25、大罪の君
容姿は男も女もいたが、私たちに性別はなかった。
厳密に言えば、性欲が欠如していたのだと思う。
そもそも、他のあらゆる欲自体が希薄だったようだ。
私たちは老いることもなかった。
多分だが、それが実感できる程度の時間を集落で過ごした。
曖昧な言い方なのは、不老が時間に対する概念まで曖昧にするからだ。
私たちは不老だが、不死という訳ではなかった。
水や食べ物は、生きるのには十分あった。
手の届く範囲に都合よく存在した。
衣食住も、それなりの水準の設備があった。
一人に一つ、白いドーム型の住居があり、快適な生活を送ることができた。
それなりの文明が与えられていたのだ。
それでも、何人かは怪我で、何人かは病気で死んだ。
約三割ほどが、そうして死んだ。
ある日、釣りの上手い男に子供が生まれた。
いや、生まれたというのは語弊があるかもしれない。
朝起きると、布団の中に子供がいたのだ。
赤ん坊ではなく、物心ついた“子供”だ。
その子は大人になると、釣りの上手い男そっくりになった。
そっくりというか、同じと言ってもいい。
ある日、歌の上手い女の布団にも子供がいた。
そして歌の上手い女と、そっくりそのままに育った。
理屈は定かではないが、ドームの中でなら、望めば子供を授かることができるらしい。
そうして、何人も子供が生まれた。
ある日、釣りの上手い男が病気で死んだ。
その息子も成長の後、多分同じ病気で死んだ。
全てではないが、親と同じ病で、子供も死んでしまう事案が多発した。
それに付いて、桜累がウェヌースに向かい両手を広げて力説する。
「おそらく、子供は親と同じ欠点を持ってしまうんだよ。単為複製の限界だ」
それを聞きウェヌースは、受け入れがたいと首を横に振る。
「でも、それが摂理なのよ」
「分かってよウェヌース。これでは近い将来この集落が滅亡してしまう」
「そうならないよう、導くのよ」
「行き詰るって言ってるんだよ!」
しばらく熱の籠もった意見をぶつけ合う二人。
意見は、ずっと平行線だった。
しばらくして集落は分裂してしまった。
桜累が、約半数のヒト達と共に集落を出て行ったのだ。
私はウェヌースの元に残った。
それからどれほどの時間が経ったかは覚えていないが、ウェヌースは立派に指導者の責務を果たしていた。
残ったヒト達を立派に導き、集落を維持して来た。
だが、ウェヌースだって万能ではない。
だから、できないことは私が出来得る限り補った。
私も彼女のことを信頼していたし、彼女も私を信頼してくれていた。
ある日、集落に三角帽子の旅人がやって来た。
その旅人は、私たちヒトとは明らかに違う、どこか獣のような雰囲気を醸し出している。
彼は、新天地を求めて旅をしているという。
どこから来たんだ? と問えば、彼は“ヤルマテア”から来たと答えた。
知らない名だ。
それ以前に、土地に名前を付けるという行為自体を忘れていた。
「素晴らしい都だよ、機会があったら行ってみるといい」
旅人はそう言い残し、直ぐにどこかへと去って行った。
ウェヌースは反対したが、直ぐに戻るからと、私はヤルマテアの視察に向かった。
私たち以外の、文化圏が存在するという事実に、少なからず私の心は躍っていたのだ。
山をいくつも越え、川を何本か渡った。
そして辿り着いたヤルマテアは、万人規模の大きな街だった。
石造りの、古い建築物は歴史を感じさせるが、文化水準は明らかに集落より低い。
なのに街は活気にあふれ、多様性に富んでいた。
文明も、そして人々も、そこには喜怒哀楽があった。
私は、しばらくヤルマテアに滞在した。
驚くべきことに、ここには”時”を刻む時計が存在する。
そして、さらに驚くべきことに、その街の人々は寿命があったのだ。
明らかに私たちヒトとは違う。
皮肉なものだ。
不老の私たちは、今を維持するのに精いっぱいだったのに、有限なる寿命をもつ人々は大きく栄えていたのだ。
さらに驚くべきことに、このヤルマテアという国の統治者は……。
「久しぶりだね、志津火」
「桜累……だったのか」
不老である彼女は、言うなればこの国で、神に等しい存在だった。
いや、そもそもが“この机上世界”における神のルーツだ。
集落出身者は、次代を作ると不老を失った。
性行為により受胎を行うと、不老ではなくなるのだ。
私たちの体は、最初からそうなるように仕組まれていたのかもしれない。
劣等因子を補い合い、生まれた子は有限の命でも、綿々と続く血族を産む。
個性ある子孫を増やすことが出来たのだ。
私は途方もない時を、維持に費やしてきた。
広義的意味での人々が、何代も次世代を産み育て、そして時代を紡ぐ間、私たちは変わらない悠久に等しい不変を続けていたのだ。
あの旅人が、私たちの元に訪れなければ、それに気が付くことはなかっただろう。
そして私は、ウェヌースを裏切った。
しばらくヤルマテアで生活する中で、本来の人々の営みを思い出した。
集落の単調で、平和な生活を捨てる覚悟をした。
あれほど私を信頼してくれたウェヌースを、私は……。
本当に酷い裏切りだ。
狩人の才に長けた男の子孫と巡り合い、私はその男を受け入れた。
恋をし、愛をはぐくむという行動を思い出してしまったのだ。
それは、甘美な時だった。
肉欲と共に、私は人の業を取り戻した気がした。
そして子を授かり、私も悠久の命を手放し、母として有限の時を得たのだ。
例えるなら、平穏な楽園を離れ、得た禁断の果実と言ったところだろう。
ウェヌースを置き去りにしてまで、禁断の果実を頬張ったことが、私の大罪。
彼女なら分かってくれる。
そう自分に言いきかせても、私の足は一向に彼女の元に向かおうとはしなかった。
私の想像以上に、彼女は絶望していた。
ウェヌースはヤルマテアを滅ぼしに現れた。
天変地異は、天を割り、大地を揺さぶった。
逃げ遅れた人々は塩に変わって死んだ。
私の知らない、集落にあった“文明”の力だ。
神へと至っていた桜累の肉体も塩になり、不変となった精神は地の底に封印されてしまった。
ウェヌースは集落に住むヒト達も生贄にしてしまった。
信じることを捨ててしまったのだろう。
おそらくその時、ウェヌースも体を失った。
そして精神体の神となったのだろう。
私は、ヤルマテアの惨劇から……子を連れ、夫と逃げた。
そして恥知らずにも、追って来たウェヌースに向かい、命乞いをしたのだ。
私の命はどうでもいいから、子供たちを助けてくれと。
ウェヌースは取り合ってくれなかった。
だから、
「私は、貴女の下僕となろう、永遠に」
そう彼女に向かい膝を折った。
するとウェヌースは私の前に降り立ち、
「本当に、もう裏切らないと誓ってくれる?」
そう泣きそうな顔で、私を見下ろしていた。
意外だった。
彼女が、そんな表情をするなんて。
もっと他の方法があったかもしれないが、私はさらに罪を上塗りする。
情に縋り、私は、彼女を罠にはめたのだ。
殺せないのは分かっていた。
だから手を差し伸べてくれたウェヌースに対し、忘却の呪詛を放った。
まさに鬼畜の所業だ。
私は彼女から、奪えるだけの記憶を奪ったのだ。
ウェヌースが精神体であるからこそ、完璧に効力を発揮したのかもしれない。
それからウェヌースは彷徨うように消えた。
彼女がどこへ行ったかは分からない。
私はヤルマテアがあった場所に戻り、生き延びたヒト達の子孫と共に新たな集落をつくる手助けをした。
そして集落の中央に、桜累の功績を称え、彼女の台座を拵えた。
もう思い残すことはないと、思った矢先だった。
再び“あの”旅人が私の前に現れたのだ。
「君に、これをあげよう」
そう旅人から手渡されたものは、桜という木の苗だった。
旅人は、私が旅立つことをしっていたのだ。
本当に不思議な男だ。
私は、日当たりのよい柔らかな土の場所に桜という木の苗を植えた後、最後の大罪を犯した。
可愛い息子と夫を残し、自らの命を絶って、大罪という錘を利用して、桜累が封印された地の底を目指したのだ――。
「その集落が今もあるのなら、何という名が付いたのだろうな」
志津火が笑う。
自嘲なのか、はにかんだのか、もしくはそのどちらでもないのかもしれないが。
イッロは自然と、巨木の根を見上げた。




