古き魔女アパス
都市の廃墟は延々と続いていた。
多くの建物は崩れて原形を留めていないが、一部の建物は当時の形を残していた。海底の泥に埋まっている建物もある。
中心部に大きな広場があり、アパスはそこを住処にしているようだった。
「……あなたはどうしてこの廃墟を守っているんですか?」
「さぁね。何でだったかなぁ」
翠の質問に、アパスは適当な返事を返す。
「何か残ってないんですか? 古文書とか、当時の遺物とか……」
「さぁね。探せば何か残ってるかもねぇ」
――結界まで張って守っているくせに、あんまり興味ないのかな……?
「探索してみても構いませんか?」
これだけ大規模な魔法文明時代の遺跡は他で見たことがない。そんなことをしている場合ではないと分かっているのだが、好奇心がうずいた。
「物好きな奴だなぁ、好きにしなよ」
肩をすくめて、アパスはそう言った。
「……ところでさぁ、人間って何を食べるんだっけ?」
ふと思い出したように、アパスは翠に尋ねる。
「あなたも昔は人間だったんじゃないんですか……?」
「そうなんだけどさぁ、あんまりよく覚えてないんだよねぇ」
「肉とか魚とか……、あと穀物とか野菜とかですね」
「ふぅん、まあ魚なら何とかなるかなぁ」
翠が軽く周囲の探索をして広場に戻ってくると、アパスから食事として生の魚を大量によこされた。
仕方なく、翠は自分で魔法で火を起こして焼いて食べた。
――調味料がないから、海水から塩でも精製しようかな……。というか、それ以前に真水を精製して飲み水を確保しないと死ぬな……
それから数日間、翠はオルンの廃墟を探索して過ごした。
かつては大勢の人間で賑わっていたであろう大通りも、今はもう誰もいない。日の光も届かない海の底に佇む廃墟の街並みを、発光生物がぼんやりと浮かび上がらせていた。
翠は魔法で明かりを灯して、街の中を進んで行った。
静かだった。自分の足音と呼吸音しか聞こえない、完全な静寂。
誰もいない廃墟を一人で歩き回っていると、心細い気持ちになってくる。
――ここ最近はずっとガーネットやクロが一緒にいてくれたから、完全に一人ぼっちになることなんてあんまりなかったな。ガーネット、心配してるかなぁ……
その時、ズルズルと何かを引きずるような音が近づいて来た。
――アパスだ。
「何もないのに、飽きずによく探索するねぇ」
アパスは、上半身が人間、下半身が蛇のような姿に変化していた。長い蛇の尾をうねらせて移動してくる。元の龍の姿では、大きすぎて街の中に入って来れないのだ。
「……あの、服着てもらえませんか?」
「何で?」
「いえ、やっぱりいいです……」
アパスの上半身は、長い黒髪の女性の姿をしている。常に全裸なので微妙に目のやり場に困った。青い肌のせいで、それほど性的には感じないのだが。
「で、何か見つかったか?」
「特に何も……。強いて言えば、これとかですね」
少し欠けているが、辛うじてまだ使えそうな陶器の釜だ。
「何に使うんだ……? それ」
「焼き魚に飽きてきたので、海鮮鍋でも作ってみようかと」
「……料理とかするんだな、お前」
「ただ切って煮るだけですよ。……アパスさんも食べます?」
「私は遠慮しとくよ……。人間って栄養摂取の効率悪いな」
アパスは掴みどころのない性格の魔女だった。
『世界樹』についても質問してみたが、「さぁね」と適当にはぐらかされた。
――本当に知らないのか、とぼけているだけなのか、よく分からない。
翠にも時折気まぐれに絡んでくる程度で、それほど干渉してこない。
――気分屋というか何というか、一体何がしたいんだろうな、この魔女は……
そうこうしているうちに、表層部はだいたい探索して何となく都市の全貌が把握できてきた。
いくつか比較的原形を留めている大きな建物も見つけた。
――図書館や大学、あるいは宗教施設だろうか。何か残っているとしたら、そういう建物の奥かな。
目星をつけた建物の一つに、翠は侵入してみることにした。
ドーム状になった玄関ホールには、かつては壮麗な壁画が描かれていたのだろう。だが、そのほどんどは剥落し、元の色彩が失われて判別できなくなっている。
玄関ホールから奥へと廊下が続いている。下へ続く階段は浸水して水の中に沈んでいた。
翠は、廊下を奥へ奥へと歩いて行く。
――思ったより状態がいいな。千年前の建物とは思えない。部分的に崩れかけてはいるものの、柱は綺麗に残っている。
廊下の突き当りを曲がると、更に廊下が続いていた。
しばらく歩いて、翠は違和感を覚える。――いくらなんでも廊下が長すぎないか?
外から見た建物の大きさに対して、さすがに廊下が長すぎる。慌てて引き返したが、元の玄関ホールには何故か戻れなかった。
――まずいな、何かのトラップに引っかかったか……?
もう一度、翠は慎重にその廊下を歩いてみた。魔法によるトラップなら、エーテルの濃度変化で分かるはずだ。
その時、不意に白い人影がクスクス笑いながら翠の横を通り過ぎて行った。慌てて振り返ると、もうそこには何もない。
――え、何……、幽霊……?
魔法で対処できない類の怪奇現象は勘弁してほしい。
とにかく、何か妙な空間に迷い込んでしまったことだけは理解できた。




