表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/40

11、魔物と青年。

「腹が立つ……」

 夢の中、いつもの教室。

 赤地に白い線の入ったジャージ姿のルイは、教壇に立ったまま苛立ちを隠すことなく親指の爪を噛んだ。

 

 それを見て藍色のセーラー服姿のキューコは首を傾げる。

 ルイはいつも余裕がある。

 そんなルイが怒りをあらわにしていることが珍しい。

「ルイ?」

「あぁ、ごめんね。今日の授業はボクが落ち着くまで自習だよ」

「それはいいのだけど……。どうしたのか聞いてもいい?」

「君が食べた魔物のことだよ」

「あのサーベラスっていう魔物だよね。串焼きは程よい弾力があってジューシーで、煮物はほろほろに解けて、すごく美味しかったけど……」 

「それは料理人の腕だね。とりあえず……味の話じゃないから」

 ルイの肩から力が抜ける。

 キューコの純粋な感想を聞き、苛立ちは消えないものの、怒りの熱量は沸点から随分下に降りた。

 

 じゃあ、なぜなのだろう。

 と、顔にでも書いてあるように、キューコは表情でルイに問いかける。

 

 ルイは、やれやれと、まんざらでもない様子で黒板に向かってチョークを滑らせた。

「この世界において、名前と言うものは非常に重要でね。あの魔物のサーベラスという名は、女神ウェヌースが使役するために変えてしまったものなんだよ」

『Cerberus』 

 と、黒板には異世界の文字が記された。

 アルファベットは、授業中しばしば目にする文字でもある。

 意味までは分からないが、キューコは地頭が悪い訳ではないから、違いや法則性は何となくわかる。

「さーべらす」

 と、読むのだろうな、とキューコは声に出す。

 

「サーベラス。あの女神のルーツは、どうやら地球の、英語圏(イングリス)なのだろうね。だから、“サーベラス”だった。だけど、ボクらに言わせるとそうじゃない」

 ルイは、チョークの先で、文字の上を何度も打つ。

 そして、フリガナを振るかのように、文字の上にキューコにも分かる文字でこう記した。

Cerberus(ケルベロス)』 

「けるべろす?」

「そう、ケルベロス。ラテン語という言語での呼び名だ。読み方が違うだけだろって思うかもしれないけど、さっきも言ったが名前と言うのは重要なんだ。特にこの世界では、言葉が強い意味を持つからね」

「あの、それでルイとケルベロスは、何か深い関係が?」

「大ありだよ。ケルベロスは、地獄の番犬でね、よく遊んだんだ。……ああ見えて甘党でね、ハチミツたっぷりの小麦菓子が大好物なんだ。そんな子たちを無理やり使役して、人を襲わせるようなことをさせやがって……」 

 再びルイの怒りが再燃するのが分かる。

 そしてチョークがルイの指先で粉々に砕け散った。

 

「ルイ……」

「考えてごらんよ。自分の可愛いペットが、いや友達と言ってもいい。それが突然連れ去られ、変な名前を付けられて無理やり戦わせられたら。しかも殺された。勿論、殺した奴は悪くないよ。やらなきゃ殺されるからね」 

 なるほど、と。

 いかつい魔物の姿が、キューコの中で、昔王城の衛兵が飼っていた“ワンちゃん”に置き換わる。

 そしてルイの怒りの意味も理解できた。

「あの、食べて……ごめんなさい」

「まあ、なんというか、複雑な気分だけど、文字通り君の糧になったわけだから……」

 またルイの沸点を指していた矢印が、スッと下がった。

 悪魔的な悪戯をするルイではあるが、可愛らしくおもっているキューコに甘いという部分も一助になった。

 

 キューコは改めて、カクリと首を傾げた。

「でも、なぜ女神ウェヌースはケルベロスを使役したんだろう?」

「ボクを煽ってるのさ。完全に逆なでされた気分だよ」

「そう、なのかなぁ」

 何かが違う。

 キューコの喉に何かが引っかかるような、そんな違和感を覚える。

 だがその違和感を確かめる術はなく、女神ウェヌースの思惑は、未だ全容がつかめないままだ。

 

 向こうに言わせれば、ムラクモ陣営の手札も分からないわけだから、おあいこかもしれないが。

 とにかく根本的な部分、生贄の対象が何故ムラクモなのか、なんのために生贄を求めているのか。

 早急に知る必要があるのは確かだ。

 

 

「幸いなことに、ケルベロスの魂は二匹とも回収できた。あとは女神の呪縛から解き放ち、今世を生きてもらうだけだよ。地獄に戻すのはそれからだ」

「でも、また戦わせることになるんじゃ?」

「戦おうと思うならそれもいい、もう道具じゃないんだからそれは意志だ。あとは主人との信頼次第じゃないかな?」

 ルイは、自ら溜飲を下げるように微笑んだ。

「そっか、うん。そうですね。ススムさんと、“兄さん”ならきっと大丈夫」 

 キューコは“兄”を思い、そして笑った――。

 

 

 

 ――王都の外れにある農地では、休耕時期になると蓮華の花が咲き乱れる場所がある。

「おいでロビン。ハチミツクッキーだ」

 顔の半分くらいまで長く黒いマフラーを巻いた幼さの残る男が、少しだけ大きな声で言った。

 すると紫の雲のような花畑の中で、黒と茶色が混ざった大型の犬が遊ぶのをやめて顔を上げる。

 

 そしてロビンと呼ばれた大きな犬が、男に向かって一直線に駆け出す。

 ロビンが男の胸に飛び込むと、男は勢い余って尻もちをついた。

 

「あはは、加減してくれよ」

 男は、そのまま片手でロビンを撫でまわし、もう片方でクッキーを差し出すと、ロビンはクッキーをくわえ取り、嚙み砕いて飲み込んだ。

 そしてロビンは、次を催促するかのように男の顔を舐めまわす。

 

 このロビンは魔物で、高い知能を有していた。

 そんな魔物と信頼関係を築いているこの男の名は、ハチロ。

 キューコのすぐ上の兄だ。

 

 ハチロは、九人兄妹の中で唯一、養子だ。

 だが血が繋がっていないわけではない――。

 

 

 

 ――それはタッロ王の妻、イツカ王妃がキューコを懐妊した年の事だ。

 奇しくも、イヴァールの商家に嫁いだイツカの双子の妹、ヒムカもまた妊娠していた。

 

 二人とも、ムラクモ特有の艶やかな黒髪の持ち主で、その容姿は端麗。

 “麗華二つ(れいかふたつ)”と謳われた姉妹だ。

 

 

 キューコが生まれて丁度一週間が経ち、名付けの儀が行われる前日。

 それは酷い春の嵐の夜だった。

 ヒムカが生れて間もない我が子を連れ、ムラクモの王城へ、イツカの元へと現れた。

「どうしたの、ヒムカ」

 やっとベッドから立ち上がれるようになった、イツカが問う。 

「姉さん、どうかこの子をお願いします」

 そうヒムカは一言紡ぎ、我が子を託すようにイツカへと手渡した。

 そして空いたその手で轟く雷鳴に驚いて泣き出したキューコを撫で、ヒムカはそこで倒れた。

 

 きつく締めた布で深い傷を隠していたのだろう、倒れた拍子で背中に血のシミが濃く主張する。

 既に助からないと分かっていたのだろう。

 そして託せたことに、安堵したのだろう。

 ヒムカは、微笑むように呼吸を止めた。

 

 ヒムカの子が、母を探すように手をばたつかせながら泣き出した。

 するとキューコも一層大きく泣き出す。

 

 そんなヒムカの子をくるむ布の間には、畑の中を駆け抜けて来たせいか蓮華の花が入り込んでいた。

 後日、イヴァールに出した使いに、商家は既に存在はしていなかったとの報を王と王妃は聞く。

 

 それから数日遅れで、ヒムカの子にハチロと、イツカの子にキューコと、王族の名が贈られた――。

 

 

 

 ――ハチロは、傍らのロビンを撫でた後、懐から銀縁の透明な板に挟んだ押し花を取り出した。

「ヒムカ母さん。俺、イヴァールに行ってくるよ」

 視界一杯の蓮華畑の中央に、押し花を浮かせるように眺めながら、ハチロは生みの親譲りの優しい顔で笑った――。

 

 

 

 ――この日、ムラクモの若き英雄の一人が、若い魔獣を連れ、真実を探すために動き出した。

 そして、これはこの物語の中核を成す英雄の旅の始まりでもある。

 挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ