アナンタ寺院
アナンタ寺院は都の中心部にあった。
金色の瓦屋根に、梁や柱は深紅、壁は鮮やかな彫刻で彩られている。荘厳で豪奢な寺院だった。
「……こちらです」
翠とガーネットの二人が建物の豪華さに圧倒されていると、メイファが彼らを寺院の中に招き入れた。ユイファの姿を見て、若い僧侶が寺院の奥へと彼女の帰還を伝えに行った。
寺院の奥から現れたのは、裾の長い僧衣を着た老人だった。
「おお、ユイファ様……!! よくぞお戻りになられました……!!」
「勝手に抜け出してごめんなさい、ラオ導師」
ユイファは素直に頭を下げる。
「……メイファ、この方々は?」
翠たちの姿を見て、ラオ導師はメイファに尋ねる。メイファが答える前に、翠は自分から名乗った。
「初めまして、僕はスイと申します。彼女はガーネット。……僕たちは異国からはるばる旅をして、先日この都に辿り着いたんです」
「そうでしたか……。大したもてなしはできませんが、どうぞゆっくりして行って下さい。異国の神子様」
ラオ導師は、丁寧な態度でそう言った。
「実は僕たちはアナンタ神の祭りに興味がありまして、メイファに頼んで同行させてもらったんです」
「そうでしたか。……もしかして、そのために異国から来られたんですか?」
「はい」
――本当の目的は違うが、今はそういうことにしておこう。
翠は、ここにいる誰もが予想していなかったことを唐突に切り出した。
「僕を今年の祭りの贄にして頂けませんか?」
彼の突然の発言に、ラオ導師だけでなく、ユイファとメイファも、そして周囲で見ていた僧侶たちも驚愕の表情を浮かべる。
「…………?」
ガーネットだけは状況が分からずキョトンとしていた。彼女は、翠ほどにはこの国の言語を習得できていない。もし言葉が分かっていれば、翠の発言を全力で止めていたに違いない。
「な、何と……!? た、確かにあなたにはその資格がおありのようだが……」
戸惑ったように、ラオ導師は言う。
「突然こんなお願いをして申し訳ありません。ですが、はるばるここまで旅をしてきたのです。アナンタ神の供物となる栄誉をどうか僕にお与え下さい」
そう言って、翠はこの国の流儀で丁寧に頭を下げた。
「そ、それは私の一存では決められません。異国の神子を生贄に捧げた前例もありませんし……。こちらで協議しますので、数日お待ち頂けますかな……?」
「はい、もちろんです。……よろしくお願い致します」
ラオ導師がその場を去ってから、メイファが翠に詰め寄った。
「どういうつもりなんです……!? 妹から名誉ある贄の役目を奪う気ですか!?」
「すみません、そんなつもりでは……。ただ、これを逃せば三年後まで機会はないと思ったら、つい……」
メイファは複雑な表情で翠を睨んだ。まだ何か言いたげだったが、彼女はそれを理性で飲み込んだ。
「……まあ、決めるのは導師たちです。行きましょう、ユイファ」
「う、うん……。待って、お姉ちゃん……」
ユイファは翠たちに向けてぺこりと一礼して、小走りで姉について行った。
ガーネットに状況を説明したところ、珍しく彼女は怒った。
「な……、何考えてるの……!?」
「ごめん……」
「……もしかして、人助けのつもりなの? ユイファの身代わりになるつもり?」
「人助けなんかじゃないよ」
「じゃあ、何で……?」
「……好奇心かな」
アナンタという神の実体をどうしてもこの目で見てみたかった。――もしかしたら、アナンタ神が古き魔女アパスである可能性も十分にある。
ガーネットはため息をついた。
「スイらしいと言えばらしいけど……、もうちょっと自分の体を大事にして……」
「ごめん……。心配してくれてありがとう、ガーネット」
「ほんとだよ、あんまり心配させないで」
「大丈夫、……死ぬつもりなんてないから」
そう言って、翠は微笑んだ。
――いざとなったら、神と戦ってでも逃げるつもりだ。
*****
僧侶に尋ねたところ、寺院の中を見学することを快く許してくれた。
寺院の中をうろうろしていると、再びユイファと出会った。ユイファは、翠の姿を見るとペコリと頭を下げる。
「ユイファ、……僕は君にとって悪いことをしてしまったかな」
「い、いえ……。そもそも、贄になるのが怖くて逃げ出してしまった私に何も言う資格なんて……」
伏せ目がちに、ユイファは答える。
「メイファは怒ってる?」
「あ、はい……。お姉ちゃんは怒ってる……みたいです」
「そっか……」
――つい好奇心のままに行動してしまったけど、やっぱり悪いことをしたかなぁ。生贄になることを名誉とする彼らの価値観は理解しにくいが、尊重するべきだったかもしれない。
「あ、あの、よかったら寺院の中をご案内しましょうか?」
ユイファがそう申し出てくれた。
「ありがとう、広すぎてどこから回るか困っていたところなんだ。……この寺院には書庫とかある? もしよかったら、見せてもらいたいんだけど」
「書庫ですか……、ええ、ありますよ。ご案内しますね」
「……えっと、じゃあ私はこの辺を適当に散歩してるね」
書庫に行くと翠が伝えたところ、ガーネットはそう言った。――書庫に入ったら、翠は多分しばらく出てこない。
「分かった。じゃあまた後でね」
そう言って、翠はユイファと共に書庫へと向かって行った。
翠と別れて、ガーネットは寺院の回廊を散歩していた。回廊には、特徴的な彫刻の施された柱が立ち並んでいる。
ふと、回廊から見える寺院の庭に、道場らしき建物があるのが目に入った。
道場の中を覗くと、メイファが一人で格闘の型を稽古していた。その流れるような動きは、まるで華麗な舞いのように見えた。
ガーネットの姿に気づいて、メイファは動きを止める。
「……あなたは」
「こんにちは、メイファ。……見学させてもらってもいい?」
にっこりと微笑んで、ガーネットは愛想良く挨拶する。
「昨晩から気になっていたんですが、あなたは一体何者なんです? 私の打撃を食らって平気そうにしているなんて」
メイファはガーネットに尋ねた。
「ごめんね、あんまりこの国の言葉が上手くないから、ゆっくり喋って?」
「……あなたは、一体何者なんですか」
「私はガーネット。古き魔女アーカーシャに作られた自動人形なの」
「人形……」
メイファは驚いた顔をする。
「……とてもそうは見えませんね」
「ありがとう」
「私の打撃が効かなかったこと、少なからずショックだったのですが、納得しました。……よかったら、手合わせをお願いしても?」
「いいけど……、手加減はした方がいい?」
ガーネットとしては気を遣ったつもりだったのだが、メイファは挑発と捉えたらしい。露骨に不快そうな顔をした。
「不用です……!!」
その一言でメイファを本気にさせてしまったらしい。初手から連続して鋭い蹴りを放ってきた。
――フェイントの入れ方も巧いしスピードも速い。でも、見切れないほどではないかな……
ガーネットはその蹴りを軽く受け流し、前に踏み込んで拳を突き出した。……が、その拳がメイファに届く直前に、メイファの動きが加速する。上段蹴りの体勢から体をひねり、蹴りの軌道が回し蹴りに変化する。
――しまった、ガードできない……!!
だが、メイファはその蹴りをガーネットに当てる前に寸止めした。ガーネットの拳も、メイファの眼前で止まっている。
「……手加減は不要と、分かって頂けましたか」
「うん……、ごめん」
それから、ガーネットはメイファの息が上がるまで手合わせに付き合った。
「体力が無限というのは、羨ましい限りですね……」
汗をぬぐいながら、メイファは言った。
「うん、まあね……」
一方のガーネットは、息一つ乱れていない。肺もなければ呼吸もしていないので当然なのだが。
「メイファも十分強いと思うよ。……どうしてそんなに強くなろうと思ったの?」
「妹を、守れるようになりたいと思って……」
自分達の身の上を、メイファは少しだけ話してくれた。
「……私の父は、下級役人でした。家は貧乏で、私を学校に入れるお金もなかった。――でも、ユイファが『神子』として生まれたおかげで、暮らしは一変しました。父は昇進し、家も裕福になった。……だから、私はせめて、ユイファを守れるようになりたいと思って……」
「でも、そのユイファがいなくなったら、寂しいんじゃないの……?」
「……それは……」
メイファは黙ってしまった。――やはり、彼女の心中は複雑らしい。




