生贄の儀式
――数日後。
翠が寺院の書庫に引きこもっていると、ユイファが顔を出した。
「あの……、今年の祭りの『贄』にあなたが選ばれたと、先ほどラオ導師から聞きました」
「そっか……」
――多分、エイゼンさんがゴリ押ししたんだろうな。
「私、その……、何て言っていいのか分からなくて……」
ユイファは口篭った。
生贄となることを栄誉とする古い価値観や、父親からの期待、それら様々なものが入り混じって自分の気持ちが分からなくなっているのだろう。――年端も行かない少女に背負わせるには重すぎる。
「……怖くなって逃げ出した、それが君の正直な気持ちだと思うよ。大丈夫、死にたくないと思うのは何もおかしいことじゃない」
「あ……」
ユイファはハッとしたような顔をする。
「で、でも……、私の代わりにあなたが……」
「僕のことは心配しないで。……大丈夫、何とかしてみせるよ」
そう言って、翠は微笑んだ。
*****
アナンタ大祭は都を上げて数日間に渡って行われる大きな祭りだ。都の外からも、大勢の巡礼者が訪れる。
元から色彩豊かなシンシャの都が、祭りの間は更に鮮やかに飾り立てられる。家の軒先には色とりどりの提灯が掲げられ、意匠を凝らした様々な飾りが通りを彩った。
神に捧げられる『贄』は神輿に乗せられて都の中を練り歩く。そして、祭りの最終日に生贄の儀式が執り行われるのだ。
翠は女官たちの手によって化粧を施され、鮮やかな深紅の衣装を着せられた。裾が地面に引きずるほど長く、金の刺繍が施されている。
――これ、祭りの間ずっと着てないといけないのか……?
「似合ってるよ、スイ。異国の姫君って感じ」
着飾らされた翠の姿を見て、ガーネットが率直な感想を述べる。
「姫とか言うのやめて……」
「……気を付けてね。私とクロはなるべく近くにいるつもりだけど、状況によっては手助けできないかもしれないから」
「うん、分かってる。……大丈夫だよ」
象のような見たことのない動物の上に、神輿は乗せられていた。翠の知っている象より体が大きく、牙が長い。体色も黒みがかっている。
神輿は金細工で装飾され、色とりどりに染色された布が結び付けられていた。
僧侶たちの手を借りて翠は神輿に乗せられ、大勢の信者たちの中を行進した。
紙吹雪が舞い、鐘が打ち鳴らされる。信者たちも着飾って、顔に独特の化粧をしている者が多い。神輿の上から見るその光景はなかなか圧巻だった。
祭りの最終日には、宮廷に赴き国王の前で儀式が執り行われた。
女官たちが舞い踊る宴の後で、再び神輿に乗って移動する。都を出て、道中を信者たちに見送られながら海まで向かう。
――生贄の儀式は、どうやら一般信者が見ることはできないらしい。
海が見える頃にはすっかり日が暮れていた。
崖の上に作られた祭壇が、篝火の炎で浮かび上がって見えた。
僧侶たちの手によって神輿が地面に下ろされる。儀礼に従って、翠は神輿から祭壇へと移動した。祭壇の周囲には、翠以外誰もいない。
祭壇から少し距離を取った場所に僧侶たちが並び、一斉に祝詞を唱え始める。
――この祝詞は、召喚の術式だ。
大きなエーテルの流れを感じ取って、翠の背中の翼がザワザワする。
海の中から巨大な何かが近づいてくるのが、翠には分かった。
海面が大きく盛り上がり、異形の存在が姿を現わした。
――千の頭を持つという蛇神、アナンタ。
その姿は、蛇というより百足のように見えた。巨木のような太い胴体から、無数の腕が生えている。その腕は、よく見ると一本一本が人間の腕のような形をしていた。
頭部には無数の蛇の頭が生えており、蠢き絡まり合う蛇の下に大きな口があった。人間一人くらい簡単に丸飲みに出来るくらい大きな口だ。その口の中に並んでいる歯も、人間の歯のように見える。
――何ておぞましい。これが本当に神なのか……?
これまで様々な害獣を見てきてある程度耐性が付いているからいいものの、そうでなければ正気を失いかねない。
異形の神はその大きな口を広げ、祭壇に捧げられた供物を丸のみにしようと迫ってくる。
翠の方はすでに、魔法を発動する準備はできていた。ここに来るまでの間に十分にエーテルを溜め込んでいる。後は、術式を解放するだけだ。
「……detonation……!!」
冷静に、翠は発動の呪文を口にした。
アナンタを中心として魔法陣が展開し、海上で大爆発が巻き起こる。爆風で祭壇の一部が吹き飛び、翠自身も吹き飛ばされそうになるのを何とか堪えた。巻き上げられた海水が雨のように降り注ぐ。
降ってきたのは、海水だけではなかった。爆散したアナンタの血肉も一緒に降ってくる。翠の白い髪や羽根も赤く染まった。
肉片や千切れた蛇の体がビチャビチャと地面に落ちてくる様はさながら地獄絵図だった。遠巻きにしていた僧侶たちから悲鳴のような声が上がる。
――あれ、これで終わりか? 意外にあっけないな……
これではいつぞや倒したサンドワームと大して変わらない。――やはり、神などではなくただの巨大害獣だったのか……?
翠が拍子抜けしていたその時だった。どこからか、笑い声が聞こえてきた。
海面が盛り上がり、もう一体の巨大な蛇が姿を現わした。――蛇というより、それは龍のように見えた。青い体の美しい龍だ。
龍の額の部分から、裸の女の上半身が生えている。女の肌の色は、龍と同じ青色だった。
「面白い奴だなぁ、お前。ナーガラージャを倒したのはお前が初めてだよ」
楽しそうに笑いながら、女はそう言った。龍の頭が、翠の間近に迫ってくる。
「あなたは……?」
翠の問いに、女はニヤニヤ笑うだけで返答しなかった。
次の瞬間、龍がその大きな口を開いた。そして、翠の体をぱくりと丸飲みにする。
「スイ……!!」
離れた場所から儀式の様子を伺っていたガーネットが叫んだ。クロが即座にオルトロスの姿に変化して龍の方に駆け寄ったが、間に合わなかった。
翠の体を飲み込んだ龍は、海の中へとその姿を消した。




