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賢者にまつわる諸々の噂

 『賢者』、――その存在には、様々な噂があった。

 嘘か本当か分からない噂もたくさんある。歳を取らないとか、その血に不老不死の力があるとか、実は別の世界から来たとか……


 とにかく確実なのは、強力な魔法を操る魔法使いであるということだ。

 ――そして、その背中には白い羽根が生えているらしい。



「……『賢者』なんて本当にいるの?」

 ジーナは言った。正直、信じられない話だった。――この時代に、魔法使いだなんて。


 この世界は魔法が衰退して久しい。

 大昔には華やかな魔法文明が栄えていたらしいが、その時代の資料はほとんど残っていない。


「さあねぇ……。でも、この前の戦争では凄い活躍をしたって噂だよ」

 スープを煮込みながら、母親はそう答えた。


 ジーナは山あいの小さな村の宿屋の娘だった。エルシア帝国の辺境にある名もなき村だ。

 こんな辺鄙な村には旅人もほとんど寄り付かず、宿はいつも開店休業状態だった。今日は珍しく一人だけ客が来ている。


「ほら、お客さんに食事を持って行ってあげて」

「うん……」

 ジーナは母が作った食事をお盆に乗せ、食堂の客人の元へ運んだ。


 客人は、一人の少年だった。

 白い髪を後ろで無造作に一括りにしている。右目には大きな眼帯をつけていた。寒い時期でもないのにブカブカのローブを着込んで、妙に厚着をしているように見えた。


「ありがとう」

 ジーナが食事を運んでいくと、少年はそう言って微笑んだ。

 ――案外顔は悪くないかもしれない。


 少し興味が湧いて、ジーナは少年に話しかけた。

「一人旅? こんな何もない村に何しに来たの?」


「連れがいるんだけど今はちょっと別行動中で……。その、この辺でしか採れない珍しい薬草があるって聞いて来たんだけど、何か知らないかな?」

「ああ、ムゲンソウね……。昔はこの村の周囲にも咲いていたらしいんだけど、今はもう全然……。もっと川の上流まで行けば咲いている場所もあるんだけど、でも……」

 ジーナは、言いにくそうに言葉を濁した。


「……でも?」

「その……、ガラの悪い連中のアジトがあって、誰も近づけないのよ。ムゲンソウもその連中が独り占めしてて……」

「そうなんだ……」


「君は薬師か何かなの?」

「ううん、こう見えて一応冒険者なんだ」

「そうなの……?」

 小柄で線の細い彼は、とても戦えるようには見えなかった。何より、彼は武器すら持っていない。


「……私、ジーナっていうの。あなたは?」

「僕はスイ」

 少年は、そう答えた。



 二人が他愛もない雑談をしていたその時だった。

 突如として大きな音が響き渡り、なごやかな雰囲気が打ち砕かれた。――銃声だ。


「えっ、何……!?」

 ジーナが戸惑っていると、母親が慌てて厨房から飛び出してきた。

「隠れて、ジーナ……!!」

 だが、少し遅かった。食堂の扉を乱暴に蹴り開けて、武装した男が押し入って来た。男は、銃を構えて言った。

「全員外に出ろ……!!」


 突然の事態に、ジーナは固まって動けなかった。スイが小声で囁く。

「……行こう。今は大人しく従った方がいい」




 村を襲撃した男達は、村人を一ヶ所に集めた。若者はほとんどが大きな町に出稼ぎに行っているため、村に残っているのは老人ばかりだった。

「チッ……、ジジババばっかりじゃねぇか……」

 村人の面々を見て、リーダー格の男が悪態をつく。


「若い女はこれだけか? 隠してたら殺すぞ」

 村長に銃を突きつけて、男は言った。村長は真っ青になりながら頷く。若い女性はジーナも含めてほんの数人だけだった。


「おい、女どもを連れてけ」

 男達は、集めた女を無理やり馬車に乗せた。馬車には大きな鉄格子が付いている。

 ジーナも男に腕をつかまれ、鉄格子の中に入れられた。


「いやっ、お母さん……!!」

「ジーナ……!!」

 追いすがろうとしたジーナの母を、スイが引き止める。――下手に抵抗しては男達に殺されるかもしれないからだ。


「これじゃ全然数が足りねぇな……。おい、お前も来い」

 男がスイの腕をつかんだ。

「えっ、僕……?」

「まあ売れそうな顔してるからな……」

 ついでとばかりにスイも檻の中に押し込んで、男達は鉄格子に鍵をかける。



「人身売買か……、この辺ではまだあるんだね……」

 村を離れていく馬車の中で、スイは呟いた。

「なに他人事みたいに言ってるの? あなたもどこかに売り飛ばされちゃうかもしれないのに」

「それは困るな……」

 スイは苦笑する。


「……大丈夫、僕の仲間がきっと助けに来てくれるから」

 ジーナ達を安心させるようにそう言って、スイは微笑んだ。



 *****


 男達の根城は川の上流にあった。大昔に放棄された砦を勝手に改装して住みついている。

 さらわれてきた娘達はまとめて牢屋に入れられていた。見張り番をしている男は牢の中を覗き込み、娘達を物色していた。

 ――冴えない田舎娘ばかりだが、売られる前に一人くらい味見しておきたい。


 物色するのに夢中になって、男は注意力がおろそかになっていた。そのため、侵入者が音もなく接近しているのに気付けなかった。


「こんにちは」

 背後から突然声をかけられて、男は慌てて振り返った。そして、思わずその場に固まった。


 そこには見たこともないような美少女が立っていた。

 鮮やかな緋色の髪のツインテール。燃えるような紅い瞳。場違いにも何故かメイドのような衣装を身にまとっている。

 少女は、男と目が合うとにっこりと微笑んだ。


 男が少女の姿に見惚れていた次の瞬間、彼女の正拳突きが男の前歯と鼻骨を粉砕した。

 衝撃で男の体が吹き飛び、背後の牢屋の扉を派手にぶち破る。牢に閉じ込められていた娘達から悲鳴が上がった。


「ガーネット……!!」

 娘達と一緒に牢に入れられていたスイが、のんきに彼女の名前を呼ぶ。


「スイ、何でこんな所でのんびりしてるの?」

「一応君と合流するまで待とうかと……。それで、敵は何人くらいいた?」

「三十人ちょっとかなぁ。でも、もうほとんど倒しちゃった」

 あっけらかんと、ガーネットはそう答える。

「そっか……」


「……あ、あなた達、一体何者なの?」

 おそるおそる、ジーナは尋ねた。

「通りすがりの冒険者だよ。……心配しないで、君達のことは後でちゃんと村まで送ってあげるから」


 スイは、着ていたブカブカのローブを脱ぎ捨てた。

 彼の背中には、三枚の白い羽根が生えていた。



 *****


 牢から出て砦の中を歩いている途中で、翠はとある部屋を見つけて足を止めた。

 その部屋には、何やら実験器具のようなものが置かれていた。――ガラス製の抽出器や、すり鉢など。そして、白い粉末が小さな紙に包まれて小分けにされている。


「……ガーネット、これが何だか分かる?」

「薬かな? ……なんの薬?」

 ガーネットは首をかしげる。


「ムゲンソウから抽出される成分にはね、生物の中枢神経系に作用する働きがあるんだ。幻覚を見せたり、快感を与えたりとかね。……まあ要するに、麻薬だよ」

 もっとも、この国では麻薬自体は別に非合法ではない(正確に言うと、まだ法整備がされていない)

 ――ただ、その使い方が気に入らない。連中は、誘拐した『商品』を調教するために薬を使っている。

 翠は別の町で依頼を受けて、ガーネットと手分けして情報を集めていた。


「貴重な薬草をこんなことに使うなんて……」

 怒りを込めて呟き、翠は粉末を魔法の炎で燃やした。



 *****


「くそっ……、一体なにが起こっている……!?」

 リーダー格の男は困惑していた。アジトに侵入者があったと連絡が入った時は、どうせすぐに捕らえられるだろうと高を括っていた。だが、それからどれだけ経っても侵入者捕獲の報告がない。

 それどころか、侵入者を捕えに行った仲間が誰一人戻ってこない。


 業を煮やして、男は自ら侵入者を捕らえに向かった。


「な……、何だこれは……」

 男が目にしたのは、廊下に死屍累々と横たわる仲間の姿だった。

 顔面を潰され、鼻骨や前歯を粉砕されて倒れている者もいれば、一見すると外傷がないのに泡を吹いて倒れている者もいる。


「……あなたがここのリーダーですか」

 不意に声をかけられ、男は慌ててそちらに銃を向ける。廊下の向こうから、一人の少年が無防備に歩いてきた。

「てめぇは……」

 先ほど襲撃した村で女達と一緒に連れてきた少年だ。――彼の背中には、歪な白い羽根が生えていた。


「そ、その羽根……。お前、まさか『賢者』か……!?」

 ――『賢者』がこんなガキだなんて聞いていない。


「はい。娘さんを誘拐された父親から依頼を受けて、あなた達のことを探っていました」

 ちなみにだが、その娘はすでに娼館から救出している。その際に、薬の件を聞いたのだ。


「く、くそっ……!!」

 男は少年に向けた銃の引き金を引こうとした。だがその瞬間、銃は内側から爆発を起こした。男の指が巻き込まれて吹き飛び、飛び散った破片が顔面に突き刺さる。


「ぐあぁっ……!?」

「無駄ですよ、そんな物」

 少年は静かにそう言った。淡々と喋っているが、言葉の端々から怒りがにじみ出ているのが分かる。


 ――勝てるわけがない。

 つい先日この国で起こったクーデターの際には、『賢者』一人にクーデター派の兵士が何百人も殺されたという噂だ。


 恐怖に駆られて、男はその場から逃げ出した。『賢者』は追いかけてこなかった。

 何とかアジトの入口まで辿り着き、男は外へ逃げ出そうとした。――だが、そこにいたのは巨大な双頭の魔獣だった。


「ひぃっ……!?」

 男の他にも何人かアジトから逃げ出そうとした仲間がいたようだ。だが、彼らは魔獣によって半殺しにされ、血塗れになって地面に転がっていた。

 ゆっくりと歩いてきた『賢者』が言った。

「殺しちゃ駄目だよ、クロ。……死なない程度に動けなくしておいて」


 主の言葉に従って、魔獣の牙が男の足を嚙み砕いた。男の絶叫が山の中に響き渡る。

「……知ってますか? 新しい皇帝の下で法律が変わって、人身売買は厳罰化されたんですよ。あなたはちゃんと司法で裁かれて下さい」



 *****


 ガーネットに連れられて、村からさらわれてきた女達が砦から出てきた。

「あなたが賢者様だったのね……」

 ジーナが翠に言った。


「うん。……怖い思いをさせてごめんね。村人を巻き込んでしまうかもしれない場所で戦うわけにいかなかったから」

 ジーナは首を横に振る。

「あなたのおかげでみんな助かったわ。……ありがとう」

 スイは黙って微笑んだ。


 ――『賢者』は本当にいたんだ。

 周囲には、ムゲンソウが美しい白い花を咲かせていた。


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