清らかな水
「えっ、……もしかして同室なの?」
「私と同室じゃ嫌なの?」
ガーネットが首をかしげる。
その日は、シェナスの宿屋で一泊することになった。そして、ガーネットは当然のように二人一部屋で宿を取ろうとした。
「い、嫌じゃないけど……」
「じゃあいいよね。部屋が別だと、もしもの時にスイを守れないし。私のことは気にしなくていいから」
――いや、そう言われても絶対気にするけど……?
質素な部屋の中にはベッドが二つと、発光生物のランプが木製のテーブルの上にぽつんと置かれていた。
ベッドに腰かけると、翠はドッと疲労感に襲われた。
――見知らぬ町を歩き回ったから、かなり疲れた。
「大丈夫?」
ガーネットが心配そうに声をかけてくれる。
「うん、平気……。今日は色々とありがとう」
「ううん、気にしないで。私もいつもは一人で来てるから、スイと一緒で楽しかったよ」
裏表のない笑顔で、ガーネットは微笑む。
「そんな……、僕なんて何の役にも立ってないのに」
「だからそういうの気にしなくていいってば」
――気にするなと言われても気にしてしまう。自分にも何か、できることがあればいいのに。
翠は着ていたコートを脱いで、文字通り羽根を伸ばした。背中の翼を覆っているとやはり窮屈だし、何より暑い。
「……その羽根、動かせるの?」
興味深そうに、ガーネットは尋ねた。
「うん、多少は……。まあ、何の意味もないけどね」
――むしろ、翼が徐々に自分の体に馴染んでいる気がして正直気持ちが悪い。
「ふーん……。ねぇねぇ、触ってもいい? 毛づくろいしてあげよっか?」
「えっ、それは……、うわぁ!?」
翠が答えるよりも先に、ガーネットはじゃれつくように飛びかかってきた。背後から抱き着かれるような形で、翠はベッドの上に押し倒される。
「実は前から触ってみたいな~って思ってたんだよね」
言いながら、ガーネットは翠の羽根を指で優しくなぞった。
「ちょっ、やめっ……!? くすぐったいって……!!」
感覚器官であるその羽根は、翠が思っていた以上に敏感だった。彼女の指に優しく触れられて、くすぐったいというよりむしろ快感のようなものさえ覚える。
――まずい。何だかこれは色々とまずい……!!
「あっ……、ごめんね、ちょっとやりすぎた?」
申し訳なさそうに言って、ガーネットは体を離す。
「ううん……別に……」
――危うく新たな性癖に目覚めるところだった。
*****
翌朝。宿屋には食堂が併設されており、宿の女将が簡単な朝食を出してくれた。
翠は、金属製のカップに注がれた水を思わずじっと見つめる。
「……どうしたの?」
不思議そうに、ガーネットが訪ねた。
「いや、実はずっと気になってたんだ……。どうして綺麗な水がいつでも普通に飲めるのか」
「スイのいた世界では違ったの?」
「僕のいた国では普通のことだったけど、生水を飲めない国もたくさんあったし、すごいなって……」
「シェナスは特に水の浄化技術が発達してるからね。……せっかくだから、見学に行ってみる? 水の浄化施設」
「うん……!!」
シェナスの町は広い。そのため、町の中を周回する乗り合い馬車が定期的に走っていた。
馬車に揺られて町の中を移動することしばらく。とある石造りの建物の前に辿り着く。門の入り口は衛兵に守られていた。
ガーネットは衛兵に話しかけ、何事か交渉をする。意外にもあっさりと、衛兵は門の中に通してくれた。
「……こんな簡単に中に入ってもいいの?」
翠はガーネットに尋ねる。
「本来なら関係者以外立ち入り禁止だけど、まあ私だからOKだって」
彼女はどうやらこの町のほとんどの場所はフリーパスで入れるようだ。
地上部分の建物はそれほど大きくはなかったが、どうやら貯水・浄化のための施設は地下にあるらしかった。
階段を地下へ地下へと降りて行くと、急に開けた空間に出た。ひんやりとした空気が肌に心地よい。
地下空間に大理石の柱が何本も立ち並ぶその様は、まるで巨大な地下神殿のようだった。柱には発光生物のランプが取り付けられ、地下空間を幻想的に照らしている。
「すごい……」
この地下空間そのものが貯水槽であり、水道橋によって山から引いてきた水は一旦ここに貯められる。
背中の羽根がざわつくのを、翠は感じた。コート越しでも分かるくらい、大きなエーテルの流れを貯水槽の奥から感じる。
「……ガーネットじゃないか。久しぶりだな」
翠が地下空間の景色に圧倒されていると、白髪交じりの初老の男性が声をかけてきた。
「フランコさん!! お久しぶりです」
ガーネットは笑顔で挨拶する。
「そっちの坊主は?」
「あの、初めまして、翠と申します。……わけあって彼女のところでお世話になってます」
「まあちょっと色々ありまして……。一緒にここの見学をさせてもらっていいですか?」
フランコは翠が首から下げているアーカーシャの紋章を一瞥して、それ以上何も聞かなかった。
「ああ、好きに見て行くといい。仕事中だからあんまり構ってやれんがな」
「ありがとうございます」
ガーネットに続いて、翠も礼を言った。
「フランコさんはここの責任者なの。もう三十年以上ここで働いてるんだよ」
ガーネットが翠にそう説明する。
「……俺はこんなに老けちまったが、あんたは変わらないな」
フランコが、ぼそっとそう呟くのが聞こえた。
貯水槽の上を渡れるように、石造りの橋がかけられている。
その橋の上から、貯水槽の中を見下ろすことができた。澄んだ水の底に、巨大なエーテル結晶が沈んでいる。その周囲には魔法陣が描かれ、淡い光を放っていた。
――エーテルの流れの発生源はこれか。
フランコがこちらを見ていないことを確認して、翠はそっと右目の眼帯を押し上げ、エーテルの流れを視た。結晶から生じたエーテルの流れが、水槽全体に伝播していくのが分かる。
水の中を巡る青い粒子の流れは、やがて空気中に昇華されていく。
「すごいでしょ? この貯水槽全体が、巨大な魔法装置なの」
ガーネットは、そう説明した。
この貯水槽で浄化された水が汲み上げられ、市内の各区画に設けられた給水所へと分配されているらしい。見ると、貯水槽の壁にはたくさんの配管が走っている。
その配管の束を前にして、フランコが渋い顔をしていた。
「どうしたんですか? フランコさん」
ガーネットが尋ねた。
「いや、実は一部の区画から給水所の水の出が悪いって苦情が来ててな。多分どこかのポンプがいかれてると思うんだが……」
「……これだけあると、確認するの大変そうですね」
「まあ、他の職員も呼んで手分けして確認するさ。それが仕事だからな」
苦笑いしながら、フランコはそう答えた。
その時、ふと翠は気が付いた。
――これ、僕なら分かるんじゃないかな?
フランコに気づかれないようにこっそりと眼帯を押し上げて、翠は配管を観察する。案の定、水の汲み上げを行っているポンプも何らかの魔道具のようで、配管を流れるエーテルの流れが、翠には見えた。
この流れが滞っている場所が分かれば、どのポンプが壊れているのか分かる……はず。
「あの配管……」
流れの滞っている配管を見つけて、翠はそれを指差す。
「多分、ポンプが壊れているのはあそこです」
「……どうして分かる?」
怪訝そうに、フランコはそう言った。ガーネットですら、驚いたような顔で翠を見ている。
――そういえば、エーテルの流れが見えるという事はまだガーネットにすら話していなかった。
「え、ええと……」
――しまった。考えてみれば、疑われるのは当然だ。
後先考えずに発言してしまったことを、翠は後悔する。上手い言い訳も思いつかない。
「……まあいい、どうせ後で全部確認するんだ。一応見てみるか」
フランコはそう言って、工具箱を手に持ってその配管へ向かった。配管と繋がるポンプのカバーを手際よく外して中の状態を確認する。
「……驚いたな。本当に止まってやがる。……どうして分かった?」
やはり、ポンプが壊れていたのはそこだったらしい。
「えっと、その……、あの、勘です……」
――我ながら嘘が下手すぎる。
「……まあ、理由はともかく助かったよ。一つ一つ確認する手間が省けた。ありがとうな、坊主」
「いえ……」
深く追及されずに済んで、翠は胸を撫でおろす。
――今度から、もう少し慎重に発言しよう。
小声で、ガーネットが話しかけてきた。
「……すごいね!! 本当にどうして分かったの?」
「理由は後で話すよ……」
――使いようによっては、意外にこの翼は役に立つのかもしれない。
その事実に、翠はようやく気がついた。




