に、イッロは何事もなかったように振り返った。

「いや、なんでもない」

 鬼の二人はどうか分からないが、エルテナとロドには見えていなかったのだろう。

 志津火は、薄く寂し気に微笑んでいる。

 

 イッロは再びサクラの根を見遣ると、志津火が告げた。

「桜の下には、何かが埋まっている。だから花びらは薄く色づくのだそうだ」

(下にあるのは……) 

 サクラは美しい反面、散る花びらに切なくもある。

 そんな花の色づきの理由……。

「この根が、地上に運んでいるせいか……」

 

 イッロの中で固まる、ムラクモになぜ英雄が育つのかという疑問の答え。

 もちろん答え合わせは出来ないが、十中八九間違いないだろう。

 

 それはいくつもの事象が、絡み合った結果だが。

 その一つに、冥府の吹き溜まりにこぼれた記憶や念は、空気や水に溶け込み、それを桜の根が吸い上げ、地上の幹へと、枝へと、葉へと、そして花びらを通してムラクモの国へと降り注ぐからだと。

 

 また一つに、ヒトと呼ばれた不老の民の、末裔であるからだと。

 複合的に見れば、プロセスも重要ではあるかもしれないが、要素はそんなところだろう。

 あとは絶妙な加減で息づく人々の中に現れた。

 

「志津火殿。桜累とはどういう字を書くのだろうか」

 志津火は空中に指を使って“漢字”を書いた。

「イッロ殿、それがどうかしたのか?」

 そう問う志津火は僅かに微笑んでいる。

 イッロも笑う。

「いや蛇足だな。ところで最後にもう一つ聞いてもいいかな?」

「もう、最後かと思うと残念だが。構わんとも」

「義賢殿を使って試したのだろう。私たちに何を託したいのだ?」

 イッロは踏み出す。

 そして志津火に手が届く位置まで進んで止まった。 

 

「はっはっは、迫真の意味なしだな!」

 義学が大笑いしながら額に片手を置き、もう片方で義賢の肩を抱いた。 

「敗因は、つい面白くなってしまったことよな」

 義賢は大げさに肩を竦めた。

 

 志津火は、ふうと息を吐いた。

「最初は脅かして、逃げてしまえばそれまで、という心積もりはあった」

 そう志津火がイッロに手を伸ばす。

 その手は、イッロの頬の僅か手前で止まった。

 

 イッロは、その手を一瞥。すぐに志津火に目を合わせる。

「だが逃げなかった。お眼鏡にはかなったかな?」

「ああ、十分すぎるほどにな。しかし真意を告げる前に一つ問いたい」

「何なりと」

「イッロ殿は、父親似か?」

「父の若いころと、私はよく似てると聞いたが。今はどうだろうな、父は年相応に老いた顔をしている」

「因果だな。イッロ殿の母は、私によく似ていたのだろう?」

「ああ、瓜二つだ」

 

 イッロの間近にある志津火の手が、僅かに震えた気がした。

「触れたくば、触れてくれていい」

「酷な事を言う。触れたくとも私は亡者だからな」

 志津火の指先が、空をきるようにイッロの頬をすり抜ける。

「……。私はそんなに似ているのか」

「あぁ、……瓜二つだ。育った顔を知る術はないが、きっとこんな顔をしているだろう」

「そうか」

「だが、イッロ殿とは違う。きっとあの子は私を恨んでいる」

「その子の名は?」

「叢雲」

「そうか。憶測にはなるが、子は、貴女を恨んでなんかいないだろう」

「なぜ、そう言える?」

「ここに、私がいることが、巡り巡って証拠なのだ」 

 イッロは、両手を広げ、抱けない志津火を、まるで抱くかのように包んだ。

「イッロ殿?」

「私も、大人になってからは母を抱きしめることが叶わなくてな。ここだけの話、凄く凄く好きだった。今でもその気持ちは、一切色褪せていないと断言できる。まあ、確かに、子をおいて死んだのは罪かもしれない。だが、親より先に死ぬ子は、もっと大罪だ」

「イッロ殿……」

「貴女の英断が、(ルイ)を解き放ってくれたから、私の妹が敵を倒せた。ひいては国を救ったのだ。もちろん、貴女の子が酷く寂しい思いをしたのは事実だろう。だがそんな母を責める子がどこにいるのか。断言しよう、私に似た子なら、そんなことは絶対ない。断じてない」

 

「はっはっは! 随分と弁が立つじゃねぇか。志津火、こりゃかてねぇぞ」

 またしゃがれ声が飛び込んできた。

 志津火は、小さく頷いている。

 

「イッロ殿。あれを」

 そう志津火は、イッロの腕をすり抜け、桜の根の一角を指した。

「いつの間に? という疑問は愚問だろうな」

 イッロは根に歩み、よく目立つ白磁の色の小瓶を手に取った。

 黙っているエルテナもロドも、興味深げに眺めている。

 

「それをどう使うかは、任せていいだろうか」

「大任だな、だが、引き受けよう」

 イッロは、小瓶を一度目の高さに持ち上げて眺め、内ポケットに仕舞った。

 

 今度は、エルテナとロドに視線を向ける。

「二人とも、急いで帰ろう」

 

「はい」「かしこまりました」

 二人の声が、中途半端に重なる。

 

 改めてイッロは、残る三人に頭を下げた。

「では志津火殿」

「あぁ」 

「義学殿、義賢殿もお達者で」

「もう会うこともあるまいが、まかり間違って、お前さんが生きてるうちに“上がれた”なら。一緒に酒でも酌み交わそうぞ」

 義賢が片手を上げて言った。

 つまり、主君と一緒に、いつかは地上に来るということだろう。

「できる限りは、長生きしてみようと思えた」

「はっはっは」

 義学の笑いが、続く――。 

 

 

 

 イッロ達が来た道を戻る途中、志津火のカラスが飛んできた。

 そして、イッロの肩に止まった。

「お前も、一緒に来るのか?」

 イッロが問うが、カラスはつぶらな瞳で見返すだけだ。

 

 三人はほぼ横並びで、エルテナを置き去りにしない程度に早歩きで進んだ。

「イッロ様、なぜ、急ぐのです?」

 ロドが問いかけると、エルテナも聞きたかったと頷いて見せる。

「ウェヌースの目論見に予想が付いたからだよ。その辺りは、帰ってから詳しく話す」

「ところで、先ほどの小瓶は?」

 何気ない感じで、今度はエルテナが問うと、イッロはポケットの上から小瓶に手を当てた。

「これは、志津火殿が奪ったウェヌースの記憶だろう」

「ぎょ……」

 エルテナが文字通りぎょっとしている。

 

「そう言えば、イッロ様。なぜエルテナ様を連れて来たのか、お教えするのでは?」

「あぁ、そうだった。エルテナ殿」

「は、はい?」

 今さら何を言われても驚くことはないだろう、とエルテナは首を傾げた。

「私は、見る目だけには自信があってな」

 エルテナは、既にイッロの凄さを身をもって知っている。

 偽りの仮面をかぶっている事も理解している。

 まあ、多少変人ではあるが、尊敬できる人物であることは間違いない。

 だが、それとこれとは話は別で、エルテナの自己肯定感は低い。

「か、買い被りです」

「貴女は自分が思うより優れている。思慮深く、多くを気づかせてくれる人なのだ。数日共に過ごしてよくわかった」

「……。そんな恐れ多いです」

「貴女が、傍らにいてくれたなら、と思ったのだ。これからもそう思うだろう」

 さらっとイッロは口にした。

「そうなんですか。……え?」

 意味を理解するまでの間、何気なくイッロを見ていたエルテナだったが、突然思考が停止した。

 とんでもない急ブレーキだ。

 そうなんですか、ってなんだ。と、自分に高速で問いただしながら、イッロを二度見、三度見、しながら真っ赤になった。

「そ、そ、それは、ど、どどう、言う」

 言葉もまともに出てこないありさまだ。

 

 洞窟の発光する壁に照らされながら、エルテナは熱すぎる顔を手で煽ぐ。

「未来の王妃様、もうすぐ街に出ますよ」 

「あ、ほんとですね、じゃなくて、ロドさん! なななな、何言ってるんですか!?」

 あ、ほんとですねじゃない、とまたも自分を高速で戒めながら、エルテナは両手で顔を覆った。

  

 

 

 ――こうして、とんでもない収穫を携え、三人の大冒険は、一時の節目を迎えたのさ。

 まあ、とりあえずは無事で何より。

 とりあえずはね。

 

 という訳で、久しぶりにボクが〆させてもらうね。

挿絵(By みてみん)

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