桜下での戦い
ラオ導師のご厚意に甘えて、翠とガーネットはアナンタ寺院で寝泊まりさせてもらっていた。クロは普通の犬のようなふりをしてずっと大人しくしている。
寺院には各地から訪れる巡礼者向けの宿坊があり、やたらと広くて豪華な温泉まであった。
ガーネットは、あれ以来時折メイファの手合わせに付き合っていた。
「……すみません、いつも付き合ってもらって」
あまり表情には出さないが、自分の実力以上の手合わせ相手ができてメイファは内心嬉しいようだ。
「ううん、いいよ。どうせやることもないし」
翠が書庫にこもりがちなので、ガーネットも暇を持て余していた。
手合わせの後で、メイファが汗を流したいと言うので二人で温泉に向かった。
「外にもお風呂があるんだね。スイがめちゃくちゃ喜んでたよ」
興味深そうに、ガーネットは露天風呂に入る。彼女にとってはあまり馴染みのない文化だ。
「前から気になっていたんですけど……、神子様とはどういう関係なんです?」
引き締まった体をお湯に浸しつつ、メイファはガーネットに尋ねた。
「……うーん、今は相棒みたいな感じかなぁ」
「相棒……ですか。恋人ではないんですね」
「えっ、う……、うん……」
「……二人で旅をしてきたんですよね? 男女二人でずっと一緒にいて何事もないなんてことあります?」
「だ、だって私人形だから、人間の恋愛感情って正直よく分からないし……。スイのことは弟みたいに思ってるし……」
「弟……ですか。……あなたの方こそ、彼が生贄にされてもいいんですか?」
「それは……、私だってできれば反対したかったんだけどさぁ……」
なお、露天風呂の男湯と女湯を隔てるのは竹の柵一枚のみだ。たまたま同じ時間に露天風呂に入っていた翠に、その会話は丸聞こえだった。
――弟かぁ……、薄々分かっていたけど、はっきり言われると凹むなぁ……
何も言わなくても一緒にいてくれる状況に甘えて、ずっと彼女との関係をなあなあにしてきた。
――ちゃんと告白とかするべきなんだろうか……?
翠が思い悩んでいると、何やら温泉が混んできたことに気づいた。
――あれ、最初の頃はもっと空いていたと思うんだけど……
巡礼者らしき老人が翠に手を合わせていく。――あ、もしかして僕を拝みに来てるのか……?
「あなたが噂の神子様か」
不意に、見知らぬ男に声をかけられた。三十代くらいだろうか。体格が良くて筋肉質な男性だった。
「はい、そうですけど……」
「いやぁ、お目にかかれてよかった。本当に見事な翼だ」
「……どうも。……あの、あなたは?」
「はは、まあ、いずれちゃんと名乗るよ。こんな場所では落ち着いて話もできないしな。……では、そのうちまた」
そう言って、男はさっさと上がって行った。
「…………?」
――何だったんだ……?
*****
翠は、学校側から頼まれて時折魔法を教えに行くようになった。代わりに、学校の図書館に入れてもらって蔵書を読ませてもらっている。
――ここで子供達に魔法を教えているノウハウを西大陸に持ち帰れば、向こうでも魔法を普及させられるんじゃないかな……?
ふと、翠はそんなことを考えた。
学校の校庭には、桜のような木が生えていた。
しかし、翠の知っている桜に比べると大分花の色が濃い。花が咲いている時期も桜に比べるとかなり長いらしかった。
そんな花の咲く校庭で、翠は生徒達に魔法の使い方を教えていた。
その時、校舎の中から一人の男が姿を現わした。
――あ、この前温泉で会った人だ。
それは、先日翠に声をかけてきた体格の良い男性だった。彼の姿を見て、生徒たちの一部からざわめきが漏れる。教師が何かを言おうとしたが、青年は片手をあげてそれを制した。
――もしかして有名な人なのかな?
周囲の反応から、翠は何となくそう察する。
「やあ、また会ったな、神子様。あなたがここで授業をしていると聞いて来たんだ」
「……どうも、こんにちは。僕に何かご用ですか?」
「ああ、何やらあなたは実力のある魔道士だとか……。是非、あなたの力を見せてもらいたい」
「そう言われましても……、今授業中なんですけど……?」
念のため教師の方を一瞥してみるが、特に青年を注意するような気配はない。黙って成り行きを見守っている。
――教師が口出しをできないような人物なのか……?
「どうだ? 私と一つ手合わせなど。……もちろん、魔法で」
青年は、翠にそう提案した。
「え……、やめた方がいいですよ。上手く手加減する自信ないので、怪我をさせてしまうかもしれません」
「……はは、随分な自信だな」
顔は笑っているが目が笑っていない。――怒らせてしまったかな。
「どうぞ、気にせずかかってきてくれ」
「どうなっても知りませんよ……?」
仕方なく、翠は杖を構えた。
――人間相手に魔法を使うの、本当はあんまり好きじゃないんだけど。なるべく傷つけずに無力化する方法を何か考えないと……
「……ex……convert……electron……」
翠は出力を抑えた電撃を青年に向けて放つ。だが、電撃は青年には当たらなかった。
――えっ……!?
座標の設定は間違っていない。
――避けた? まさか……!?
人間離れした体さばきで魔法を避けた青年は、そのまま前に出て翠と距離を詰め、殴りかかって来た。
「……ex……aer……!!」
翠は咄嗟に圧縮空気をぶつけて青年の体を吹き飛ばす。これはさすがに避けられなかったようだが、青年はわずかに後退しただけで耐え切った。
「ちょっ……、魔法で戦うんじゃなかったんですか!?」
「もちろん、これが俺の魔法の使い方だよ」
言われてみれば、青年の周囲のエーテル濃度が高い。この国の言い方をすれば、体に『気』をまとっているように見える。……そういえば、メイファも打撃力を強化する魔法を使っていた。
青年は、袖口から呪符を取り出した。
発動の呪文を省略し、気合の掛け声一つで火焔を発生させる。
翠は空気を操って風を起こし、迫って来る炎を吹き散らした。
――だが、この炎は囮だ。翠はそれに気づいていた。
男は炎を放った瞬間に地面を蹴り、自ら放った炎を追うように翠に肉薄していた。その拳に乗せた『気』こそが彼の本当の魔法だ。
しかし、その拳が翠に届くことはなかった。
「うっ……!?」
突如として足に何かが絡みつき、男は体勢を崩した。木の根が地面の中を這い、男の足に絡みついていた。
――以前、プリトヴィーとのゲームで彼女の知識を頂いたことがある。その時に得た知識の一つが、植物を操る術式だった。……使える状況がかなり限定されるから、今まで活用したことはなかったんだけど。
「どうします、まだ続けますか? ……このまま絞め殺すこともできますよ」
木の根はじわじわと伸長し、男の体を絡め取っていく。力ずくで引き千切ったところで、根の伸長は止まらない。
「……なるほどな、こんな魔法もあるのか」
感心したように、男は言った。
「降参するよ。見事なものだ」
男の言葉に、翠はホッとした。――よかった。これ以上続けられたら、怪我をさせていたと思う。
翠が術を解くと、木の根はスルスルと地面の中に後退していった。
男性は、翠に向かって丁寧に頭を下げた。
「無礼を働いて申し訳なかった。あなたの力量と人となりをどうしても確認したかったんだ。……俺の名はエイゼン。姓はシェン。現国王の三男にして今はアナンタ寺院の大僧正を務めている」
――大僧正、つまりは寺院の最高責任者だ。めちゃくちゃ偉い人だった。
「早く言って下さいよ、そういうの……」
翠は思わず呟いた。




