14、歴と慟哭。
それは人を乗せるにはやや小さいが、逞しくしなやかな肉体を持つ。
前脚が四本、後脚が二本あり、宝石のような青い瞳の魔獣。
種族名はガルンティガー。
“彼女”は【レージ】と呼び、いつも連れていた――。
――ハチロは適度に依頼をこなす傍ら、街の状況を調査する。
依頼内容は、大抵近隣の害獣、魔物の駆除や、薬草の採取や護衛と言ったものがほとんどだ。
依頼の後は、教会など、女神の名を冠する場所は避け、情報を収集。
結果、都の上級役人と都長らしき人物は遠巻きにだが、赤いペンダントの所持を確認できた。
ススムの言葉の裏付けだ。
情報収集の後は、ギルドホールに戻ってその日を終える。
“彼女”と話すようになったのは十日前。
依頼を終え、ギルドカウンターに終了報告に訪れた際、ちょうど彼女も依頼を終えて帰って来た。
お互いが先を譲り合ったりと他愛なく、話すようになった。
そのうち、バーカウンターで隣同士に座るようになった。
この日も、仕事を終えたハチロに、バーカウンターの端の“彼女”が木杯を持ち上げる。
「お帰り、ハーチ」
ハーチ・ルディーン。ハチロの偽名だ。
ムラクモのハチロという名は王族のものだから、用心したのだ。
顔つきは、母によく似ているらしいが、母の知人に出会いでもしなければ問題ない。
むしろハチロにしてみれば、知人がいるなら出会いたいくらいだった。
イヴァールの血も受け継いでいるし、混血は珍しい事じゃない。
実際、雰囲気的にはイヴァール感もあるから特に不審がられることもない。
ハチロが情報収集には適任だったという理由だが、当然兄姉たちからは、『そんな危険な任務はダメだ』と反対されたが、言い出したのはハチロからで、あとは熱意で押し切った。
見かけに拠らず、ハチロにはそういう頑固な一面もあった。
「あぁ、ただいま」
ハチロを迎えてくれた“彼女”の名はルサール・シィリー。
齢54の魔獣使いだ。
引退してもいい歳だが、彼女はいまだ現役。
彼女自身も剣を修めているらしく、体つきは引き締まっている。
実年齢よりは若く見えるが、刻まれた年輪は当然節々に現れていた。
金髪に混じり込んだ白髪は程よく、整えたアッシュグレイのようにも見える。
彼女は、いつも穏やかな表情で、仕事終わりに三杯だけワインを嗜む。
夕食を終えると、ハチロはそんなルサールと世間話を交わす。
世間話の延長で彼女の足下にいるガルンティガーを眺め、ふとした疑問を投げた。
「レージとは長いのかい?」
「なに、つい最近さ」
ルサールが杯を傾けながら答えると、いつも近くの席に座る禿げ上がった酔っぱらいが茶々を入れた。
「何が最近だよ、18年も連れ添ってやがるくせに」
本人よりもずっと物知りな酔っぱらいは、言うだけ言って、また飲んだくれる。
「だそうだ」
と、ルサールは他人事のように笑うと、ハチロも、つられて微笑んだ――。
ハチロとルサール。
その出会いは、因縁だったのかもしれない。
――18年前。
春雷の中にそれは突然現れ、この都からほど近い【港街ケルセン】を一夜にして焦土と瓦礫の街に変える。
死者、行方不明者は合わせて7千人超。
蜥蜴に似た体は黒鉄の色で、猛禽類のような嘴、背には四枚の翼を持つ。
サイズは、大型の馬ほどだが、その威勢は大地を揺らすという。
それは古い伝承にも残る【黒錆の竜バリュオン】だった。
当時の資料によれば、イアヌから到着した【カシミル商会】の商隊もこれに巻き込まれ、全滅。
ギルドからも護衛に6名同行していたが全員死亡。
会頭のルマハ・カシミルと、その妻ヒムカ・カシミルと、生まれたばかりの息子も犠牲になったと記されている。
その後、商会はすぐに解体されたらしい。
今は伝説級の魔物の話と共に、カシミル家は哀れな犠牲としてしか残っていなかった――。
「コイツと私は、利害が一致してるだけでね」
レージという名を持つ穏やかなガルンティガーを後目に彼女は言い、それから酒を煽る。
ガルンティガーの名は真の名前でなく、おそらく便宜上つけた名前なのだろう。
ハチロは、それ以上深くは問わなかった。
ギルドに残った資料の端と、酔っぱらいの戯言の端に、カシミル家とルサールの意外な関係を、ハチロは偶然見聞きして、知っていたからだ。
『ルサールはよ、憑りつかれてるのさ。死んだ息子の亡霊に』
酔っぱらいの戯言がハチロの中で再生された。
愛してくれる母を恨む息子など、いるわけがない。
仮にいるとするなら、それは母の、嘆きが生んだ幻影だ。
そうハチロは胸に溜まった言葉を吐かずに、そのまま呑み込む。
未完遂の依頼の欄に、味気ない文章でこう記されていたのを思い出す。
『魔獣使いリヤル・シィリー、初の依頼、カシミル商会の護衛任務で死亡……』
ルサールの息子のことだ。
ハチロは自分の正体をルサールに明かしていない。
一方的に見聞きして、そして咀嚼して知っているだけだ。
別に明かしても良かったが、だからと言ってルサールから事情を聞こうとも思わなかった。
今の彼女の笑みが、たとえ偽りでも、彼女が越えて来たであろう慟哭の時を、穿り返したくはなかったからだ。
こうして杯を傾けながら、彼女はずっと待っているのだろう。
伝説級の魔物、【黒錆の竜バリュオン】が再び現れる時を。
それが彼女の生きる意味なら、それを支えに生きていられるなら、それでいい。
そして、どうせなら一生復讐の相手など現れなければいい。
と、ハチロは傍らの横顔を眺めながら思った。
なぜ、そう思ったのか、この屈強な女傑の境遇に、似ても似つかないだろう母親の気持ちを、勝手に重ねてしまっていたからかもしれない。
そう自己解析できる程度にハチロは冷静だから、余計なことは口に出さないでいられた。
「アタシの顔に、何かついてるかい?」
「いや、今日も酔わないんだなと思ってね」
「三杯ごときじゃ酔わないさ、酔っても、ふとした瞬間に覚めちまう」
たまには酔って、泥のように眠ればいいのに、とハチロは思ってもやっぱり口にしない。
少しだけ微笑んでから、ハチロは紅茶を嚥下する。
翌朝、空は今にも泣きだしそうな曇天。
窓を叩く風は、刻々と勢いを増してきているように感じる。
元から厚く暗かった雲が、さらに厚みを増して、闇を創り始めたその時、
『カッ』
北側の空が雷に照らされ、ギルドホールの人々の視線が、自然と向けられた。
「おい、竜巻だ……」
冒険者の一人が言った。
多くの人々が向ける視線の先で、渦巻く風が天まで手を伸ばす。
そして雲を巻き込み、うねっていた。
ハチロには、なにか肌にひり付くような感覚があった。
禍々しいとさえ思うそれは、キューコの発するオーラとも違う。
因果なものだ。
出るなと願うと、それとは反比例して出てしまうような。
多分それにも、人には分からないレベルで意味があるのかもしれないが。
ハチロは、マフラーを口元まで持ち上げ、ギルドホールの扉を開く。
「ハーチさん、こんな中を、どちらへ?」
受付嬢が心配を含んで問いかける。
ハチロは、肩越しに手を振り言った。
「ちょっと野暮用だよ」
そして、ロビンと共に扉を潜って出て行った。
(あれは、どれくらいで顕現するのだろう)
竜巻を見上げ、ハチロは駆け出した。
ロビンも並んで走る。
ハチロが、わざわざ関わる必要はない。
なのに、冷静なはずのハチロは自ら向かった。
伝説級の魔物が現れるかもしれない、その場所を目指して。




