13、勇者と生贄。
信徒が捧ぐ祈りと同じく、“生贄”もまた神の力となる。
神は、そのエネルギーを用い、加護や、恩恵、奇跡を行使する。
言わば、想いの力ともいえる信心と違い、生贄は命そのものだ。
前提として生贄に捧げられる命は、信徒である必要はないが、“信徒が”捧げねばならない。
その、最たるものが宗教戦争だ。
信者はその手を血に染め、他者の生の軌跡を捧げ、他者の未来を捧げるのだ。
“生贄について”
今日のルイの講義は、重く暗い雰囲気を纏っていた。
教室もどこかほの暗く、唯一、キューコのワイシャツの白だけが明るかった。
「ムラクモを、生贄にしょうとしたんだよね……」
キューコが紡ぐ。
問うと言った声量ではない。
呟くような、自分に確認するような、吐息のような言葉だった。
村一つを生贄にススムが召喚されたなら、国一つで、女神ウェヌースはなにを企んでいるのか。
依然として謎のままだ。
ルイはチョークで黒板を叩き、新たなワードを書き加えた。
“神の行動原理とは”と。
「率直に言うと、これは人を、己の信者を守ることだけど、キューコはどう思う?」
「……矛盾していると思う」
「確かに自国の村を生贄にするというのは、一見して矛盾に見えるが、こう考えてみてくれ」
チョークが、速いリズムを刻み、文字が描かれる。
“対価である”
「対価……?」
「うん。例えば、自分の領地で、小麦畑を荒らす害獣が出たとする。だけど、倒すための武器がないとしたら?」
「作る、もしくは……買う……?」
「そうだね。素材を買うか、武器を買うか。手放すものがなければ、小麦畑を守るために、小麦畑の収穫物を対価にしてね」
「……。でもそれじゃあ、行動原理に反するんじゃ?」
「別に全部残す必要はないのさ、最悪の場合、“お気に入り”だけ残ればいい」
言葉の上では理解できるが、キューコには気持ちの上で全く理解できなかった。
キューコはペンの尻を額に押し当て、長考の姿勢を取る。
そんなキューコのペンを、ルイが取り上げ、そのペンを指で回しながら言った。
「ペンの跡で、第三の目でもひらくつもりかい?」
「え、第三の目?」
「まあいいや、とにかく国から動けないボクらは、ハチロに期待しようか」
なぜムラクモなのか、ムラクモを生贄にして何をしたいのか。
以前ルイは、『ムラクモなら落とせるとでも思ったのだろう』って言っていた。
だが、キューコは少しだけ違うような気がしていた。
なにか、そう、もっとムラクモを生贄にしたかった理由があるような気がしたのだ。
とはいえ、ルイの言う通り動けないのは事実だ。
だから、ここでできることをする。
キューコは夢の中で、ハチロの無事を祈った――。
――ススムの村に到着後も、少女はとにかく泣き喚いた。
タキに抱かれ、少女が泣きつかれて眠ったのは夜半。
ススムとタキと少女。その傍らには、ロビンの兄弟犬テロル。
囲炉裏の火を囲みながら、ハチロはロビンを傍らに寝かせ、額に指を当てて思案していた。
「アタシは、この子をそーっと布団に寝かせてくるよ」
そうタキがススムに片目を瞑る。
ススムは頷き、タキが静かに立ち上がる様子を眺めた後、改めて言った。
「どうしたよ、難しい顔をして」
ハチロがススムと会ったのは、これで三度目だ。
一度目はススムが王都に現れた時、二度目は旅の始まりで、この村に立ち寄った時だ。
顔見知り程度の関係だが、ススムがこの村を守る要であることは知っている。
ハチロは、少女のいた村で知ったことを告げるべきか悩んでいた。
別に秘密という訳じゃない。
彼を召喚するために村一つが消えたという事実を聞けば、彼は気に病むのではないか、と思ったのだ。
今言わなくても、おそらくは後で知れることだ、今言わなくても……。
と、区切りをつけた瞬間、ススムが頬を掻きながら言った。
「俺のせいだろ」
「……何がだ?」
「前の世界では“流行って”たからな。異世界の、多少の知識は……あるさ。人の命を物みたいに言うのは嫌だが、生贄にされた村は、俺を召喚するために使われたんだろ」
ワードと状況でよく察したものだと、ハチロは素直に感心した。
同時に、聡明な彼に対し、言葉を選ぶのを止めた。
「あぁ、多分な」
かなり高確率でな、と言外に込めたニュアンスだ。
ススムは、奥のすだれの向こうで、布団にくるまる少女と、少女を優しく撫でるタキに振り返る。
それから、すぐにハチロに向き直った。
「この村とあの子は、俺に任せてくれ。それと、なんだ、あれだ、他に何かあったら頼ってくれよ」
囲炉裏の火のせいじゃない。
照れくさそうにススムは顔を赤くして、目を逸らしながら言った。
(俺が気を遣ったせいで、慣れないことを言わせてしまったらしい)
「ああ、その時は頼らせてもらう」
そう、ススムに負けず、察しのいいハチロも口の端を持ち上げて笑った。
翌朝、ハチロは再び旅に出る。
ススムとタキと、タキの後ろに隠れるような少女に見送られながら。
ロビンはテロルに別れを告げているのだろう、額を擦りつけあっている。
そして直ぐに、ハチロの傍らにやって来た。
「じゃあ、行こう」
と、ハチロはロビンの頭を撫でてから、歩き出した。
今度は少し早足でイヴァールの国境を越えた。
途中、あの村の傍らを通ったが、今度は素通りして先を急ぐ。
ススムがいた街【イアヌ】は、ススムがいまいる村から五日ほどの距離だ。
ハチロたちは三日目の夕暮れ時に、たどり着いた。
ムラクモ王都よりも人口が多く、活気もある都だ。
最初に宝石商に立ち寄り、目立たない程度に手持ちの宝石を換金して当座の資金を調達。
(次は、冒険者ギルドだったな)
ムラクモにはない組織だが、前もってススムに聞いたおかげで、どういった場所かは分かっている。
街の構造も、だいたい教わってきた。
おかげで冒険者ギルドは直ぐに見つかった。
石造りの立派な面構えの建物だ。
扉を開けた瞬間、酒気と雰囲気にむせ返りそうになる。
酒場を併設しているせいかすごい活気だ。
ハチロは少しだけ警戒しつつ、その様子を極力隠しながら、ロビンと一緒に冒険者ギルドに入り込んだ。
何人かがハチロとロビンを睨んだが、それも一瞬、何事もなかったようにまた騒ぎ出す。
実際、なんでもないのだろう。
とりあえず、“赤いペンダント”を掛けた人物は見当たらない。
ハチロは、次に中の構造を確認。
カウンターは、入って正面、と左右にあった。
右側はバーカウンターで、左は依頼品回収カウンターだろう。
ハチロは迷わず中央のカウンターに進み、受付の娘に口元を覆うマフラーを少し下げながら声を投げた。
「冒険者登録したいんだ」
「新規登録ですね」
直ぐに話が通る。
ロビンを中に入れた事も咎められる様子はない。
むしろ、受付の栗毛の娘はにっこり微笑み、
「魔獣使いさんですね、うちにも一人いるんですよ、ほら、あそこに」
と、バーカウンターの端に座る金髪の女を指示した。
確かに女の足元には中型のタイガー系の魔獣が横たわっている。
その女も、こちらを見ていてちょうど目が合った。
「では、こちらに記入を」
ハチロの視線は直ぐに引き戻された。
そして出された書類に、前もって決めてあった偽名を記入。
事務手続きを済ませた。
「能力をお調べしますね」
と、受付嬢が拳程度の水晶球をカウンターに持ち上げて置いた。
「規定値に達してない場合は、受けられる依頼に制限がかかりますので、ご了承くださいね」
手を乗せろということだろう。
これはススムからも聞いていなかった。
ハチロは少しだけ緊張しながら手を置くと、何か文字が浮かび上がっている。
残念ながら、こちらからは文字が読み取れなかったが、受付嬢が完璧なスマイルで言った。
「緊張しました? ふふ、規定値は越えてますので大丈夫ですよ」
「えっと……」
「実は先月決まったんですよ。能力を確認するようにって」
何事か聞く前に、娘が気を回してか、気さくに教えてくれた。
なるほど、ススムが知らない訳だ。
当座の資金を使い、ギルドに併設された二階の宿に部屋を取った。
しばらく、ハチロはこの街で情報収集をする――。
――で、ハチロがこの街に留まるもう一つの理由。
それは母親の死の真相を知りたいってこと。
彼が思っている以上に、運命ってのは複雑に絡み合っていたんだよ。




