エルダー平原の戦い
「今日も今日とて馬の世話か……」
厩舎の藁を替えながら、ディオンは思わずぼやいた。
ディオンは先日二十歳になったばかりの青年である。マイヤール公爵家に仕える白十字騎士団に所属する若き騎士だ。マイヤール公爵家の家紋が白十字であることからそう呼ばれている。
百年前は武勇で名を馳せた伝統ある騎士団だが、戦争の主役が銃や大砲に移行した現在においては時代遅れと揶揄されていた。
もちろん、厩舎の管理をしてくれる使用人もいるのだが、騎士団では伝統的に新人が馬の世話をする習わしだった。自分の足となる馬の面倒くらい自分で見ろ、ということらしい。
そんなわけで、その日も早朝から厩舎の掃除をしていると、先ほどまで静かだった馬たちが急に落ち着きなく騒ぎ始めた。
「ん……? どうした……?」
――怯えている……?
ふと見ると、厩舎の入口に何かがいた。――黒い犬だ。
一見するとただの犬のように見えたが、馬たちはどうもその犬に怯えているようだった。
「…………?」
不思議に思って、ディオンがその犬に近寄ろうとしたその時、
「……クロ!!」
厩舎の外から声が聞こえ、黒い犬は声の方へ駆けて行った。
ディオンが外に出てみると、声の主は一人の少年だった。右目に大きな眼帯を付けて、ブカブカのローブを着ている。
――見ない顔だな。誰だろう……?
声をかける暇もなく、少年は城の方へと歩いて行った。黒い犬も少年の後をついて行く。
――アルブラン城、マイヤール公爵家の居城だ。
マイヤール公爵家は、エルシア帝国でも古くから続く名門貴族の家系だ。
現在の当主であるジョセフ=マイヤール公爵の娘、リディアがアレクサンドル皇帝の正妻になったことで、皇帝の親族となった。
だが、突如として発生したジェルマン元帥によるクーデターによって、アレクサンドル皇帝は殺害された。
帝都で政治に関わっていたジョセフ=マイヤール公爵も身に危険を感じ、逃げるようにアルブラン城へと戻って来た。
そして、戻って来るやいなや、マイヤール公爵はわざわざ新聞記者を集めて声明を発表したのだ。
温厚な公爵にしては珍しく強い語気でジェルマン元帥を糾弾し、徹底的に抗戦する姿勢を表明した。そして、自らに賛成する諸侯に同盟を呼び掛けた。
これには正直、ディオンも驚いた。
――公爵がこんなにはっきりと戦う姿勢を見せるなんて。
「戦争になるのかなぁ……」
騎士団の詰所で、ディオンは何気なく呟いた。
「戦えるならむしろ本望だろ。武勲を上げるチャンスだぜ?」
同僚の騎士が言う。
「それはそうだけどさ……」
確かに、毎日のように訓練に明け暮れているのは、いつか来る実戦のためだ。
――でも、相手は銃や大砲を撃って来るんだろ……?
臆病者と思われたくないので、ディオンはその言葉を飲み込んだ。
「それに、噂では『賢者』がマイヤール公爵の味方に付いたらしいぜ?」
同僚がそう言った。
「え……、あのジレーズ砦の英雄……?」
ジレーズ砦の戦いで、オルダキアの蛮族からエルシア軍を守ったという英雄。その話は、さすがにディオンでも知っていた。
「ああ。何でも『古き魔女』の弟子で、すごい魔法が使えるって噂だ。見てみたいよなぁ」
「魔法……」
――実在するのか。銃と大砲のこの時代に、魔法なんて。
徹底抗戦の構えを見せたマイヤール公爵を、ジェルマン元帥が見逃すはずがなかった。
帝都から軍隊がマイヤール公爵領に向かっているという知らせが入ったのは、それから数日後のことだ。
*****
――本当に、戦争が始まってしまった。
鎧を着こんで馬に乗り、隊列を組んで進みながらディオンは不安でいっぱいだった。
帝都からマイヤール公爵領に向かってくる部隊は、八千はいるらしい。対するマイヤール公爵の部隊は、白十字騎士団と領民から徴募した兵士を合わせてもその半分に満たない。しかも、装備も帝国正規軍に比べると旧式だ。
――勝てる見込みなんてあるのか……?
帝都の側から見て、マイヤール公爵領の手前にはエルダー平原と呼ばれる草地が広がっている。
公爵はそこに部隊を配置し、街道を進軍してくる元帥軍を迎え撃つことになっていた。
ジョセフ=マイヤール公爵本人が大将として戦場に立ち、兵士達を鼓舞している。
ディオンが聞いている作戦の概要はこうだった。
銃兵部隊が元帥軍を本陣深くまでおびき寄せ、その間にディオン達白十字騎士団を中心とした騎兵部隊が両翼から回り込み、元帥軍を包囲して叩く。
――そう上手くいくのだろうか。というか、銃兵部隊が持ちこたえられるのか……?
だが、ディオンとしては作戦に従うしかない。
平原の向こうには、もう元帥軍の姿が見えていた。
銃兵同士の撃ち合いから、戦いは始まった。
数の上で優位な元帥軍は、マイヤール公爵軍を舐めてかかっていた。時代遅れの騎兵部隊など、何人いようと敵ではないと考えていた。
実際、マイヤール公爵軍は数で押されてじわじわと後退していた。
調子に乗って、元帥軍はどんどん前進した。――このまま中央突破して、マイヤール公爵領に攻め込んでやる。
その時、少しずつ後退していた公爵軍の銃兵部隊が、急に二手に分かれて戦線から離脱するような行動を取った。
――何だ?
突然のことに、陣頭指揮を取っていた元帥軍の司令官は困惑する。一瞬、彼らは戦意を喪失して逃げ出したのかと思った。
だが、そうではなかった。
彼らが離脱したその場所に、突如として巨大な双頭の黒い犬が出現する。
――魔獣オルトロス。
魔獣は、兵士達を威嚇するように咆哮した。
「うわああぁっ……!!」
突然現れた魔獣に驚いた元帥軍の兵士は、オルトロスに向かって発砲する。
だが、魔獣は鉛玉をものともせずに悠然とその場に立っていた。
「待て!! 魔獣に構うな……!!」
司令官は兵士達の発砲を止めた。
魔獣の巨体の上に乗っている少年の存在に気づいたからだ。――少年の背中には、白い歪な翼がある。
「……『賢者』だ。『賢者』を狙え……!! 撃て……!!」
――もう遅い。
魔法の発動の準備は済んでいる。
元帥軍の本隊はもう、魔法陣の内側にいる。
巨大な魔法陣が、薄青い光を放った。
「……detonation……!!」
爆発による気体の膨張速度が音速を超える爆轟魔法。
高温の燃焼反応と衝撃波が、容赦なく元帥軍の兵士達を巻き込んだ。
――何が起こったんだ……!?
突然の爆音に、馬の脚が止まる。爆風の余波は、ディオン達の部隊まで届いた。
「うっ……」
人肉が焦げる臭いが漂ってきて、ディオンは思わず吐き気を覚えた。
「構うな、走れ!! 俺たちの仕事はここからだ……!!」
騎士団を率いる隊長が檄を飛ばす。
元帥軍の本隊が一瞬で壊滅に近い損害を受け、数の優位は覆った。
浮足立った元帥軍の残存部隊を、ディオン達騎兵部隊が包囲する。
「切り込め……!!」
隊長の号令で、騎兵部隊は一斉に元帥軍の兵士に切りかかった。
乱戦になってしまえば、飛び道具の優位性は失われる。
――銃を向けられる前に、殺せ……!!
「あああああぁぁぁっ……!!」
雄叫びのような声を上げ、ディオンは元帥軍の兵士に剣を振り下ろした。
肉を切った感触が、手に伝わってくる。
鉄の筒を向けられるのが怖くて、逃げ惑う元帥軍の兵士を馬で踏みつぶし、ひたすら剣を振り回した。
それが、ディオンの初陣だった。
*****
その日の戦いは、マイヤール公爵軍の大勝利に終わった。
アルブラン城では、祝勝会が開かれていた。
ディオンも祝勝会には参加していたが、何となく料理に手を付ける気にはならず、とりあえず酒だけ飲んでいた。
――というか、アレを見た後でよく肉なんて食えるな……
戦場は、酷い有様だった。
爆発で地面は大きく抉れ、焼け焦げてバラバラになった元帥軍の兵士の死体が散乱していた。
ジレーズ砦の話は、誇張でも作り話でもなかった。
――あれが『魔法』か……。何か、想像してたのと違うな……
そう言えば、肝心の『賢者』の姿を見そびれてしまった。――あんな力を扱う『賢者』というのは、一体どんな奴なんだろう。
酔いを醒まそうと思って、ディオンは外に出た。
夜風が心地よかった。発光生物が空で瞬いている。今日の夜空は明るい。
「ん……?」
そこに、先日見た黒い犬を見つけた。
飼い主の少年も一緒にいる。その場にうずくまって嘔吐している少年を、黒い犬は心配そうに見ていた。
「おい、大丈夫か? 飲みすぎか……?」
ディオンは少年に声をかけた。
「だ、大丈夫です……」
少年は答えた。
「……君、一体何者だ? 兵士じゃないよな……?」
ディオンは尋ねた。線の細い彼はとても兵士には見えなかったし、かと言って使用人にも見えない。
「僕は……、今は、マイヤール公爵の客人です……」
少年は、微妙に言葉を濁した。
「客人……?」
――こんな少年が? 疑問に思ったが、ディオンは深く追求しなかった。
「まあいいや……。水飲むか?」
まだ気分が悪そうにしている彼に、ディオンは水袋を差し出した。
「……ありがとうございます」
少年は水袋を受け取って口に運ぶ。
「君、名前は?」
「……スイ」
「そうか、俺はディオン。……実は、今日が初陣だったんだぜ」
「そうだったんですか……」
「ああ、初めて何人も人を殺したよ。それからずっと手が震えててさ……」
どうして初対面の彼にそんな話をしたのか、ディオンにもよく分からない。――だが、誰かに聞いてもらいたかったのだ。臆病者と言われてしまうので、仲間には話せない。
「まあ、賢者様の魔法のおかげで戦いは大勝利だったんだけどさ。……でも」
ディオンは言った。
「あんな風にまとめて何百人も殺すっていうのは一体どんな気分なんだろうな」
少年が水袋を取り落とした。――手が震えている。
「……お、おい。大丈夫か……?」
「だ……、大丈夫です……。あの、僕がここで吐いてたことは秘密にしておいて下さい」
「え……? ああ、まあ、別に誰にも言わないけど……」
逃げるように踵を返して、少年は城の方へと戻って行った。黒い犬もすぐ彼の後を追う。
――スイって言ったっけ。一体何者なんだろう。




