ハロー・ワールド
「古代文字の本、ですか。ええ、もちろんありますよ」
アーカーシャの館に戻った翠は、ラピスに尋ねた。
浄水施設を見学したおかげで、魔道具の仕組みが何となく分かってきた。――エーテル結晶をエネルギー源として、古代文字によるコードを記述することで現象に変換する。
「ご希望であれば何冊か選んできますけど、正直なところ、まだスイには少し難しいと思いますよ」
ラピスは率直に言う。
「うっ……、それはまあ、そうかもしれないけど……」
確かに、翠はようやく共通語が読めるようになった程度だ。いきなり古代文字の研究書を読むのは難易度が高いだろう。
「……それでも一応、調べてみたいな」
エーテルの流れが視える。
何の役にも立たないと思っていたこの翼にも、有効活用できそうな道筋がようやく見えた。
――だが、視えるだけでは役に立たない。能動的に、エーテルの流れを制御できる方法があれば……
かつての人々が使っていた『魔法』は衰退した。
古代文字は、人間が自由に魔法を操っていた時代の文字だ。現代でも、魔道具を作動させるためには古代文字が使われる。浄水施設で見た巨大な魔法陣も、古代文字で記述されていた。
――だから、古代文字を勉強すれば何か糸口がつかめるかと思ったんだけど……
「う……、難しい……」
ラピスが選んできてくれた本をペラペラとめくってみて、翠は呟いた。ラピスの言った通り、やはりいきなり古代文字の本を読むのは翠にはまだ難しかった。
「……魔法かぁ」
翠は、アーカーシャの言葉を思い出していた。『天使』が空を飛ぶ仕組みについて。
『連中は翼でエーテルの流れを読んで、その力を利用して空を飛んでいる』
アーカーシャはそう言っていた。だから、エーテルの流れを読むだけでなく、利用する方法もあるはずだ。
――そもそも、昔の人は一体どうやって『魔法』を使っていたんだろう?
「あ……」
そこで、翠は思いつく。――直接聞けばいいんじゃないか?
現代でも『魔法』が使える存在、古の魔女に。
*****
「……ああ、お前か。人間の町はどうだった?」
アーカーシャの居室を訪れた翠に、彼女はそう尋ねた。
「はい、とても勉強になりました」
――おかげで、色々な気づきを得ることが出来た。
「それは良かった。……それで? わざわざここに来たということは、何か用事でも?」
「はい……」
翠は、自分の考えをアーカーシャに話した。翼の活用方法を模索するため、古代文字を学びたいと思っていることを。
「……それで、昔の人は一体どうやって魔法を使っていたんですか?」
「現代でも条件さえ揃えば魔法は使えるよ。現に私が使えているのだから。……現代人が魔法を使えなくなった理由はたった一つだ。大気中のエーテル濃度が薄いんだよ」
アーカーシャは答えた。
「まだ私が人間の姿をしていた時代には、大気はエーテルで満ちていた。だから、当時の人間は呪文を詠唱するだけで魔法が使えたんだよ。……空を飛んでいるクラゲを見ただろう? あの空気クラゲは、昔はもっと地表の近くを飛んでいた。今では、遥か上空の高濃度エーテル層でしか生きられない。それくらい、当時と現代ではエーテル濃度が違うんだ」
「……つまり、現代では単純に呪文を唱えるだけでは魔法は使えない、と……」
「そうだ。だから、現代では結晶化したエーテルを使って魔道具を動かしている。……まあ、その翼を利用するという発想は悪くない。空気中のエーテルを集める役には立つかもしれないな」
翠は意を決して、とある申し出を口にした。
「……あの、僕をあなたの弟子にして頂けませんか」
命の恩人に対して申し訳ないが、翠はこれまでアーカーシャに対して「得体の知れない存在」という印象を持っていた。
だが、シェナスに行って彼女の人間達との関わり方を知った。人々は、彼女に対して畏敬の念を抱いていた。
――きっと、悪い存在ではないはずだ。
アーカーシャは、少し考えるような様子を見せた。
「私は、もう何百年も弟子など取っていない。……弟子を育てたところで、みんな私より先に死ぬ」
――やはり、駄目だろうか。まあ、もともと駄目元のお願いだったのだけど……
一瞬諦めかけた翠だったが、意外にもアーカーシャはこう言った。
「……だが、せっかくの申し出だ。入門テストをしてやろう」
アーカーシャは、戸棚に雑然と並んだ道具の中から一本の蝋燭を取り出した。
「なに、テスト内容は簡単だ。……この蝋燭に、火をつけること」
そう言うと、彼女は何もせず、呪文一つ唱えることなしに、蝋燭に火を灯してみせた。
一見すると何が起こったか全く分からないが、翠の右目の翼には視えていた。蝋燭の芯の先端に集中するエーテルの流れと、それが燃焼する瞬間が。
――同じことを、僕にやれというのか?
「もちろん、今すぐできなくていい。時間はどれだけかかっても構わない。……私には、時間はたっぷりあるからな」
*****
「いきなり魔法を使えって言われてもなぁ……」
古代の魔導書であれば、少なくとも当時の魔法の使い方は書いてあるはずだ。――まずは、そこから調べるしかないか……
それから、何らかの糸口を求めて古文書と格闘する日々が始まった。もちろん、いきなりスラスラと古文書が読めるわけはない。翠はまず、地道に古代文字を習得する必要があった。
「ここのところほとんど寝ていないようですけど、大丈夫ですか?」
夜遅くまで黙々と本を読んでいると、様子を見に来たラピスが尋ねた。
「ありがとう、ちゃんと最低限は寝ているから大丈夫だよ。……受験勉強よりは楽だし」
「ジュケンとは何です?」
「あ、いや、何でもない……」
ラピスは知っている。アーカーシャの弟子になりたいと申し出た人間は過去に何人かいた。
しかし、この入門テストをクリアできた人間は、まだ一人もいない。
「……どうしてそんなに頑張るのですか?」
黙々と古代文字を勉強する翠に、ラピスは尋ねた。――その努力が実るとは限らないのに。
「うん……、僕も何かできるようになりたいと思って……。僕にできそうなことって、他にないし……」
――今の僕には、何の力もない。誰かに守ってもらわないと何もできない。
翠の脳裏に、ガーネットの姿がよぎる。いつまでも、彼女に守られる存在のままでいたくなかった。
*****
この世界にも四季はあるようで、暖かだった気温は徐々に肌寒くなり、森の木々も紅葉していた。
シェナスに行った際に食料品や調理器具を買ってきたので、翠は自分の食事を自炊するようになった。なお、人形しかいないこの館にはもともと調理場は存在しない。ラピスに頼んで館の片隅を借り、ささやかに料理をしている。
料理をするのは良い気分転換になった。
とはいえ、買ってきた食糧だけではすぐになくなってしまうので、ガーネットと一緒に森の中を歩き、食べられる植物や木の実を教えてもらった。肉は、時折ガーネットが狩ってきてくれた。
その日もガーネットに連れられて外に出て、翠は川べりで釣り糸を垂らしていた。竹竿に糸を括りつけただけの簡単な釣り竿なので、正直あまり釣れたことはない。
ガーネットは何かの気配を察知して素早く森に入っていき、程なくして戻って来た。
「スイ、見て!! 袋ウサギが取れたよ~」
袋ウサギは、翠の知っている元いた世界のウサギより倍くらい大きい。おなかに袋が付いていて、カンガルーのようにその中で子育てをするらしい。
体毛が白い冬毛に変わりつつあり、モコモコしていた。――かわいい。
「ありがとう……、えっ、これ食べるの……?」
「えっ、食べないの? 今の時期は脂が乗ってて美味しいらしいよ?」
「………………いただきます」
ガーネットは不要な殺生はしない主義だが、必要な時は容赦をしない。彼女が手際よく獲物を捌く様は、翠も何度か見たので慣れた。白いエプロンに血が飛ぶのも気にしない。
「……それで、何か解決策は見つかりそう?」
兎の皮を丁寧に剥がしながら、ガーネットが尋ねる。
「うーん、古代魔法と同じやり方ではどうにもならないってことだけは分かったかな……」
古い魔導書は、エーテル濃度が高かった当時の環境での魔法の使い方しか記されていない。エーテル濃度の薄い現在の環境下では、それだけでは魔法は発動しないのだ。
「そうなんだ……、難しそうだね」
「うん……、まあでも、おかげで古代文字は結構覚えたし……」
燃えそうな落ち葉と枯れ木を集め、翠はその周りに木の枝で小さな魔法陣を描いた。その中にエーテル結晶の破片を投げ込むと、勢いよく燃焼が始まる。
「……すごいじゃない」
「いや、これはやってることは発火筒と同じだよ……」
魔道具がそうであるように、エーテル結晶がないと魔法は発動しない。
「まあ、とりあえずお肉でも食べて元気出して!!」
捌き終えた肉を、ガーネットが差し出す。
「あ、せっかくだから香草焼きにしたいな。さっき森の中で摘んできたんだ」
「……スイがいた世界には魔法はなかったの?」
翠がフライパンの上の兎肉に香草をまぶしているのを眺めながら、ガーネットが尋ねた。
「うん、僕のいた世界では、魔法は作り話の中にしかなかったよ。……その代わり、科学技術が発達していたから生活は便利だったけど」
「スイのいた世界の話もこの前聞かせてもらったけど、まるで魔法みたいだなって思ったよ。鉄の塊が空を飛んだり、遠くの人とお話できたり」
「そうかもね、特にスマホとかパソコンとか……、――あ……」
「……ん?」
翠はこれまで、自分が古い魔法の形式に捕われすぎていたことに気づく。
――そうか、古代魔法の様式にこだわる必要はないんだ。
『古代文字、それは創世の神が世界を記述した言語である――』
とある魔導書に、そう書いてあった。
世界を記述した言語。……つまりは、この世界を構築したプログラミング言語のようなもの、だとしたら。魔法は、世界に干渉して現象を引き起こすためのスクリプトなのだとしたら
――簡単な話だ。ないなら自分で構築すればいいだけだ。
大気中のエーテルを操るための、自分だけの魔法を。
*****
――魔法は、世界に干渉するためのスクリプト。
その仮説の検証と実践のために、またしばらく時間を費やした。魔導書に記された魔法陣を描き替えて出力結果を比較してみたり。呪文とそれが引き起こす現象の対応関係を調べたり。
気が付けばいつの間にか紅葉も散り、雪のチラつく季節になっていた。
背中に生えた歪な翼。
この翼にはエーテルの流れを感知する機能があるのだから、それを利用しない手はない。翼を媒体にして空気中の微量なエーテルを集めて、一旦自分の体内に溜める。そして任意のタイミングで放出させればいい。
古代文字でソースコードを書いて、それを発声によって実行できる形にする。
――と、言葉で言うのは簡単だが、それを実践できるようになるまで何度も試行錯誤を繰り返した。
「……ex……ex……convert……fogo……」
空気中のエーテルが、翼に集まるのを感じる。腕を通じて、その流れを指先へ。
蝋燭の芯に触れて、集めたエーテルを熱エネルギーに変換する。
「…………熱っ!!」
指先が焦げそうになって、慌てて翠は手を離した。
「あ……」
蝋燭には、火がついている。
「……で、できたあぁ……」
脱力して、翠は思わずその場にへたり込んだ。
――これだけのことに、思ったより時間をかけすぎてしまった。
*****
「……まさか本当に入門テストをクリアするとはな」
感嘆をもって、アーカーシャは翠を見つめる。
「空気中のエーテルを集めるのが思ったより難しくて、時間がかかってしまいました……」
「いや、私にとっては一瞬だよ」
――できない者は何年かかろうとできない。それを、この少年はものの数ヶ月でやってのけた。
「いいだろう、カンザキ・スイ。お前を私の弟子として認めよう」
「あ……、ありがとうございます」
「……しかし、スイ。お前は魔法を習得して何がしたい? 何のために魔法を学びたい?」
「それは……」
少し口ごもってから、翠は答えた。
「最初は、自分にも何か力があれば……と、思っていたんです。せめて自分で身を守れる程度の力が欲しいって……。でも、古代魔法を勉強してみて、この世界の成り立ちに興味が湧いて……」
翠は、アーカーシャの目を真っ直ぐに見つめる。
「僕は、この世界のことをもっと理解したい」
「……悪くない答えだな」
そう言って、アーカーシャは唇を歪めた。――笑った?
「ではまずは、どうやって炎を灯すことが出来たか、お前なりの理論を聞かせてもらおうか」
「あっ、はい……。燃焼についてはすでに炎の古代魔法があるのでその術式をそのまま流用したんですけど……、やっぱりエーテルを集めることの方が難題で、まずは一旦エーテルを流体と捉えてその基礎方程式を――」
こうして、魔女アーカーシャの弟子として認められた翠は、正式にこの館の住人になった。
だが、この時彼はまだ正確には理解していなかった。古の魔女の弟子になるという、その事の重大性に。




