蒼龍の帰還
蛇のような下半身が急激に巨大化し、アパスの姿が龍に変化する。青い龍の姿に変わったアパスは、ガーネットに襲い掛かって来た。
迫ってくる龍の牙を避けて、ガーネットは龍の背後に回り込むように走った。
背後から龍の背中に飛び乗って、頭部の方向に向かって走る。
龍の外皮は硬すぎて短剣で傷を与えることが難しい。――狙うなら、龍の額から生えているアパスの上半身だ。
だが、そんな狙いはアパスも当然分かっている。背中を走っている途中で、龍の尾が横薙ぎに襲ってきて叩き落された。
ガーネットは吹き飛ばされて廃墟の壁に容赦なく叩きつけられる。
「あいたた……、人間だったら死んでたよ……」
痛覚がないので別に痛くはないのだが、何となく反射でそう口走った。
耐物理攻撃の魔法陣の効果で一応ダメージは軽減されている。そうでなければ、ガーネットでも無事では済まなかったかもしれない。
龍の巨体が動くたびに、体がぶつかって廃墟の建物が崩れる。瓦礫に巻き込まれそうになって、ガーネットは慌てて退避した。
「せっかく守っている街を自分で壊してもいいの!?」
「別にいいだろ、もう誰もいやしないんだし」
めんどくさそうに、アパスはそう言った。――自分の言動の矛盾にすら、彼女はもう気づけないんだろうか。
自分の体より何十倍も巨大な青い龍に、ガーネットは果敢にも向かっていった。
だが、近づくだけでも精一杯だった。不用意に接近すれば、その巨体に押しつぶされそうになる。
龍が攻撃してきた際にカウンターを狙ってみたが、短剣の刃の方が折れそうになった。
「どうした? 大口を叩いた割には大したことないなぁ……?」
うすら笑いを浮かべながら、アパスはガーネットを嬲った。猫がネズミをもてあそぶように。
魔女のくせに魔法も使ってこないのは、いつでも殺せると思って舐めているのだろう。
「くっ……」
ガーネットは、龍の攻撃をしのぎながら逃げ回る。
――でも、これでいい。最初から短剣で龍を倒せるとは思っていない。
ガーネットの狙いは、アパスの注意を自分に引きつけ時間を稼ぐことだった。
*****
ガーネットがスマホ風通信機を使ってアーカーシャに連絡を取った時のことだ。
「……というわけで、青い龍にスイが連れていかれてしまったの」
『青い龍……?』
「うん、蛇みたいに体の長い大きな龍で、額から女の人の体が生えてた」
『……それは、古き魔女アパスだ』
アーカーシャはそう言った。
「アパス……、やっぱりあれが……。ねえ、母さん。どうすればアパスからスイを取り返せるかな?」
『古き魔女と正面から戦うのはあまり勧められないが……』
少しだけ考えてから、アーカーシャは答えた。
『推測だが、アパスのその姿は禁呪によって無理に龍と融合した結果だと思う。……だから、もともとあった龍の自我を呼び戻すことができれば、あるいは……』
「具体的には、どうやって……?」
『禁呪によって体からはじき出された龍の魂は、消滅したわけではない。恐らく、今でも辺土を彷徨っているはずだ。――龍の魂を辺土から呼び戻せ。無事にスイと合流できたら、そう伝えるんだ』
*****
ガーネットがアパスを引きつけている間に、翠は大急ぎで魔法陣の構築を行っていた。
塗料がないので、仕方なく自分の血を使って地面に魔法陣を描いていく。
辺土はこの世とあの世の狭間。何らかの理由で死者の世界に行けない魂が留まる場所だと言われている。
翠は、フェルナンの屋敷で反魂の魔法陣の失敗作を見たことがあった。その術式を思い出しながら、必要な修正を加えていく。――冥府の門を開く必要はない。彷徨う魂をしかるべき場所に呼び戻すだけだ。
龍の姿になったアパスが暴れているのが、翠のいる場所からでも見えた。地面が振動し、瓦礫が崩れるような音が時折聞こえてくる。
――ごめん、ガーネット。もうしばらく時間を稼いで……!!
*****
太さだけでも自分の身長ほどもある巨大な龍の尾が横薙ぎに襲ってくる。ガーネットは、大きく跳躍してその攻撃を避けた。
そして、もう一度龍の背に飛び乗ろうとした。
だが、その行動を見越していたかのように龍の尾が彼女の体に巻き付いてくる。
「……いい加減鬱陶しくなってきたなぁ」
龍の尾が、ガーネットの体を締め上げる。たわむれではなく、本気の力で彼女の体を圧し潰そうとしていた。
「…………っ!!」
人間より何倍も頑丈なガーネットの体が軋む。幸いにも、耐圧・耐物理攻撃の魔法陣がその力を押し返してくれた。
その隙に、ガーネットは龍の拘束から何とか抜け出した。
アパスは小さく舌打ちする。
「面倒だな、その魔法陣……」
アパスが何らかの術式を口にする。ガーネットには分からなかったが、それは強制解呪の魔法だった。
ガーネットの背中に描かれた魔法陣が、解けるように消えていく。
「えっ……?」
魔法の効果が失われていくのが、ガーネットにも何となく分かった。
――ま、まずい……!!
さすがにガーネットも焦った。素の状態で龍の攻撃を受ければ、いかに丈夫な人形の体でも破壊されてしまうかもしれない。
その時、光の球が花火のように打ち上げられるのが見えた。
――スイからの合図だ。
ガーネットは、光が見えた方向に向かって全力で走った。
「今更逃げても遅いぞ……?」
ニヤニヤと笑いながら、アパスはガーネットを追ってくる。
必死に逃げているように見せかけて、ガーネットはアパスを誘導していた。翠が用意した魔法陣の方向へ。
*****
廃墟の街を破壊しながら、アパスがこちらに向かってくる音が聞こえる。
魔法陣から少し離れた位置で、翠はアパスを待ち構えていた。アパスが来たらすぐに魔法を発動できる準備を整えて。
――タイミングは一度きり。失敗できない一発勝負なので少し緊張する。
程なくして、建物の影からガーネットが飛び出してきた。
彼女はわざと魔法陣の上を走り、アパスを誘導する。
アパスも直前になって魔法陣の存在に気づいたようだったが、その巨体ゆえにすぐに方向転換することができなかった。
龍の体が魔法陣の中に入ったその瞬間に、翠は魔法陣を起動させる。
魔法陣が白い光を放ち、龍の体を包み込んだ。
「これは……!?」
狼狽して、アパスが声を上げる。
反魂の魔法には魂を呼び戻すための触媒が必要になる。だが、今回の場合は龍の体がそのまま残っているため、それ自体が触媒となる。
――あとは、蒼龍の名前を呼ぶだけだ。
「記憶と忘却の狭間より然るべき肉体に還れ……蒼龍アパラーラ……!!」
魔法使いは名前を与えることによって魔獣と契約を結ぶ。アパラーラは、アパスが名付けた蒼龍の名前だ。――千年前の世界で、彼女は龍をそう呼んでいた。
白濁していた龍の瞳に光が戻る。龍が口を開き、鳴き声を上げた。
「アパラーラ……」
懐かしそうに、アパスはその名前を呟いた。龍の体を包む光は、アパスの体にも浸透していく。
龍の魂が戻ったことで、アパスの使った禁呪が解けたのだ。
蒼龍は、もたげていた頭をゆっくりと地面に下ろす。
魔法陣の白い光がおさまった時、そこには龍の体から分離して人間の姿に戻ったアパスが倒れていた。
――よかった、魔法は成功したみたいだ。
さすがに裸のままだと可哀想なので、翠は自分の着ていた儀式用の装束を脱いでアパスの体にかけてやった。
小さく呻いて、アパスが目を開く。ちょうど目の前にいた翠と目が合った。
「……あなたは、あの時の幽霊……?」
「お久しぶりです。……千年ぶりですね」
そう言って、翠は微笑んだ。




