19、指掛かる神話
王城の中を、むやみやたらと歩きながらイッロは考えていた。
ムラクモの歴史を紐解く上で、まずどこから始めるか。
そもそも謎が多すぎた。
始祖、初代ムラクモ王という人物の痕跡が少なすぎる。
初代王はこのムラクモを建国する以前も、その後も特に何もない。
十代目国王などは農地改革が有名だ。
十二代目は、治水工事など歴史書の類に功績として残されている。
現国王タッロは十六代目だ。
後世に語る歴史の類には、イヴァール帝国の侵攻を阻止した王として名を刻む事だろう。
ムラクモ王国は、建国して約830年。
イヴァール帝国ですら270年だ。
他の列強国を見ても、これほど古い国はイッロの知る限りない。
「伝説の一つでも、捏造してくれれば足がかりになったというのに」
イッロはちょうど通りかかった調理場の中を覗きながら呟いた。
それに気付いた料理長サーエル・ドッシュ伯爵が、胸に手を当て頭を下げる。
他の料理人たちも、手の空いているものから順に同様の仕草を向けた。
「すまん、続けてくれ」
イッロは断りを入れた後、厨房に入り込み料理の一つを指さす。
それに対しサーエルが首を横に振った。
イッロはその横の料理を指さすと、サーエルは頷く。
イッロはおもむろに、指したその手でローストされた肉を一枚摘まみ上げ、そのまま口に放り込んだ。
事情を知らない若い料理人がざわつく。
キューコのための食事で、つまりは猛毒だからだ。
ただの人が食べて無事でいられるような物ではない。
だがイッロは平然とした顔だ。
「……美味い」
そう手短な感想を述べた後、直ぐに懐から緑色の小瓶を取り出し飲み干した。
イッロの胃は至って普通だ。
だからして、かなり強力な解毒薬を飲んだのだ。
サーエルが首を横に振った料理には、“死にますよ”という意味が込められていた。
そして頷いたほうは、“死にはしないでしょう”という意味だ。
解毒薬を飲んでまで猛毒料理を食べた理由は、キューコと食事を共有したいという一念からだ。
そして今、この時も裏では優秀な薬師がイッロのために、強力な解毒薬を研究している。
さらに別所では、有能な魔術師が、イッロの胃を強くする魔術の研究に従事していた。
イッロは私財を投じてまでして、ゆくゆくはキューコと同じ食卓を囲むことを夢見ていたのだ。
腹部を数度撫でてから、イッロは何事もなかったように厨房を後にした。
今度は、中庭へと、それからしばらく行ったり来たりを繰り返しているせいで、庭の掃除をしていたメイドが困惑。
イッロが通り過ぎる度に手を止め、頭を下げる羽目になった。
「ふむ!」
突然、イッロが何かを思って声を上げた。
しかも、ちょうどメイドの横だった。
あまりに何度も通り過ぎるせいで、頭を下げなかったメイドは、
「も、申し訳ございませんっ」
慌てて背筋を伸ばし、頭を下げようとしたときには、イッロは既に城下へと続く城門を潜るところだった。
イッロは緩やかな坂を下りながら、歴史について考える。
「歴史の古い街ではあるが、そんな古さを彩るはずの所以も、旧跡もない」
200年前程度なら、歴史家や長命種族が口伝という形で語ってくれた。
綿々続いてきたはずの過去は必ずあるはずだが、もっと前の歴史はどこで抜け落ちたのか。
イッロは、正確に歩幅を刻みながら思考する。
「とりあえずは一番古い“有史”から触れてみるか」
イッロは差し支えない場所でなら、考えを口に出す。
声に発することで、気づきがあり、考えがまとまることを知っているからだ。
王城からほど近い、坂を下りてすぐの場所にある神殿がムラクモの街で最も古い建造物だ。
約450年ほど前、【女神イアマナ】のために建てられた。
それから人族以外の神を招くたび、台座を増築して、12の台座になったのは約240年ほど前。
そんな神殿も、今では12神のうちイアマナ神を除き、11神までが元にいた縁故地に退いてしまった。
イッロは外観を眺めながら、同時に頭の中に入れて来た神殿の図面を思い出す。
「新築ではなく増築を繰り返した辺りに何か……、隠されているのかとも思ったが気のせいか」
そう言い切れるのは、イッロの優れた空間認識力のなせるで、外観を見て図面との相違が見当たらないことに瞬時に結論付けたのだ。
イッロは白亜の門をくぐり、神殿の中に進んだ。
広い台座の間の入り口で、イアマナ神に仕える女神官が丁寧に頭を下げる。
イッロも神官に対し、胸に手を当てて礼を返した後、
「少し、見せていただく」
そう真っすぐ広い空間の中央に進んだ。
高い天井には、12の神のレリーフがあり、高い位置にある窓にはステンドグラスが彩っている。
幼い時から幾度となく訪れたこの場所。
荘厳な雰囲気は変わらないが、どこか物悲しく感じるのは、かつてあった神威が失せたせいだろう。
もう半年以上前になるが、11の神が失せた日、悪魔がここに現れた。
神を祀る場所にもかかわらずだ。
そもそも悪魔とは何なのか。
イッロは改めて、そんな考察を巡らせる。
この国の歴史同様に、悪魔に対する知識は乏しい。
悪魔というものの概念は、他国からの知識と言ってもいい。
「神官殿。悪魔の伝承、亡国ヤルマテアはご存じか?」
イッロが振り返り問うと、女神官は頷く。
年代は不確かだが、悪魔が滅ぼしたとされている国、ヤルマテア。
悪魔によって堕落し滅んだ国、ヤルマテアの伝説は国民の誰もが知っている昔話だ。
悪魔のイメージの大元はまさにこれだろう。
ムラクモの歴史などよりよほど有名だ。
だからこそ、悪魔は、悪魔憑きは嫌われているのだ。
「殿下。あの日、私はあの扉の隙間から見ておりました」
恐れなのか、怯えなのか、穏やかだが少し低い震え声で神官が言った。
「咎めはしない。……で?」
「はい、あれは、あの"悪魔に”似すぎていたのです」
「伝承の悪魔にかな?」
「はい」
悪魔は、仮構、虚構、真実問わず“悪”として、多くの逸話や絵本に描かれてきた。
そんな様子が、悪魔ルイに酷似していたのだろう。
「多少脚色はされ、醜くは描かれているが、悪魔と言えば、あの姿だな」
そもそも他の悪魔をイッロは知らない。
イッロの知識量で知らないなら、ほとんどの民が知らないだろう。
イッロは顎に手を当てた。
そして胸ポケットから眼鏡を取り出し鼻先に乗せ、女神官に緩やかな歩調で近寄った。
「神官殿、なぜ今それを?」
「イアマナ様が、ススム様を使徒に迎えられたあの日、見つけたのです」
「いったい何を見つけたのか」
「それは……」
女神官は、神殿の中央に進み、目を逸らしながら床を指さした。
イッロも一歩遅れて中央の床の前に進み、屈んだ。
白い床石に、ひびが入っている様子が見止められる。
女神官は床から目を逸らしたまま言った。
「割れた床石の一つが、指が引っかかる程度に浮いていたのです」
それを無理やり押し込んだのだろう、角が僅かに削れている。
「ふむ」
イッロが割れた一角に指をかけた。
そして、引っ張り上げると多少重いが、十分持ち上がった。
その傍らで、神官は怯え、顔を逸らしたままだ。
イッロは、一つ二つと、割れた床石を退けていく。
「これを見たのか……。神官殿お名前は?」
「エルテナ・アシャと申します……」
「これは、絶対偶然などではない……。エルテナ殿、お手柄だ」
それの全容を確認するため、イッロは立ち上がり、踵で蹴って脆くなった床石を割った。
そしてあらかた退け終わると、“それ”があらわになった。
「ですが、イアマナ様の、神所でそんな……」
「知らない台座があるわけがないと? ふふ、ある物は仕方ない。おそらくは歴史の一端だろう」
イッロがほくそ笑む。
そんな視線の先には、桜の花のレリーフがあしらわれた相当に古い台座が埋もれていた。
十三番目の台座か?
いや違う、この場所のちょうど中央だ、おそらくこれが最初の台座だ。
その証拠に、単に増築時の名残ながら、単一神だったころのイアマナのものとも考えられるが、その場合桜の花のレリーフはおかしい。
天井のイアマナのレリーフは、神体の周りにあしらわれているのは若草模様なのだ。
ではなぜ隠したのか。
「そこに、隠された真実があるからだろう! ふははははは!」
大きすぎる独り言を放り、イッロは仰け反るように笑った。
「ひっ」
エルテナは肩をびくつかせ、イッロにも怯えた。




