24、忘れじの面影
本質を現した大空洞は、岩肌と木の根だけで殺風景だった。
大空洞には天井を支える柱はなく、その規格外の広さを支えているのは巨大桜の根だ。
篝火のおかげで明るさはある。
しかし妙なことに、燃えて生まれる光の揺らめきは一定で、薪は炭になっても減る気配がない。
エルテナの祝福の代行は大したもので、その名が示す通り、治癒力を最大限活性化させる神の御業の一つだ。
骨が奏でるギチギチという音は、骨組織の回復する音で、本人より聞いているほうが痛くなるような類だ。
治癒を受けながらもイッロは、志津火という女性から目が離せずにいた。
あの女性は、イッロにとっての最愛の人達にあまりにもよく似ている。
その似ている人物とは、ロドもエルテナも知っている人物だ。
イッロが最初に思った人物は、“似ていた”という過去形だ。
過去形であることが、本人ではない証拠でもある。
女鬼が鉄塊の如き戦斧の柄を、座っている赤黒い肌の男鬼へと差しだす。
男鬼は、それを座ったまま受け取り、軽々と脇に置く。
むしろ男鬼の方が戦斧を扱い慣れていると言った風情だ。
それから男鬼は代わりに錫杖を差しだす。すると女鬼は錫杖を小脇に挟み男鬼の傍らに腰を下ろした。
カラスを肩に乗せた女性が、イッロに向かい既視感のある笑みを向けた。
「改めよう。私は志津火という。こちらは、義学殿。そしてその奥方の義賢殿」
志津火は、順に二鬼を手のひらで示す。
物腰は柔らかい。
エルテナには、なぜ襲われたのかという疑問はあったが、とりあえず平和的な紹介に安心した。
今度は、イッロが言葉を発した。
「私はイッロ・ムラクモ。こちらは神官エルテナ・アシャ殿。そしてこれが従者のロド・ラドだ」
エルテナは丁寧に頭を下げ、ロドも深々と頭を下げた。
「ようこそ。というにはいささか辺鄙だが」
志津火は、先ほど二鬼を示した手で辺りを示す。
言葉のやり取りが僅かな一瞬途切れる。
数回またたきをするような、そんな間だ。
その間も、イッロは色々な思考を巡らせていた。
そして考察というパズルを埋めるべく、ピースを求めるような問いを向けた。
「志津火殿、と呼ばせていただくが、いいだろうか」
「ああ、構わない」
「では、志津火殿。単刀直入に伺うが、貴女はイツカという女性をご存じだろうか?」
「知らないな。その女性は、イッロ殿の?」
「母だ」
「そんなに私に“似て”いたのか」
「ああ、とてもよく似ていた」
「そうか」
そのやり取りが、志津火が誰に似ていたか、という答えでもある。
志津火は僅かに俯き、はにかんだ。
ちなみにエルテナとロドは、太る前のキューコによく似ていると思っていた。
それは、キューコが母イツカと瓜二つという意味でもある。
それからまた僅かな間が生まれ、イッロは眼鏡を押し上げて新たに問いを向けた。
「ここは、亡国ヤルマテアだろうか?」
「それは、正解でもあるが、間違いでもある」
「ふむ……」
予想外の言葉に、イッロの眉が僅かに上がった。
「イッロ殿は、先ほどの街並みを見てどう思った?」
「酷く進んだ文明のようであり、冷たくも感じた」
「なるほど。分からんでもないな。派手な反面、なんというか温もりに欠けるとでもいうか。あれは、人々が一番幸せに思った時代の、世界の姿らしい」
鬼女義賢が、まあ、座れという意味合いを込めて、エルテナたちに分かれた根の一部を指し示す。
“長くなるぞ”と示唆しての行動だ。
座るには程よい高さの根を眺めた後、エルテナは窺うような視線をイッロに向ける。
それに対し、イッロが頷いて見せると、ロドはエルテナを桜の根へとエスコートした。
志津火とイッロを、他四人で見守る図ができあがる。
その言葉は不意に紡がれた。
「ここは黄泉だ」
「黄泉……?」
言葉の上では知っている。死者の世界のことだ。
さすがにイッロも顔色が変わった。
「しかも罪人が来るような、地獄か、さもなくば冥府というのが近い。と言ってもまだ序の口、入りの口だが」
エルテナとロドの顔色も当然変わっている。
青ざめていると言ってもいい。
「あの、我々は知らず知らずのうちに、死んでいたのでしょうか……」
エルテナが挙動不審になる。
すごい勢いで、やり残してきたことが頭の中を駆け巡っている。
「安心せい、死んではおらぬ」
と、〈女鬼〉義賢が首を横に振って笑っている。
イッロは既に平常を取り戻していた。
「志津火殿。貴女は罪人なのか?」
「左様、それも大罪人だ。だが、そのお二方は違う。他の世界から来られた」
「他の世界とは?」
「異世界というが通りがいいか。冥府は全ての世界と繋がっているらしく、お二方はヒノモトという別界から、比良坂という道を通って、ここまで来られたそうだ。そして亡くなった主君殿の、黄泉返りを待っておられるのだ。つまり、お二方は地獄を生身で渡ってくるような猛者だ」
口ぶりからすれば、この冥府は、イッロ達の世界側の空間なのだろう。
そして二鬼の主は、転生して来るのか、もしくはそれに近い状況だと推測できる。
「志津火には、暇つぶしの相手をしてもらっておる」
初めて〈男鬼〉義学がしゃがれ声を発した。
「なるほど。黄泉に通じる道はどこにでもあるのか。ところで、貴女は……」
「うむ、察しの通り、亡者だ」
イッロには確信に至るというほどではないが、志津火の容姿で血縁者である気はしていた。
そして亡者と聞き、核心へと一気に近寄った気がした。
だが、事実は、賢いイッロのさらに上を跳び越える。
「では――」
と、イッロが新たな疑問を投げつけようとした瞬間、志津火は手のひらで遮った。
「冥府は、時という概念が曖昧だ。とはいえ、体感的には少し長くなるが、昔話を聞く気はあるか?」
イッロは、言いかけた唇の形のまま頷いていた――。
――どれほど前かは分からない。
創造主の机の上に、十三番目の世界が創られた。
机上の世界がなぜ作られたかは分からない。
なぜ机上というのか、比喩なのかもしれないが、そうとしか言いようがないので分からない。
机上十三番世界には、いろいろな世界から、いろいろなものが備えられた。
まず大地と、空からの光を、そして水を、生物が生存できる環境の源がそろえば、植物や動物を。
ヒトもその一つだ。
それは、恐ろしく短期間で行われたということは、なぜか知っている。
いろいろなヒトが、机上の世界に作られ、生まれた。
その世界を発展させるために選ばれたヒト達だ。
明確には分からないが、ほとんどのヒトが、おそらくは前世の記憶を片手程度は持っている。
理由は分からないが、両手に抱えるほどの記憶は、持ち込めなかったのだ。
何を忘れてしまったか、そのすべては分からないが、ヒト達は何かを忘れてしまったことは憶えていた。
私の名が志津火ということは憶えている。
呪術が得意で、武術の心得もあることも憶えていた。
私の他には、金の髪で肌の白いウェヌースという娘がいた。
ウェヌースは統率力に秀でていて、ヒトの扱いが上手かった。
桜累という娘は、私と髪や肌は似ているが、質感は違う。
自然科学や哲学知識に長け、なにより探求心があった。
ほかにも力強い者や、麗しく歌う者。
算術に長けた者や、自然の中で生き抜くための知恵を持つ者もいた。
それがきっかり100名。
肌や髪や、骨格の雰囲気などを察するに、皆生まれた場所が違うのだろう。
自分がどこで生まれたかは零れ落ちた記憶の方だから知る由もないが。
私たちは、欠けている部分を補うことで生き、自然と集落が生まれた。




