18、難物の叡智
眠った時に見る“夢”は、人の強い思念の影響を受けやすい。
ただ、残る情報はあまりにも断片的なため、夢の中では、見た事のない景色や、時間経過や考証が曖昧な形で表現される。
だがキューコは、ハチロの旅路をほぼ完ぺきな状態で見ていた。
血の繋がりと、“夢次元隔離”という状況がそれを可能にしたのだ。
その日、生い立ちや悲しい別れも追体験したせいで、キューコは教室の隅で膝を抱いて泣いた。
授業は自習になり、ルイはキューコが席につくのを何も言わずに待った――。
キューコの繋がりを利用して、悪魔ルイも状況を把握することが出来た。
約18年前、【港街ケルセン】を犠牲にして勇者の転生召喚が行われていたこと。
ムラクモを生贄に、強い勇者なのか、たくさんの勇者なのかは分からないが、転生召喚しようとしていることも分かった。
女神ウェヌースが、なぜそれほどに勇者を欲しているのか。
イヴァール帝国は、この大陸列強の中でも筆頭だ。
ムラクモはさておき、勇者を他の国に対する切り札とするとは考えにくい。
戦争なら強い個体に頼るより、強い群体、もとい軍隊だ。
替えのない10の強さの勇者より、替えの効く1の強さの兵士を100人集めた方が効率的だ。
女神の祝福で兵の強さを二倍にできるなら、数字の上でも100人を倍にした方がいいのは自明の理。
では、勇者が必要となる脅威とは何なのか、新たな謎だ。
勇者の血属からは英雄が生まれやすく、英雄を生贄にすることで、もっとも効率よく勇者を召喚できる。
そんな神の理屈は、悪魔のルイには分からない。
ムラクモの女神イアマナは理屈は分かるが、結局理由は分からないだろう。
ムラクモが狙われた理由は、英雄が育つ土壌にある。
なら、なぜ英雄が育つのか、そこに何か鍵があるのだろう。
可愛いミニ悪魔の紋のついた羽織り袴姿のルイは、教壇の机に頬杖をついて考えていた。
そんなルイをじっと眺めるキューコの今日のいでたちは、大正袴の女学生スタイルだ。
ルイは、教壇から降りて、キューコの席の前に立った。
そしておもむろに、キューコの髪をくるくると指先で弄び、微笑んだ。
「ねぇ、キューコ」
「く、くすぐったいよ」
遊ばれたキューコの毛束は、ルイが放すと程よい弾力で解れた。
そのタイミングで、キューコの顔にすっとルイが顔を寄せる。
「兄姉たちで、一番歴史に詳しいのは誰だい?」
「それだったら、ダントツでイッロ兄さまだと思う」
「あぁ、長兄の彼か……」
「何か問題?」
「ああ、うん。君の兄姉の中でも彼は、一番ボクのこと嫌ってるからね」
「あぁ、そうかも……。でも、何か頼みごとがあるなら私からお願いしてみるよ?」
「可愛い妹のお願いなら、彼も断らないか」
ムラクモの歴史、ルーツになにかあるとルイは考えた。
それを確かめるには兄姉の中でも随一の難物の力が必要だった――。
現実世界に目覚めるとキューコは、傍らに控えるカロワンを確認。
「イッロ兄様を、呼んできてくれる?」
「かしこまりました」
カロワンは耳を揺らしながら一礼して、直ぐに部屋を出て行った――。
――僅か40秒後、カロワンはイッロの執務室の扉の前に立った。
普通のメイドなら、王城内を慌てず移動して5分弱かかる。
カロワンは相変わらずの歩法で大幅に時短。
途中で出会った騎士や、内政官の前では普通に、むしろ優雅に一礼して通り過ぎていた。
切り替えが凄まじい。
当然、息切れもない。
カロワンは扉を控えめにノックする。
「どうぞ」
穏やかな声が入室を認め、カロワンは扉を開けた。
執務室の中央、イッロの前のテーブルには書類の山。
その脇の席には政務官が3名、それぞれが忙しそうに書類に向かっている。
イッロは、書類の山の隙間からカロワンを見るなり、スッと立ち上がった。
そして上着を羽織ると、直ぐに歩き出した。
「あ、あの、イッロ様……、どちらへ?」
若い政務官の一人が、嫌な予感と共に不安げな声を投げる。
「決まっているだろう。この世でもっとも重要かつ、必要な案件に向かうのだ」
イッロは政務官のほうは一切見ないで歩きながら、デスクワークは終わりだ、とでも言いたげに眼鏡を胸ポケットに収めた。
もちろんカロワンは何も言わず、扉を開けたまま脇に避け、イッロに一礼を向ける。
イッロは、廊下に出た瞬間、全力疾走を開始する。
騎士とすれ違おうが、政務官とすれ違おうが、お構いなしに。
そして約一分後、イッロは息を切らしてキューコの部屋の前にたどり着く。
そこには既にカロワンがいて、『よろしいですか?』とイッロに目配せで問う。
するとイッロは、激しい深呼吸で、一気に呼吸を整えてから頷いた。
「イッロ様がいらっしゃいました」
そうカロワンが扉を開くと、何事もなかったようにイッロがキューコの部屋へと滑り込んだ。
ここまでに要した時間は2分。
「お兄様、ベッドの上から失礼します」
キューコが、ほんのわずかに《贅肉が邪魔そうに》頭を下げる。
「何が失礼なものか、可愛いキューコ。まずはハグしていいかい?」
さわやかな笑顔を向けながら、ベッドのキューコに歩み寄ったイッロ。
そのまま、豊満な肉体に埋もれるように抱きしめた。
ちなみに手は、回らない。
すーっと小さな息継ぎの音が、キューコに埋もれながら続く。
それが結構長い。
「……。お兄様、実はお願い――」
と、なかなか離れない兄の背を撫でながら、キューコが話し出すと、
「あぁ、引き受けようとも」
イッロは、キューコが言い終える前に了承。
抱きしめたまま、埋もれたままで頷いた。
「まだ何も……」
困った様子のキューコを他所に、イッロは埋もれたままで息を吸い込み、そして吐く。
それをしつこく続けて、キューコが怒る寸前を見切って離れ、余韻に浸るような笑みで頷いた。
「私が、キューコに頼まれて困ることがあるとしたら、それは『嫌いだから死んで!』という言葉に尽きる。しかしそんな言葉を、キューコは私に対して絶対言わないと分かっている。つまりだ、その他であるからなにも困らないというわけだ。で、私は何をしたらいい?」
二つ返事なのはいいが、結局内容は説明しなくてはいけないという現状はさておき、キューコにはこうなるだろうと想像できた。
それくらい、イッロはキューコに甘かった。
キューコが今の姿になる前は、弟妹やメイドや近衛兵たちの手前、遠慮もあった。
だが悪魔に憑かれてからというもの、そんな遠慮はどこかへと吹き飛び、状況確認も含めとにかくスキンシップが激しくなった。
そして、事あるごとにキューコを心配するイッロ。
行き過ぎた過保護がたたり、キューコに、『呼ぶまで来ないでください』と言われた実績を持つ。
悪魔に対しては、キューコに呪いをかけたことも腹に据えかねたが、それよりも何より夢の中で自分の十倍以上の時間を、前と“変わらない”可愛いキューコと過ごしているという事実に、ハラワタが煮えくり返るほどの怒りを覚え、それでさらに嫌いになったのだ。
冷静沈着、ムラクモの叡智と評されるほどの逸材なのだが、ことキューコに対してはとにかく面倒くさい男だった。
キューコはイッロに、依頼を二つ投げた。
一つは、英雄が生まれやすい土壌なのはなぜか、謎の多いムラクモの歴史だ。
実は、このムラクモには建国の王の曖昧な物語以外、830年前の情報がほとんど残っていないのだ。
それを掘り起こして、どうするのかと、イッロは問わず着手を約束した。
そしてもう一つは、十八年前イヴァールのどこかで勇者が生まれたという事実を調査してほしいというものだ。
これはイッロから直ぐに“長女ニコ”へと投げられた。
――で、ムラクモ王家の内政のツートップの出番が到来したってわけ。
ニコ姫の話はちょっと避けて置いて、次回は長兄であるイッロ王子の活躍をごらんいただこうかな。
ふふ、これがなかなかの大冒険なんだよ。




