魔女のこれから
ガーネットが海に潜ってからすでに数時間が経っていた。
――このままガーネットまで戻ってこなかったらどうしよう……?
メイファが不安に思い始めていた、その時だった。それまで大人しくしていたクロが急に何かに気づいたように吠えた。
船に乗っている漁師たちも海の異変に気付いてざわつき始める。
海中に、何か巨大な生物の影が見えていた。
巨大な生物が、ゆっくりと海上に姿を現わした。それは、無数の蛇の頭と、無数の腕を持つムカデのようなおぞましい生物だった。
「なっ……」
その姿に、メイファは思わず声を上げる。本能的な恐怖に体がすくんだ。
生贄の儀式は一般には非公開である。そのため、メイファを含め漁師たちの誰もそれが『アナンタ』とされていた生物であることを知らない。
悲鳴を上げて半狂乱になる者、平伏して神に祈りを捧げる者など、漁師たちの反応は様々だった。
しかも、その生物は一体ではなく複数いた。
――まるでこの世の終わりのような光景に見えた。
だが、彼らに続いてもう一体、別の生物が海から姿を現わした。
それは美しい青い龍だった。メイファは、龍の背に人間が乗っていることに気づく。
「メイファ~!!」
龍の背に乗ったガーネットが、メイファに向かって元気よく手を振っていた。翠も一緒にいる。
そして、もう一人見知らぬ黒髪の女性も乗っていた。
「ガーネット……!! 無事でよかった……。スイも、無事だったんですね」
龍は船を横転させないようにゆっくりと近づいてきた。翠の姿を見て、クロが嬉しそうに尻尾を振る。
「うん……、何とかね……」
アパスの結界に包まれて、翠とガーネットは無事に海上まで戻って来た。
「それで、その……、この方は?」
アパスの姿を見て、怪訝そうにメイファは尋ねる。
「後でゆっくり説明するよ。……今はとりあえず、急いでシンシャに戻ってエイゼンさんに伝えてもらえるかな? 僕がいきなり街に戻ったら大騒ぎになるかもしれないし」
「わ、分かりました……」
生贄となった神子が生還した例など過去にない。
メイファに先に戻ってエイゼンと連絡を取ってもらい、翠は人目に付かないよう内密にシンシャに戻ることにした。
*****
「……無事に帰ってきてくれて本当によかった。一時はどうなることかと思ったよ」
エイゼンは、翠の帰還を心から喜んでくれた。
「はい、ご心配をおかけしました……」
翠は、海の底であった出来事をエイゼンに伝えた。
『アナンタ』と思われていたものの正体や、かつての浮遊都市オルンについて。――そして、古き魔女アパスのこと。
「そうか……、やはりあれは神などではなかったのだな……」
「……はい」
アパスについて来てしまったナーガラージャ達は、今はシンシャの近海で群れ泳いでいる。
――漁師たちが怖がっているから、なんとか深海に帰ってもらえないかな……
「だが、おかげで生贄を廃止する理由はできたな。……反発はあるかもしれないが、生贄の儀式は今後形式だけにする方向で関係者を説得しようと思う」
エイゼンはそう言った。
「はい、それがいいと思います」
「それと……、古き魔女についてだが……」
アパスは、翠と一緒にシンシャまでやって来た。今はとりあえず衣服を見繕ってもらっている。
「基本的に良い人なので危険はないと思いますよ。今後どうするかは、彼女次第ですが……」
エイゼンとの話を終えて外に出ると、アパスは寺院の庭先で風に当たっていた。
「……千年後の世界はどうですか?」
翠はアパスに尋ねた。
「思ったより悪くないわ。……魔法が失われた世界でも、人間はちゃんと生きているのね」
「魔法は失われていませんよ。ちゃんと継承されています」
「そうなの?」
「はい、この国では魔道学校もありますし」
「そう……、そうなのね……」
「あの、アパスさんはこれからどうするつもりなんですか?」
「どうしようかしら……。私が守るべき街はもうなくなってしまったし、特に行くところはないわね」
「もしよかったら、僕から提案があるんですが……」
「……え?」
*****
生贄となったはずの神子が戻ってきたことが寺院から公表され、都はちょっとした騒ぎになった。
「――神は生贄など望んでいないという意思を示されたのだ。今後、神子を生贄にすることは廃止とする」
エイゼンはそのように発表した。
「スイ……!! 生きててよかった……!!」
翠が戻ってきたと聞いて、ユイファは泣きながら喜んでくれた。メイファの話によると、生贄の儀式の日からずっとふさぎ込んでいたらしい。
――きっと、彼女なりに責任を感じていたんだろう。
「ただいま、ユイファ。……心配させてごめんね」
翠はそんなユイファの頭を優しく撫でた。
久しぶりにユイリー魔道学校に顔を出すと、生徒達が翠を出迎えてくれた。彼らの反応は、驚きや喜びなど様々だった。だが、思ったよりもみんな自然に受け入れてくれて翠は安心した。
「……先生、もうすぐ国に帰っちゃうってほんと……?」
そんな中で、リンがおずおずと翠に尋ねた。
「うん……。色々とひと段落したから、そろそろ戻ろうかなって……」
――千年前のオルンで、『世界樹』について重要な気づきを得ることができた。アーカーシャの館に戻って諸々の情報を整理したかった。
「残念です……。もっと色々教えてもらいたかったのに……」
寂しそうに、リンはそう言った。他の生徒達も名残惜しそうにしている。
「……そのことなんだけど、実はみんなに新しい魔法の先生を紹介したいんだ」
すでに学校側には話を通してあった。
「えっ……?」
「僕よりすごい先生だよ」
翠に促されて校庭に入ってきたのは、褐色の肌に長い黒髪の女性だった。
「私は……、今の私の名前は、古き魔女アパス。……よろしくね」
*****
「……もう、行ってしまうんですね」
翠とガーネットがシンシャを旅立つ日、メイファとユイファの姉妹はわざわざ都の外まで見送りに来てくれた。
「色々とありがとう、メイファ、ユイファ」
「こちらこそありがとうございました。あなたのおかげで、妹を失わずに済みました」
「私、魔道学校に通うことにしたんです。……いつか、スイみたいな魔法使いになりたい」
そう言って、ユイファは微笑んだ。
「きっとなれるよ、ユイファなら」
メイファは、ガーネットと別れるのが名残惜しいようだった。二人は翠が知らないうちに随分と仲良くなっていた。
「元気でね!! 手紙書くから……!!」
「はい……。ガーネットもお元気で」
エイゼンは多忙のためさすがに見送りには来られなかったが、すでに別れの挨拶は済ませてあった。
――セイエン王国は、将来的にエルシア帝国やルーセット共和国と貿易を行いたいと考えている。翠は、エイゼンからそう聞いていた。そして、その旨が記されたセイエン国王からの親書を預かっていた。
今後セイエン王国との貿易経路が確立されれば、手紙のやり取りもできるようになるだろう。
森でのんびりと暮らしていたリューイと久しぶりに合流し、翠とガーネット、そしてクロはドラゴンの背中に乗って飛び立った。
名残を惜しむようにシンシャの都の上空をぐるりと旋回していた時、海の方から青い龍が飛んできた。
――蒼龍アパラーラ。
龍の背中に乗ったアパスが二人に向かって手を振る。
少し遠いため声は聞こえなかったが、彼女の口元は「ありがとう」と言っているように見えた。
翠は、アパスに手を振り返した。
「……それじゃあ、帰ろうか。ルーセット共和国に」
お読み下さってありがとうございました。ここまでで六章は終了です。
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