グランジェ辺境伯
オギャァ……オギャァ……オギャァ……
赤ん坊のような鳴き声が聞こえる。
嬰児の姿をした異形の『天使』が群れて飛んでくるその様は、まるで悪夢のような光景だった。
翠にとって、それはトラウマそのものだった。
――でも、戦う力がなかったあの頃の僕とは違う。
「……ex……fogo……!!」
炎の魔法で、翠は天使をまとめて焼き払った。小さな『天使』は甲高い断末魔を上げて炎の中であっという間に灰になる。
ガーネットとクロが天使の群れを追い込んで、それをまとめて処分するだけの簡単なお仕事だ。
「……これでだいたい全部始末できた?」
翠はガーネットに尋ねる。
「うん、後は取りこぼしたのを探して倒せば終わりかな」
「そっか。研究用に使いたいから、何匹か生け捕りにできないかな?」
「まかせて……!!」
ガーネットは早速生き残りの天使を見つけると、死なない程度に行動不能にして捕獲する。
天使は、一匹なら動きも鈍いし大した脅威ではない。ただ、群れになると厄介だ。
彼らは人間の肉を、特に眼球を好んで食べる。そして、噛まれると傷口から羽根が生える通称『天使病』に罹る。羽根は宿主の生気を吸って成長し、放置すれば致死率は100%だ。
――僕は師匠が処置してくれたから何とかなったけど、本来であれば、噛まれた際の対処法は傷口周辺の肉を大きく抉り取るしかないらしい。
ちなみにだが、天使はエルドモント山脈とその周辺でのみ見られる固有種のようだ。
「こいつらってこの辺にはよくいるの?」
「うーん、大量発生するのは数年に一回かなぁ。今回は人間の村が襲われる前に退治できてよかったよ」
「……そうだね」
人間の村が天使に襲われた際の惨状を、翠はよく覚えている。
――何でよりによってあんな場所に転移させられたんだろう。もしかして、それもローズクォーツの悪意だったりするのかな……
周囲を探索して生き残りの天使を狩りながら、翠はガーネットに言った。
「……実は、古き魔女アパスを探しに行こうと思ってるんだ」
「えっ?」
魔法文明時代の生き残りである五人の『古き魔女』。――その最後の一人、古き魔女アパス。
「ああ、そっか。『世界樹』探しを再開するんだね」
「うん……」
この世界の中心定理。それが『世界樹』。
――真理の探究という目的は今も変わっていないけれど、もしかしたら、ローズクォーツに対抗する手段にも成り得るかもしれない。
『また来るわ。次こそはこの世界を滅ぼしてあげる』
ローズクォーツはそう言った。彼女はきっと、また現れる。
エルシア帝国で起こしたクーデターも、彼女にとっては遊びのようなものだったのだろう。――恐らく、彼女はまだ本気を出していない。本気で僕たちを殺す気だったなら、何度もその機会はあったはずだ。
「アパスの居場所には目星はついているの?」
「うーん、それが……」
地図によると、この西大陸デュシスの南端にアーケ諸島という島々がある。その先に、ノトスと呼ばれる大陸があるとされている。――どうやら、そこがアパスの領域らしい。
「……ただ、そのノトスについての情報があんまりないんだよね」
アーケ諸島はエルシア帝国の領内である。
――また、エルシアに行って情報を聞いてこようかな。この前マリアンジュからの事実上のプロポーズをお断りしたばかりだから、気分的にはちょっと行きにくいけど……
*****
「スイ……!! 来てくれたんじゃな……!!」
フラムフェル城を訪れると、意外なほどあっさりとマリアンジュは謁見を許してくれた。
ほんの数ヶ月見ない間に、彼女はまた少し背が伸びて大人びてきた気がする。現在は、宰相となったマイヤール公爵や周囲の家臣たちに支えられながら、立派に皇帝としての仕事を務めているらしい。
「あの、お忙しい時にすみません。マリアンジュ陛下」
「そんなに他人行儀にするのはやめてくれ。かつては同じベッドで眠った仲ではないか」
「ご、誤解を招くような言い方はやめて下さい……!!」
――人目がある場所で際どいことを言わないでほしい。確かに同じベッドで眠ったことはあるが、僕は本を読んで彼女を寝かしつけただけだ。
翠はここに来た理由を説明し、アーケ諸島のことについてマリアンジュに尋ねた。
「……何じゃ、私に会いに来てくれたわけではないのか……」
マリアンジュは小声で呟く。
気を取り直して、マリアンジュはアーケ諸島について答えた。
「アーケ諸島か……、あそこは確か、グランジェ辺境伯の領地なんじゃよ」
「グランジェ辺境伯……?」
「ああ。地理的に遠いせいもあって、中央の社交界には滅多に顔を出さんから、どういう人物なのか私もよく知らんのじゃが……。彼ならば、もしかしたらノトスとの交流もあるかもしれんな」
「本当ですか……!!」
「うむ。もし行くなら、私が紹介状を書いてやろう」
「……すみません、ありがとうございます」
「これくらいはお安い御用じゃ、スイには世話になったからな。……ただ、気をつけるんじゃぞ。あの辺は中央とは文化も異なっていると聞く。予想外のことがあるかもしれん」
「はい、ご心配ありがとうございます」
「気にするでない。……その、良かったらまたいつでも顔を出してくれ」
*****
グランジェ辺境伯の領地までは、帝都フラムフェルから馬車では一ヶ月はかかるらしい。
「ドラゴンでも何日かかかるね」
「そうだね。……まあ、休み休み行こう」
翠とガーネットは旅支度を整え、リューイに乗って飛び立った。当然、クロも一緒にいる。
残念ながら、何時間も続けてドラゴンに乗るのは翠の体力がもたない。時折町に降りて休息しながら、エルシア帝国領内を南下した。
――考えてみれば、エルシア帝国をこんなにゆっくり旅するのはこれが初めてだ。
せっかくなので、休息した土地の郷土料理を楽しんだりした。――いや、うっかり観光気分になっている場合じゃないけど。
そうこうしているうちに、ようやく目的地が見えてきた。
西大陸デュシスの南端に突き出た半島と、それに連なるアーケ諸島。――そこが、グランジェ辺境伯領だ。




