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蒼龍の願い

 崩壊の日は、無情にも迫っていた。

 アパスにそれを伝えるべきかどうか、翠は迷った。思い詰めてアパスに打ち明けようとしたが、その件に触れようとすると何故か言葉が出なくなった。

 ――未来を変えてしまう可能性がある発言はできない、ということか……?


 ポータルが暴走事故を起こした事実を、浮遊都市ラプロスは当初隠蔽しようとしたようだ。――この時点ではまだ、何とか対処可能だと思っていたのかもしれない。

 オルンがラプロスで起こったポータル事故の事実を把握した時には、ポータルの暴走はもう誰にも手がつけないレベルまで拡大していた。


 拡大を続けるポータルは、空気中のエーテルを際限なく吸い続けた。

 シミュレーションによると、ある閾値(しきいち)まで巨大化したポータルは自壊して消滅するというのが研究者たちの見解だった。……だが、それまでに失われるエーテル量は莫大だった。文明の維持が困難になるほどに。


 やがて、平和だったオルンの日常に徐々に(かげ)りが見え始めた。

 生活に余裕のある者や、伝手(つて)のある者は早々にオルンを捨てて地上へと逃げ出した。


「……あなたは逃げないんですか?」

 念のため、翠はアパスに尋ねた。

「私が逃げるわけにはいかないわ。私は、最後までこの街を守ります」

 ――聞くまでもなく、彼女がそう答えるのは分かっていた。オルンを守護するのが彼女の使命だ。人間のアパスは、責任感の強い性格だった。そんな彼女が、自分の使命を投げ出して逃げるはずがない。


「あなたこそ、逃げた方がいいんじゃないの?」

「……僕はどうせ幽霊みたいなものだし。最後まで見届けますよ」


 街から逃げそびれた者の末路は悲惨だった。

 エーテル濃度の減少によって、魔法を行使するのが困難になっていった。魔法に依存していた都市のインフラはほとんどが停止した。


 日常生活が維持できなくなり、平和だった街の治安が目に見えて悪化していく。

 力のない者たちは寺院の礼拝堂に集まり、神に祈りを捧げることしかできなかった。――自分の生活もままならない中で、アパスはそういった人々を精一杯支え続けた。


 空気クラゲは、エーテルの薄い環境では生きられない。苦しみながら地上に落ちて死んでいった。

 そして、崩壊の日が訪れた。


 島の浮力を生み出していた魔法陣が、エーテル不足によって停止する。

 オルンの街は、崩壊しながら眼下の海へと落下を始めた。


 アパスは、街を守るという使命を最後まで果たそうとした。

 禁呪に手を出し、眷属の青い龍と融合してまで落下するオルンの街を支えようとした。――だが、いくら巨大な龍の姿になっても、街の質量を一人で支え切れるはずがなかった。


 成すすべもなくオルンは海の底に沈み、龍と融合したアパスだけが生き残った。

 オルンと共に海の中に沈みながら、翠は街の最期を見届けた。


 青い龍の悲痛な鳴き声を聞いた時、ようやく全てを理解した。

 ――僕を過去に呼んだのは君だったんだね、蒼龍。


 アパスの眷属である青い龍。彼女と融合した際に龍の自我は失われたが、主人への想いだけは残っていた。


 アパスは、禁呪に手を出した代償に記憶の大半を失った。

 今の彼女には、「オルンの街を守る」という使命感だけが呪縛のように残っている。だから、自分でも理由が分からないまま、誰もいないオルンの街を守り続けているのだ。千年間ずっと。


 ――彼女をオルンから解放してほしい。

 それが、蒼龍の願いだった。



 *****


 気がつくと、翠は廃墟となった礼拝堂の中にいた。

 ――元の時代に戻ってきた……?


 試しに壁をペタペタ触ってみたが、すり抜けられない。自分に実体があることに、ひとまず安心する。

 ――こちらではどれくらい時間が経ったんだろう?


 その時、ズルズルと何かを引きずるような音が聞こえてきた。――アパスだった。

「お前、いつまでこんなところでぼんやりしてるんだ?」


「……僕はどれくらいの間ここにいました?」

「さぁ……、半日くらいかなぁ?」

 ――よかった。それほど時間は経っていないようだ。


「アパスさん、……この場所に見覚えはありませんか?」

 翠はアパスに尋ねた。

 怪訝そうに、アパスは廃墟の中を見回す。


「さぁね、どこだったかなぁ……。何でそんなこと聞くんだ?」

「いえ、別に……」


 ――できることなら、蒼龍の願いを叶えてあげたい。でも、どうすればいいんだろう……?



 *****


 エイゼンが手配してくれた船に乗って、ガーネットは海の上にいた。普段は漁に使われている帆船である。

 ガーネットの背中には、水で落ちない塗料を使ってしっかりと魔法陣が描かれていた。


「古き魔女の術式を直接拝めるとは、僥倖(ぎょうこう)だな」

 そう言って、エイゼンは魔法陣の描画に協力してくれた。比較的安全な海域で何度か素潜りを繰り返し、魔法陣の効果は確認済みである。


 ガーネットは水の中での動きを妨げる衣服を脱ぎ捨て、最低限の布製の水着だけを身に着けていた。

 ――ガーネットは全裸でもいいと言ったのだが、メイファに全力で止められた。


 船には、中型犬の姿になったクロも乗っていた。

 クロは海の水面をじっと見つめて、鼻先で方向を指し示す。クロが示した方向に、船は向かって行った。


 ある場所に辿り着いたところで、クロは激しく吠えた。

「……この下にスイがいるの?」

 肯定を示すように、クロはワンと一声吠える。


「分かった。クロはここで待っていて。……必ず、スイを連れて帰ってくるから」

 ガーネットは、念のため腰にいつもの双剣を装備する。そして、発光生物をいっぱいに詰めた瓶を明かりとして首から下げた。


「……気をつけて下さいね」

 メイファは、心配してここまでついて来てくれた。

「ありがとう。……行ってくる」

 そう言って、ガーネットは躊躇なく海の中へ飛び込んだ。

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