21、迷宮探訪
――巨大な魔獣が口を開けたような迷宮の入り口は、薄暗い下り坂になっていた。
「ここは、本来の入り口ではないのだよ」
イッロが、入り口を覗き込むエルテナに向けて言った。
(本来ではなくても、結局入るんでしょ)
と、これから向かう先を見定めるため、エルテナは目を凝らし、できるだけ奥を見る。
入り口を見つけてから探索の準備に丸一日を費やした。
イッロは仕立てのいいコートにリュックを背負う。
エルテナは外回り用の神官服で、片手にランタンをもち、同じくリュックを背負っている。
そして今年仕官したばかりの衛兵、ロド・ラドは皮鎧を着こみ、槍を携え背筋を伸ばして立っていた。
エルテナは暗闇の先にある、ほんのりとした明かりを見つめていた。
(ヒカリ苔の一種かな。……じゃなくて、なぜ私は行く事になったのだろう)
エルテナが拒否できなかったのも悪いとはいえ、意思は一切反映されていない。
(どうして、こうなったんだろう)
思えば流され続けてきた半生だと、エルテナは過去を顧みる。
並みの商家に生まれたエルテナは早くから読み書きができた。
家を出て自分の意志で神官見習いになったのは14の時。
真面目に勤め、将来は資格をいただき、田舎に教会を建て穏やかに過ごせればと思っていた。
だがある日、降臨光雪が起き、イアマナ神が降臨。
そしてエルテナを指名した。異例の抜擢だ。
穏やかな暮らしを夢見ていたエルテナだったが、断ることは出来なかった。
それから15年。来年は30歳だ。
そろそろ見習いを、後継を育てよう。
そして晴れて田舎に教会をひらこう。
そう考えていた矢先、11の神がムラクモから去り、イヴァールとの戦争を経て今、迷宮の入り口を眺めている。
冷静になって考えても、やっぱり意味が分からない。
「心の準備は出来ただろう」
イッロが迷宮へと足を踏み出した。
出来てません。
そうエルテナは言いたかった。
「エルテナ様、我々も行きましょう」
と、エルテナの背をロドが優しい声とともに押した。
「いえ、あの」
エルテナは、ついに一度も“行きたくない”とは言えなかった。
それどころか、イッロはエルテナが行きたがったとすら思っているだろう。
だが、それは断じてない。
槍を持ち、エルテナを庇うようにロドが前に出た。
ランタンを持ったエルテナが足下を照らさないわけにはいかず、迷宮の入り口に足を踏み入れる。
――僅か数十メートル踏み込んだだけで、『ここは、本来の入り口ではないのだよ』とイッロの言う意味が分かった。
すぐ先に灰色のアーチが見えた。あれが本来の入り口だろう。
だが、その入り口は桜の太い根が塞ぎ、覆い隠している。
エルテナ達は崩れた横合いから入り込んで裏側から見ている形だ。
ヒカリ苔のうっすらとした黄緑色の光は、ランタンがなくても進める程度には明るく、石組みの入り口から通路沿いを照らしている。
それが石組みの目地に沿って生え、整然と並んでいるようにも見えるから不思議だ。
しかも、自ら発光して、それがちょうど矢印のようにも見える。
エルテナが壁の一部に手を這わせると、そこには苔の手触りがなく想像より滑らかだった。
(壁自体が光ってる?)
本当に不思議だと、思わず見入っているとロドがそっと私の肩を叩いた。
「エルテナ様、行きましょう」
「え、あ、はい」
見ればイッロは既に随分進んでいる。
見失わないでいられるのは、この不思議な光のおかげだ。
エルテナは少し早足でイッロの背を追いかける。
地面は押し固められ黒く、僅かに光沢がある。
滑らないから非常に歩きやすい。
エルテナは見習い時代に一度ダンジョンに潜ったことがあった。
あの時はもっと湿気が強く、石畳はヌルッとした悪路で、随分苦労した記憶がある。
それに比べ、このダンジョンは通路自体が整い過ぎている。
緩やかな傾斜を数百メートル歩いたところで、イッロが足を止めて斜め上方を見上げていた。
するとそこには、青地に白で文字が記されている。
「エルテナ様、あれを読めますか?」
イッロにではなくロドはエルテナに問いかけた。
「多分、古代語、カンジというものですね。で、でぐ……」
眉間に皺を寄せながら、齧る程度に学んだ古代語の記憶を手繰るエルテナにイッロの声が飛んだ。
「なんとかトンネル、出口500メートル。と書いてある」
“なんとか”の部分は掠れて見えない部分だろう。
流石内政方のトップは伊達じゃない。
エルテナもそこは素直に感心した。
出口まで500メートルか。
エルテナが目を凝らせば、随分先に出口らしき光の点が見える。
イッロの歩調が少しだけ緩やかになり、三人の距離が縮んできた。
ロドが最後尾で警戒してくれているのは心強いのだが、エルテナはロドに振り返り声を絞って問いかける。
「あの、殿下が先頭で大丈夫ですか?」
不敬だとは思っても、心配だったのだ。
エルテナには攻撃魔法の心得はない。
危険な何かが現れた場合どうするのか、当然の疑問だ。
その場合はロドの出番なのだが、いかに槍持ちと言えど最後尾で大丈夫なのか、エルテナは不安になる。
「多分、大丈夫じゃないですかね」
軽い。
知り合って間もないとはいえ、誠実そうに感じたロドらしからぬ言葉だ。
「そう、ですか」
戦闘職のロジックは分からないが、そんなものなのだろうか。
もしくはロドが経験不足なのだろうか。
イッロも経験不足だから危険認識力が乏しく、先に行ってしまっているのでは、とも思える。
(このパーティーで大丈夫なのかな……)
と、エルテナは不安で胃が痛くなっていた。
ともあれもう遅い。
今はとりあえずイッロの背から離れないよう意識しながら進む他なかった。
だんだんと先の光が近づいてきた。
と、エルテナはふと考えた。
(下っているのに、なぜ明かりが見えるの?)
普通に考えれば緩やかとはいえ、地下に向かっているのに光が見えるのははおかしい。
しかもヒカリ苔のような淡いものではなく昼間のような明るさだ。
考えられる理由があるとすれば崖や断層だが、ムラクモ王都付近には知る限り崖も断層もない。
明るさに輝いて見える出口の僅か手前。
「エルテナ殿。あなたはおかしいと思ったことはないか?」
そうイッロが足を止め、エルテナが追い付くのを待っている。
エルテナはその問いの意味が分からず、僅かに歩速が衰えた。
「え、一体、何がでしょう……?」
「時間の単位や、距離の単位。500メートルと言われ、何も疑問を持たないのか?」
エルテナには、やっぱり言っている意味が分からない。
「あの、殿下?」
「ここまで歩いてきた感じ、正確に500メートルだった。君は学があるから逆に分からないかもしれないが、“数字”も“単位”も発明なのだ」
エルテナはさっぱり意味が分からず、
(この方は、何を言っているのだろう)
そう首を傾げると、最後尾から声が飛んできた。
「俺は不思議でしたよ。算術を学ぶまで“500メートル”って言われても、どれくらいの長さなのかピンと来なかっただろうし。一秒がよく分からないから、“一分”ってどれだけだよってなったし。あ、今はもちろん分かりますけどね」
幼いころから文字と同じく算術に単位も学んだエルテナは、それの何が不思議なのか全くわからなかったが、ロドの言葉で何となく理解が追い付いた。
「エルテナ殿は、あるがままに受け入れ、そういうものだと学んできた。だから気が付かないと思うが、単位という共通認識ともいえるこの発明を一体誰が考えたのか」
「え、それは……」
実際イッロが言う通り、言われてみればそうだ。エルテナは今までそんなこと考えた事もない。
「単位の発明は、人を豊かにし、同時に平等ではないことを、明確に貧富の差を知らしめた」
そしてイッロは上方を指さす。
そこには青地に白で、“出口30メートル”と書いてある。
そして文字こそ古代語ではあるが、それがエルテナたちと共通認識の上に成り立っていることの証明だった。
イッロが不敵に笑い、そして出口に向かって歩き出す。
エルテナがこの笑いを見たのは二度目だ。
普段、奇行ばかりする変人が、たまに見せる貴人のふるまい。
そしてまぶしいと感じるほどの日差ざしの下に出て、イッロは言った。
「同じなんだよ。発明したのが誰なのか分からない単位も、誰から聞いたのか分からない亡国ヤルマテアの伝説も」
今度は、エルテナもその言葉の意味を理解していた。
「じゃあ、まさか……ここが?」
「その通り、やはりヤルマテアはここにあったんだ」
「殿下。あなた様は一体いつから、このことを……?」
エルテナの脳内で以前のやり取りがリフレインした。
台座を見つめたあの日、イッロはあまりに唐突に言った。
『神官殿。悪魔の伝承、亡国ヤルマテアはご存じか?』
この方は、神殿の中央に台座があったのも、地下に亡国ヤルマテアが存在したことも予測していたのではないか。
だとしたら、変人の方が仮面ではないのか、とさえ思えてくる。
「エルテナ様。ほら大丈夫だったでしょ?」
ロドが再びエルテナの背を押し、エルテナも慌ててイッロの背を追う。
「十三番出口?」
吊られた文字をエルテナは声に出す。
そして出口だと思った先で、20段ほどの階段を上がる。
エルテナは初めて見る高層建築の群れに、妙な既視感を覚えていた。




