四次元視の少女
「僕が先に行って敵を引きつけます。皆さんはその隙に進んで下さい」
ディオン達の部隊に向かって、翠は言った。
「大丈夫なのか……?」
「まかせて下さい。……大丈夫、上手くいきますよ」
部隊員たちを安心させるように、翠はそう言って微笑む。
――大丈夫かっていうのは作戦のことじゃなくて、お前のことを心配しているんだけど……
ディオンはそう思ったが、残念ながら翠にはうまく伝わらなかったようだ。
「……頼んだよ、クロ」
翠はクロの背にまたがって、その毛並を撫でる。
了解を示すようにオルトロスは一声吠えると、地面を蹴って街の中を走り出した。
待ち伏せしている元帥軍の部隊の前に翠はわざと姿を晒し、注意を引きつける。
――恐らく、僕は優先排除対象のはずだ。敵はきっと僕を追ってくる。
銃弾に当たらないように路地に逃げ込み、追ってきた敵を魔法で吹き飛ばした。そして、バリケードがあった際は積極的に破壊していく。
そうやってなるべく派手に動き回ることで、元帥軍を攪乱した。
――敵の意識が僕に向けば、マイヤール公爵軍が多少は動きやすくなるはずだ。
魔法の源は空気中のエーテルという不可視の元素だ。そのため、MP切れで魔法が使えなくなるということはない。だが、残念ながら体力と集中力には限度があった。
これだけ動き回りながら魔法を使っていると、さすがに集中力が切れてくる。
翠が人気のない街路で一呼吸ついた、その時だった。
急にクロが何かを察知して動いた。
「うわっ……!?」
クロが回避行動を取るのと、発砲音が響いたのはほぼ同時だった。
翠の体を銃弾がかすめ、壁に穴を穿った。
――危なかった、クロが気づいてくれなければ死んでいた。
弾丸は、斜め上方向から飛んできた。弾の飛んできた方向を確認すると、民家の二階に元帥軍の兵士がいる。
「……explosion……!!」
建物の二階部分ごと、兵士を吹き飛ばす。だが、
――まずい、出力調整を間違えた。爆発の威力が想定より大きくなってしまった。
建物の耐久度も思った以上に脆弱だった。爆破されて倒壊するその建物の一階の窓から、身を寄せ合っている家族の姿が見えた。――民間人だ。
慌ててオルトロスの背から飛び降りて、翠は瓦礫と化した建物に駆け寄る。
「クロ……!! 彼らを助けて……!!」
クロに頼んで瓦礫を除去してもらっていた、その時だった。
不意に、翠は何者かに腕を掴まれた。
――ゾッとした。何もない空間から、白い手だけが生えている。
白い手は、その細腕からは想像もできない力で翠の腕を引っ張り、空間の狭間に翠の体を引き摺り込んでいく。
「クロ……!!」
クロを呼んだが、その時にはもう遅かった。翠の体は、異空間の中に取り込まれていた。
ぐにゃりと視界が歪む。三半規管がおかしくなり、上下左右の感覚すら分からなかった。世界がバグってしまったかのように、普段は絶対見えないはずの自分の体の内側が見える。
気分が悪くて、強烈な吐き気を覚えた。
何もかもが歪んだ世界の中で、自分の腕をつかむ白い手の感触だけが確かだった。
「……普通の人間には、四次元を知覚する機能がないものね」
声が聞こえた。――ローズクォーツの声だ。
「このままここに置き去りにしたら、きっと発狂してしまうわね」
クスクスと、ローズクォーツは無邪気に笑う。
再び腕を引っ張られ、翠は異空間からズルリと引っ張り出された。
まだ三半規管がおかしく、思わず床に膝をつく。床には絨毯が敷かれていた。
そこは、先ほどまでいたフラムフェルの市街地ではなかった。どこかの薄暗い部屋の中だ。
目の前にはローズクォーツが立っている。柔らかい微笑みを浮かべながら、床にへたりこむ翠のことを見下ろしていた。
「ここは……?」
「フラムフェル城の中よ」
「え……!?」
どうやら、彼女の手によって四次元空間の中に引きずり込まれ、フラムフェル城へと転移させられたようだ。
慌てて立ち上がろうとして、翠は自分の周囲に見えない壁のようなものがあることに気づく。
触っても何の感触もないのに、何故かそこから先に進めない。
「な、何だこれ……」
「あなたの周囲の空間の位相を少しだけずらしてあるの。……まあ要するに、あなたのいる空間だけ、周囲の空間と切り離されている状態ね」
「なっ……」
――理屈はよく分からないが、閉じ込められたという事だけは分かった。
周囲の空間と切り離されている、というのもどうやら本当のようだ。空気中に漂うエーテルを集めることが出来ない。――魔法が使えない。
「あなたを捕まえることなんていつでもできたの。……いつでもできるからやらなかっただけ」
どこか退屈そうな様子で、ローズクォーツはそう言った。
「……僕を捕まえてどうするつもりなんだ?」
「別にどうもしないわ。少し、お話してみたかっただけよ。……あなたは碧の弟だから」
意外な名前が出て、翠は驚いた。
――神崎 碧。それは、翠の兄の名前だ。
「どうして、君が兄さんの名前を……?」
「碧は私を救ってくれた人。この世界の他にも世界があることを教えてくれた人よ」
うっとりと微笑んで、ローズクォーツは言った。
「……もしかして、この世界に僕を引きずり込んだのは君なのか……?」
ずっと気になっていたことを、翠は尋ねた。
「そうよ」
あっさりと、ローズクォーツは答えた。
「この世界と、碧のいる世界との繋がりを強固にするためには、生贄が必要だったの。物や動物では繋がりが不安定だった。――だから、あなたをこちらに引き込んだのよ。転移の実験も兼ねてね」
「そんな……、そのせいで、僕は死ぬような目にあったんだよ……?」
――あの時ガーネットが助けてくれなければ、確実に僕は死んでいた。
「ええ、生きていたのは驚いたわ。……まさか母さんに拾われるなんてね。一体何の因果かしら」
一切悪びれる様子もなく、ローズクォーツは言う。
翠は、目の前にある見えない壁を力なく叩いた。怒りで頭がクラクラしそうだった。
――いや、こんな所で怒っても無駄だ。過ぎたことは一旦忘れよう。過去ではなく、この先のことを考えるんだ……
「……ジェルマン元帥に加担してエルシア帝国を乗っ取って、君は一体何がしたいんだ?」
怒りを抑えながら、翠は質問を変えた。
「別に、何も……。ただ、人間同士が殺し合うところが見たかったの」
そう言って、ローズクォーツは無邪気に微笑んだ。――その微笑みが、翠にはとてもおぞましいものに見えた。
「もっともっと殺し合って、世界がめちゃくちゃになるところが見たいの」
女神のような顔で、ローズクォーツは悪魔のように微笑む。
「ジェルマンは思ったよりも使えない男だったわ。もう少し頑張って戦火を広げて欲しかったのだけど……。簡単に決着がついては面白くないから、あなたはしばらくそこで大人しくしていて」
翠は見えない壁を叩く。叩いたところで、何の感触もない。
――くそ、本当に何もできないのか……!?
「君が過去にどれだけ辛い目にあったのか知らないけど、こんな風に無関係な人たちを巻き込むのは許されないよ……」
「……そう、知らないなら教えてあげる」
ローズクォーツは、おもむろに手を伸ばした。
彼女の手は、見えない壁をあっさりとすり抜ける。そして、翠の頭に触れた。
「私の記憶を見せてあげる」
翠の脳内に、ローズクォーツの記憶が流れ込んできた。
『魔女狩り』に巻き込まれて捕らえられ、凄惨な拷問を受けた挙句に、生きたまま炎に投げ込まれて死んだ記憶が。その苦痛と絶望が。
「……っ、あああああああぁぁぁ……!!」
翠は絶叫していた。耐えられなかった。
嘔吐しようにも胃の中に吐く物がなく、胃液だけが逆流してきた。
「ねえ、どう思う……? この世界の人間に守る価値があるのかしら……?」
ローズクォーツは尋ねた。
翠は、力なくその場に倒れて震えている。
「……ねえ、どうしたの? 心が壊れてしまった……?」
反応を示さない翠に、がっかりしたようにローズクォーツはため息をついた。
「残念ね……。まあ、しばらくそこで震えているといいわ。後で回収しに来てあげる。……きっと可愛がってもらえるわよ、捕虜として」
*****
帝都フラムフェルの上空を旋回し、ラズは全体の戦況を偵察していた。マイヤール公爵軍が慣れない市街戦に苦戦しているのが、上空からでもよく分かった。
しばらくは、オルトロスに乗った翠が街路を駆け回る様子が見えていた。
――ああやって派手に動いて、敵を陽動する作戦なのだろう。
だが、少し目を離した隙に、翠の姿が消えていた。
「…………?」
怪訝に思っていると、ラズの元にアーカーシャが飛んで来た。どうやら結界の敷設は完了したようだ。
「……お母様。スイの姿が消えました」
「ああ。私の方でも、スイの波動を感知できない。……まずいな、ローズの手に落ちたか」
アーカーシャの結界内で、翠の波動が突然消えた。そんなことが可能なのは、空間を操れるローズクォーツだけだ。
「私はスイを探しに行く。……ラズ、お前は人間達に加勢してやってくれ」
「承知しました、お母様」
頷いて、ラズは市街地へと降下した。
*****
ディオン達は、フラムフェル市街地での戦いを続けていた。
翠が敵の注意を引きつけてくれたおかげで、行軍は最初に比べるとかなり楽になった。翠が魔法で破壊してくれたバリケードを乗り越えて、先に進んで行く。
環状通りまであと少しという所まで辿り着いた時だった。
突然、路地の向こうから何かが飛んで来た。それは、ディオン達の目の前の壁にぶつかってぐちゃりと潰れた。
「…………!?」
それは、無残な姿に変わり果てた人間の死体だった。着ている制服から、それが元帥軍の兵士だと辛うじて分かる。
死体が飛んで来た路地の方からは、むせかえるような血の臭いがした。
空気を震わせる獣の咆哮と、銃声が聞こえる。
恐る恐る路地を覗き込むと、オルトロスが暴れていた。元帥軍の兵士の体を爪で切り裂き、その巨大な顎で噛みちぎって投げ捨てる。
敵と味方の区別はつけているようで、ディオン達の姿は無視して魔獣は猛然と駆け抜けていった。
そして、元帥軍の兵士に遭遇すると容赦なく虐殺する。
――何だ……? 何か様子がおかしいような……
ディオンは気がついた。オルトロスの背中に乗っているはずのスイの姿がない。
「スイ……?」
いつも以上に獰猛なオルトロスの姿は、まるで怒り狂って暴れているように見えた。――あるいは、主人の姿を探しているんだろうか。一体、何が起こっているんだ……?




