17、旅の終わり。
「やっと終わった」
「あぁ、終わった。ルサール、……アンタはこれからどうするんだ」
「そうさね、この子と、……故郷に帰るよ」
ベテラン魔獣使いのルサールは、そうハチロに笑った――。
――翼の柔軟な可動域は鱗に守られておらず、もっとも脆い部分だった。
全ての翼を失い、冷静さと同時に強者の余裕も消えた。
バリュオンは怒り狂う。
「おのれぇ、おのれ、おのれぇぇぇ」
荘厳さと、優雅ささえあったバリュオンが一変、ススムに向かい大口を開けて牙をぎらつかせた。
その見た目に、もっとも似つかわしい攻撃だ。
だがススムは、至って冷静に闘牛士の如く牙をかわし、その勢いのまま自身の体を軸にしてバスターソードを思い切り、振り下ろす。
斬るというより、打撃の様相だ。
翼のあった根本に、致命打には足らないが、確実にダメージを刻み込む。
「ぐあぁぁぁ」
バリュオンが人のような悲鳴を上げる。
ススムは、回り込んでさらに一撃。
位置取りを変えて、さらに一撃。
大技は狙わない。
確実に、一撃一撃と叩きこんでいくススム。
そのたびバリュオンは目を見開き、反撃に繰り出した牙や爪が空を斬った。
バリュオンに一撃貰えば即死だが、そんなものにススムは当たらない。
ダメージはどんどんとバリュオンに蓄積されていく。
そのまま大勢が決するかに見えたが……その時だった。
空から、光の雪が降る。
それは神の降臨を告げる現象、“降臨雪”だった。
ススムは咄嗟に、バリュオンから距離をとった。
同時に、テロルも飛び退いた。
ハチロとロビンが身構える、その視線の先で光の雪はバリュオンにだけ降り注いだ。
「おぉ、主よ……、どうかお許しを……」
バリュオンは光の雪を浴びながら怯える。
そして、冷静さを取り戻している。
「奴らを、必ずや、捧げます。……この身が壊れる前に」
バリュオンは天に向けて祈りの言葉のように告げた。
バリュオンの黒い体に赤いマグマのようなひび割れが走った。
同時に、黒錆の竜を中心に空気が震え、得体のしれない危険をロビンとテロルが感じ取る。
ハチロもススムも、それが“神の力”によるものだと、直感で理解した。
「主よ、勇者と、英雄と、獣を捧げます」
決意のような言葉を零し、琥珀色だった目が、狂気の赤に染まる。
何かが来る。
咄嗟にススムは防御姿勢を取った。
防御でどうこうなるとは思わないが、それしかなかった。
テロルがススムを庇うように、ススムの前に躍り出た。
その時、ロビンはハチロを探していた。
翼がないのに、バリュオンの正面に光が収束した。
熱光線が来る。
おそらく範囲は翼の時より確実に狭いが、威力は同等だろう。
神の祝福の成果なのか、命を削って繰り出すような、そんな雰囲気すらある。
いつの間にか、ハチロは、ススムとテロルと、ロビンの前にいた。
「其は靡き、滔々と流るる。散り散るは花片、素は触れ、成す風の如し、題すれば、それすなわち、花に風」
紡がれる呪詛は、ハチロの口からだが、その声はハチロではなかった。
危機が迫った時、時限的に発動するような、そんな仕掛けだ。
狭い範囲の破壊光線がバリュオンの額付近から、広がるように照射された。
ハチロは、呪術具を扱うように、ガラス板に挟まれた蓮華の花を突き出していた。
破壊の光が、ハチロたちを飲み込もうとした瞬間、空中に花びらが散った。
それも激しく、視界を遮るほどの花びらが渦を巻く。
「な、んだと」
バリュオンが零す。
辺りを覆うほどの花弁は、燃え散りながら光線を遮っていた。
そして光線が途切れた。
ハチロも一言、ハチロ自身の声で零した。
「ヒムカ母さん……」
ハチロは、粉々に砕けた押し花を握りしめながら膝から崩れた。
「おい、ハチロ!」
ススムが声を荒らげる。
それは安否を気遣うのではなく、まだだという意味だ。
バリュオンは、異様なほどひび割れているが、いまだ健在だ。
「ふはは……、お前たちだけでも捧げれば……」
再び、竜の前方で光が収束し始めた。
それは我が身と引き換えに最後の一撃を思わせる。
ハチロは動けない。
呪術が無理やり発動した結果、体が悲鳴を上げたのだ。
だがススムは飛び出す。
放たれる前に、叩くために。
“俊足”に賭けた。
だが、光の収束の方が速かった。
ダメだ、間に合わない。
そう、ススムが諦めかけたその時だった。
誰かが、ススムの前に滑り込んだ。
その人物は、銀色の大盾を構えている。
ススムは反射的に飛び退いた。
盾は、光線を防ぐためではない、反射させるためだ。
盾の面積分だけ光が反射し、そして反射した光は、バリュオンへと叩きつけられた。
「ぐがぁぁ」
野太い悲鳴。
バリュオンの顔が焼け、目玉が爆ぜた。
それとほぼ同時、盾をもった人物の、盾からはみ出た下半身が燃え、瞬間で炭化した。
「あんたは……」
ハチロはその人物を知っていた。
名は知らないが、ギルドで酔っぱらって絡んできたあの男だ。
あの男が、たった今、目の前で即死した。
バリュオンへと、さらに新たな影が飛びついた。
それは見覚えのある魔獣ガルンティガーだった。
「レージ!」
女の声が飛び込む。
レージの逞しい四本の前足が、バリュオンのひび割れを足掛かりに、半ば無理やりに押さえ込む。
視界を失い、激しい痛み、バリュオンは混乱の絶頂だったのだろう。
どこを狙うでもなく、再び額の前で光が収束し始めた。
その光に巻き込まれ、レージの右半身が炭になって砕けた。
それでも、左半身だけで、深く爪を食い込ませている。
そして、悪あがきの光線が放たれようとした瞬間だった。
ジュッと、嫌な音が響いた。
その音の僅か前、地獄の業火でロビンが砕いた鱗の場所に、よく知る女性の手で長剣がねじ込まれた――。
――魔獣使いルサール・シィリーは、少しだけ疲れた様子で微笑んだ。
「アンタ、ルマハの旦那と、ヒムカの息子だろ? 生きてたんだね」
ハチロも勤めて、微笑みを返す。
「……ばれてたのか」
「アンタは母親似だね。すぐに分かったさ。本当の名前は?」
「言ってくれればよかったのに。ハチロだよ」
「言えないさ。だって隠してたんだろ? なぁハチロ」
「うん。隠してた」
「あの日はさ、“この子”に経験を積ませるつもりで、アンタの親父。カシミル商会のルマハの旦那に頼み込んだんだよ」
「そう、だったのか」
「本当は、アタシが死ぬはずだったのにさ……。でも、やっと“会えた”。やっと終わったよ」
「あぁ、終わったね。ルサール、……アンタはこれからどうするんだい?」
「そうさね、“この子”と、……故郷に帰るよ」
「そうか、……寂しくなるよ」
「おや、レージはもう森へ帰ったか。あぁ、そうだ、クマラはどうした? ほら、いつもの酔っぱらいさ」
「あぁ、彼は……、酔いつぶれて寝てるよ」
「そうか、よろしく伝えておいて……くれ……よ」
そんな他愛もない、よくある言葉を最後にして、ルサールは笑いながら輪廻に旅立った。
「あぁ……。わかった」
ハチロも笑った。
こらえ切れず、流れ出すまでの間。
イアヌの都には、何事もなかったように日常が戻っていた。
いや、実際都の人には何もなかったのだろう。
「“ハーチさん”、ルサールさんは何か言ってませんでした?」
ギルドの受付嬢が、そんな問いを向けた。
「故郷に帰るって言っていたよ。みんなによろしくってさ」
「あぁ、そうなんですね。はぁ、そっかぁ。頼みたい案件いっぱいあったのに」
「そうなんだ? じゃあ俺も行くよ」
「ハーチさんも、里帰りでしたね。お帰りをお待ちしてますね」
そしてハチロはギルドの面々に別れを告げ、ギルドの酒場でワインを一本購入した後、ムラクモへの帰路に就いた。




