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15、伝説の再来。

 竜巻は驚くほど静かに掻き消え、濃い雲には竜巻の影響で大穴が開いている。

 そして、その穴の中央には“それ”がいた。

 

 四枚の翼を緩やかに振るいながら、“それ”は徐々に降りてくる。

 

 イアヌの都の郊外にある平野から、ハチロは“それ”を見上げていた。

 伝説級の魔物(レジェンダリー)、【黒錆の竜バリュオン】 

 

(あれが、……そうなのか?)

 異質の存在感からすれば、ただの魔物でないことは明白だが。

 黒錆の異名を持つはずの“それ”は、形こそ伝承の通りだが、色は夏空の雲よりも白かった。

 

 挿絵(By みてみん)

 

 神々しいとさえ思える姿が、地表に降り立った。

 またたきの少ない琥珀のような瞳は、ほんの少し前に立つハチロを眺めている。

 

 ハチロは、初動を迷った。

 敵意が向けられたり、脅威に感じることが出来れば臨戦態勢で挑めたかもしれない。

 現れる前の荒々しい様子から一転、全てが穏やか過ぎたのだ。

 

 ロビンはもっとシンプルに、本能的に動けなかった。

 

 

 見つめ合うだけの数秒の静寂が、ハチロには酷く長く感じた。

 そんな静けさが、魔物の言辞(げんじ)によって終わる。

「なぜ、ここにいる」 

 視線を交えて魔物の喉が揺れた。

 声は間違いなく声帯から発せられている。

 しかも、穏やかで、慈しむような優しさまで感じる声だ。

 

「なぜ、……とは?」

 ハチロの声は、僅かに緊張で裏返った。

 “なぜ、ここにいるのか”という問いは、広義的すぎる。

 それ以前に、言葉を交わせること自体が想定外だった。

 

「逃され、生かされたお前が、なぜ再び目の前にいるのか。だが、いや、そうか、私が遣わされたのは、お前が現れたからか。……因果よな」

 そうバリュオンは、柔らかな言の葉を、前半は問い、後半は納得でしめた。

 

 【港街ケルセン】の惨劇。

 話の通りなら、確かにハチロは逃され、生かされたということになる。

 だが、なぜそれが、バリュオンが現れたことにつながるのか。

 

「因果だと……?」

 ハチロは自問する。

 

 赤ん坊だった頃の姿を見ただけで、今のハチロを認識していることも驚きだが、そんなことはさておく。

 ハチロが現れたからバリュオンが現れた、という文言自体はハチロにとって大した問題じゃない。

 “遣わされた”が関連するのは、【女神ウェヌース】だろう。

 核心に迫るような重要なことではあるが、今のハチロが言いたい言葉は“これら”ではない。

 

「母さんは、父さんは、……なぜ死ななくちゃいけなかったんだ?」

 今度は自問ではなく、“女神の使い”に対する問いかけだ。

 ハチロの中で、すべてを差し置いて、この言葉が上回っていた。

 

 物心つく前に死んだ母を、父を、ハチロは想う。

 触れ合った記憶も、抱かれていた感覚すら残っていないのに、それでも凄く愛おしかった。

 それは兄妹たちや、我が子と変わらず愛してくれたタッロ王や、イツカ王妃のおかげだ。

 彼らに、繋がる血を感じることが出来たからだ。

 

「この世界に勇者を“招く”のに最高の贄だった。だが、お前とお前の母は贄にはならなかった」 

「俺たちが生贄にならなかったから……街が一つ犠牲になったとでも言いたいのか?」 

 規模こそ大きく違うがススムを“招いた”時と同じく、18年ほど前に7千人が生贄になったと解釈できる。

「その通りだ」

 と、目の前の伝説級の魔物(レジェンダリー)が容易く肯定した。

 

 そして、招かれた転生勇者こそが神西南義(かみにし みなよし)だった。

 ミナヨシがムラクモに現れるのは、半年先のことで、当然、今のハチロは知るよしもない。

 

 だが、理解はできる。

 どこかに勇者が存在していて、それがムラクモを襲うかもしれないという現実を。

「それでも、母さんは死んだんだよ……。なぁ、なぜ、そうまでしてムラクモを狙うんだ?」 

 いろいろな情報が、感情が絡みあって喉が緊張で渇く中、ハチロは声を絞り出す。

 

「そんなことよりもお前は、選ばなくてはならない」

 何がそんなことだと、ぶちまけそうになる感情を押し殺し、ハチロは震えた声を向ける。

「……何を選べと言うんだ」

「今度はお前が贄となるか、そこの都(イアヌ)を犠牲にするか。お前の母の時と同じく、逃げる猶予は与えよう。だが不可能なのは分かっている。なぜなら今回は、お前たちを逃した父親も、英雄未満の戦士たちもいない」

 感情の機微なく、魔物は淡々と告げた。

 

 ハチロは、片方の手のひらで、己が額を掴んだ。

 そして小刻みに肩が揺れ、状況とは似つかわしくない声が漏れた。

「はは、あははは……」 

 伝承の魔物は、そんなハチロに相変わらず声だけは穏やかで、機微なく眺めながら言った。

「なぜ笑う?」

「いや、なまじ言葉が通じるからさ、期待してたってのもある。けど違ったんだ。何というか“ずれ”てるんだよ。認識というか、意思が通わないっていうかさ」

「ふむ」

「母さんが逃げたから犠牲が出た? 違うな、母さんは逃げてなんてない。お前なんて眼中になくて、俺を守るために死と戦ったんだ」

 本当の母の思い出は、ハチロにはない。

 だが、そう思えるだけの確信はあった。

 

 そして、母とハチロを護るために、父が死んだと知ることが出来た。

 とんでもない悲しみと同時に、こみ上げる嬉しさ。

 本当に複雑な気持ちだ。

 

 だが凝りがやっと解けた、ハチロはそんな風情で肩を回して体全体を解した。

 ロビンも同様、拘束から解かれ、ぶるぶるっと震えるように体に気を通わせている。

 

「私は、神の使徒だ。抗戦を選ぶか」 

 やはりバリュオンは優し気に、なのに無機質に感じるような声で告げた。

 

「逃げるのは不可能なんだろ? というかさ、腹が立つんだよ。心底腹立たしいんだ。怒りだとか、悲しみだとか、全部ひっくるめて、腹が立つ。お前にも、お前なんかに怯える自分にも」

 そう相棒のロビンの頭を撫でてから、ハチロは都の方を一瞥した。

 

 出方の分からない敵を前に、後手な時点で分が悪い。

 だが感情に流されないハチロの冷静な部分は、いろいろな状況を加味して考えていた。

 

 これだけの異変が起きてるのに、都からは何のアクションもない。

 以前ペンダントをした老人が少女にしたような、あれよりもっと強力な洗脳力のようなものが働いているのだろう。

 ハチロは、都からの援護の類は諦めた。

 

「“最後に”一つだけ教えてくれよ。何でムラクモなんだ?」

 ハチロは改めて魔物に向き直り、外套の下のベルトにぶら下がった、二本のナイフに手を置いた。

「よかろう。もはや逃げることは叶わない。せめてもの手向けだ」 

 バリュオンの純白だった鱗が、ふちから変色し始めた。

 それが体全体を黒く染め上げていく。

 

 まさに黒錆の竜となっていくバリュオンが言った。

「英雄は、勇者を招く最良の贄。お前も、お前の母も。英雄を育むムラクモは最良の贄床(にえどこ)なのだ」

「なぜ勇者を“呼んで”いる?」

 悪魔ルイと同じく、ムラクモを倒すために勇者を召喚しているのだと思っていたハチロだが、どうやら趣が違う。

 まるで、勇者を召喚するのに別の理由があるように聞こえたのだ。

「手向けは、果たした」

 追加の問いは答えない、ということだろう。

 空気が一気に高圧的なものに変わった。

 

「ちぃ」 

 と、舌打ちの後、ハチロは後方に飛んで今までの倍以上の距離を空けた。

 同様にロビンも後方に跳ねる。

 

 広さはある。

 イアヌの都が大きくなっていくだけの伸びしろを示す平野だ。

 もっとも十分かどうかは、魔物の能力次第だが。

 

 ハチロは位置取りを探るように大きな円を描くように動く。

 背後に都をおくのはまずいが、森を背にするのも避けたい理由がある。

 選択肢は、荒地の丘陵を背にするか、都を支える河川を背にするかだ。

 

 ハチロは、ジリジリとバリュオンの様子を窺いながら、川を背にする位置を取った。

 

 その間、バリュオンは動かない。

 ハチロの動きを、弱者の小細工程度に眺めていたのだ。

 策を講じたところで、圧倒的な力の前では無力だとでも言いたげに、バリュオンの琥珀の瞳がかなりの精度でハチロを値踏みする。

 

 そんな余裕のおかげで、ハチロは移動することが出来た。

 

 バリュオンからすれば、ハチロの動向は不可解だっただろう。

 なぜ、退路がない川を背にしたのか。

 飛び越えるのは不可能な幅だ。

 陸よりも水の中で長けているなら話は別だが、人族でそれはない。

 

 何か策があるのか、愚かなのか。

「所詮は人か」

 と、その言葉が思考の結果を物語る。

 

 バリュオンは、種としての人を見下していた。

 事実、バリュオンが伝説の魔物(レジェンダリー)と呼ばれる所以は、純粋に強さにある。

 

 【港街ケルセン】の惨劇は、以前にも書物に記されていた。

 バリュオンの威風が、幾度となく吹き荒れたという惨劇の歴史。

 そのたび、多くの民が生贄に捧げられてきたのだろう。

 

 神の使徒。

 言葉の通りなら、神に次ぐ存在ということだ。

 そして神と違い、バリュオンは物理的に力を行使できる。

 

 今まで勝てる存在なんていなかった。

 おそらくは、今後もないと思っているのだろう。

 バリュオンにはそんな余裕がある。

 

 だが、そんな存在だって、きっと制約がある。

 例えばだが、【女神ウェヌース】の治める土地にしか顕現出来ないのかもしれない。

 

 そういう意味では、切り札キューコと似た存在なのかもしれない、とハチロは妹の事を思い浮かべた。

(後顧の憂いはない)

 そう、ムラクモには切り札がある。

 ハチロは外套から、両方の手に不ぞろいのナイフを握って抜き放つ。

 

「ワオォォォォン」 

 ロビンの、始まりの咆哮が平野を駆ける。

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