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12、守り人の村。

 イヴァール帝国。

 270年前、初代皇帝となるイヴァール・ハムド・カッサリスが周辺諸国を武力により併合、そして建国。

 現皇帝はイヴァール・ハムル・カッサリス五世。

 国土面積はムラクモ王国の25倍、国土の約30%が砂漠で人口は320万人。

 6つの大都市を持ち、大多数の住人がいわゆる人族。

 

 そして主神は、言わずと知れた【女神ウェヌース】だ――。

 

 

 

 ――イヴァールとの国境に警備の兵の姿はなく、ハチロは難なく境を超えた。

 土色の外套にカバンを一つ肩から下げ、傍らには魔犬ロビン。

 ごく普通の旅人のような出立で、実際に旅人だ。

 

 誰も怪しむものはいない、というより、そもそも人がいない。

 休戦したとはいえ、戦争直後だ。

 今までムラクモとイヴァールを行き来していた商人すら見当たらない。


 ハチロは来た道を肩越しに振り返る。

 当然、ムラクモからくる人もいない。

 

 手入れする者がいない森の中の街道は、半年余りで随分と雑草が伸びている。

 だが、歩いて進むぶんには特に支障はない。

 

 まずはススムがいた辺境の街【イアヌ】を目指す。

 五日ほどの道程を旅人らしく歩いて進む。

 変に急ぐつもりはない。

 

 魔物が生息する森での野宿となるが、ロビンがいれば下手な魔物は近寄ってくることはない。

 それでも寄って来るようなら、そいつは相当強い魔物か、もしくは鈍感なのだろう。

 どちらにせよ、近づかれる前に優秀なロビンが気付く。

 

 

 ――四日目の昼過ぎ、ハチロ達は街道の脇で廃村を見つけた。

(こんな場所にも、村があったのか)

 頭に入れて来た地図には乗っていなかった平屋が片手で足りるほどの、そんな村だ。

 家の造り自体はムラクモと大差ないが、いくぶん簡素。

 

 見たところ無人になって半年ほどだろう、先の戦争があった頃だ。

 経年劣化はあるが、特に争った様子はない。

 家財道具は残っているから、村ごと急いで疎開したのかもしれない。

 

 多分、街道の守り人(もりびと)村だろう。

 守り人がいないのだから、街道が手入れされていないのも頷ける。

 

「なんにせよ、今日はここを借りようか」  

 そうハチロは傍らのロビンの頭を撫でた。

 

 

 暖炉はそのまま使える程度に状態が良く、薪も十分な量があった。

 夜は多少冷えるから、これはありがたい。

 絨毯から半年分の埃を叩けば、十分すぎるほど快適だ。

 

 

 辺りが夜の気配に包まれる頃、食事や、数日できなかった装備の手入れを終える。

 だが、寝るにはまだ早い。

 ハチロは、少しだけ家の中を物色する。

 

 当たり前のように、当たり前のものがある。

 木製食器は家族の人数分だろう。

 棚の中には冬用のコートがあり、こちらも人数分が畳まれていた。

 半年前と言えば春先で、夜は冷えただろうに。

 

 ハチロは少しだけ違和感を覚え、もしや、と床板に指を這わせる。

 するとやはり板を持ち上げるだけの簡素な食糧庫があり、中身は殆ど空だった。

 

(何かがおかしい)

 

「ロビン。明日はこの辺りを少し散策しようと思うんだけど、いいかい?」

 問うハチロに向け、ロビンの黒い瞳で何度か瞬いた後、

「ばう」

 と、鳴いた。

 

 

 翌朝、廃村の周辺を探索する前に、残った家屋も調べる。

 やはり家財道具や衣類はそのままなのに、食料は無い。

 次に入った家もだ。

 だが、4軒目だけは少し違った。

 家財道具はそのままだが、食器類に対し衣類の類が少ないように思える。

 そして食糧庫は空だ。

 最後に調べた家は、家財道具も衣類もそのまま、だがまだ食糧庫に芋が半分ほど残っていた。

「なるほど。ロビン、匂いは追えるかい?」

 ロビンは鼻を鳴らしながら、食糧庫の天板に鼻を擦り付ける。

 そして何かを嗅ぎ取ったロビンが動き出す。

 

 半年前の匂いなら、いくらロビンでも無理だ。

 だが、ここには確かに誰かが来ていた形跡がある。

 手前の家から、順に食糧庫を空けていったのだろう。

 おそらくは、村人の誰か。

 食糧庫のサイズから半年間食いつないだとして、一人か、二人程度だ。

 

 ハチロはロビンに後を追って、森の中の小道を進んだ。

 雑草は随分生い茂っているが、意識してみれば確かに人が歩いた形跡がある。

 

 緩やかな坂を上がると、程なく視界が開けた。

 そして空と、真正面に積み石が見える。

 一番下は元からあった岩で、その上に石を三段積んだような、そんな積み石だ。

 

 積み石の傍らまで行くと、そこからはムラクモに通じる街道がよく見える。

 と、そこで僅かにロビンの耳が跳ねた。

 ハチロは屈み、ロビンの首を抱く。

「大丈夫だよ」

 そう告げてから、ハチロは立ち上がり、来た道とは違う小道の脇の茂みを見る。

 

「これは、お墓かい?」

 ハチロは穏やかな声で茂みに声を投げる。

 すると茂みが揺れ、子供の手を引いた老人が割って現れた。

 老人の胸には、嫌味なほどに赤い宝石のペンダントがぶら下っている。

「あぁ」

 老人は、小さく頷いた。

 

 連れている子供は6歳くらいだろうか、髪は丁寧に櫛をかけているのだろう茶色の美しい髪質だ。

 衣装は女の子用で可愛らしいが、妙に丈が短い。

 

 ハチロは察した。

 おそらくは、衣類が少なかった家の住人だ。

 子供の成長に追いつけてない服の丈が、半年という経過を物語っている。

 

 この先に隠れ家でもあるのだろう。

 そして、なぜ彼らだけが生き残り、隠れるように住む必要があるのか。

 諸々の疑問はさておき、ハチロは僅かに肩を竦めた。

「何か、言いたい事があるんだろ?」

 

 老人は、また頷き、傍らの少女を見下ろした。

「この子を、どこか安全な場所に連れて行ってくれないかね」

「唐突だね。安全とは、国外って意味で合ってるかい?」

 ハチロの問いに老人が肯定で頷く。

 

 それは少々意外な願いだった。

 少しだけ考えるようにハチロは、上目に空を眺めてから、

「イアヌに向かう途中なんだけど、まあ、ここで何があったのか、話してくれるなら考えなくもない」

 大胆な条件だとは思いつつ、ハチロは改めて老人を眺め見た。

 

 おそらく老人の胸にあるペンダントはススムが身に着けていたものと同じか、近しいものだろう。

 ペンダントにどんな力があるかは分からないが、【女神ウェヌース】と深い関りがあることは確実だ。

 

 老人も、考えるような間を挟む。

 そして子供の手を離し、その手を少女の頭の上で、ポンポンと弾ませた。

 

 少女は不思議そうな表情で、老人を見上げたが、すぐに虚ろな目に変わった。

 老人は、少女を見下ろし、慈しむような眼差しで微笑んでから口を開いた。

「勇者召喚を行うために、村の住人を生贄に捧げよと……」

 命じられたか。

 いま少女にしたように、村人を操って。

 

 時系列から言えば、おそらくススムを召喚した時のことだ。

 村人が何名いたかは知らないが、村人の命を代償にススムが召喚されたということになる。

 

 いかに絶大な力を誇る神でも、先の大戦での損失は埋められなかった。

 だから勇者召喚には生贄を必要とした、とまあそんなところだろう。

 

「で、村人は捧げられたのに、その子は捧げられなかった。なぜだい?」

 ハチロの問いに、老人は再び長考の間を挟む。

 

 だが、その答えを聞く前に、ハチロは片方の掌を、老人に差し向けた。

「いいよ。いわなくていい」

 老人の苦悶の表情が、時が刻んだよりも深い皺として物語っている。

 

 【女神ウェヌース】と深い関りがあっても、罪悪感と愛情は存在していたのだろう。

 完全な傀儡というわけではないと、それが分かっただけでも儲けものだ。

 

「で、ご老体。あなたは来ないのかい?」

 そう言いながらハチロは、少女に手を差し出した。

 すると虚ろな目の少女が、ハチロの手を握る。

 

「わしは抜け出せないのでな」

 その言葉が全てだ。

 老人に何が起こるかは分からないが、今生の別れであることは確実だろう。

 

 やっぱりか、という言葉をハチロは飲み込んだ。

「……そうかい、じゃあロビン、行こうか」

 そして、老人に背を向け、丘から見える街道を目指して歩き出す。

 

 

「ここから一番近い、村はススムのとこか……。まさか5日で戻ることになるとはね」 

 

 

 3日かけてハチロたちが再び国境を超えると、少女は目に力を取り戻した。

 そして、いつの間にかいなくなった肉親を求めるように泣きじゃくった。

 

 

 

 

 ――敵にも感情はある。

 そう知っても、ハチロには利口(クレバー)でいられる強さがあるよ。

 それは彼の、血のなせる業なのか。

 

 彼の旅は振出しに戻ったけど、ここからが本番さ。

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