悲劇の夜
華々しいムードの中で締結された友好条約だったが、二国間の友好関係は長続きしなかった。
崩壊は、あまりにも突然訪れた。
「お前達……、自分が何をしているか分かっているのか……!?」
アレクサンドル皇帝は叫んだ。
玉座を警護していた近衛兵達は無惨にも全員が殺され、フラムフェル城は反逆軍によって占拠されていた。
「ええ、もちろん分かっておりますよ。皇帝陛下」
表面上だけは丁寧な態度で男はそう言って、不敵な笑みを浮かべる。
「あなたの弱腰にはもううんざりなんですよ。我々はあなたを断罪し、帝国の権威を取り戻す……!!」
男の指示で、反逆軍の兵士達が皇帝に向かって銃を構える。
「権威だと……、馬鹿なことを……」
吐き捨てるように、皇帝は言った。
「……撃て」
銃声が鳴り響いた。
「父上……!! いやあああぁぁぁ……!!」
父親が凶弾に倒れるその瞬間を、マリアンジュは見た。
*****
条約の調印式典が終わってから数ヶ月の間は、穏やかな日々が続いていた。
エミディオは条約締結を追い風にして、共和国の代表選挙で二期目の当選を果たした。
――最初からそこまで計算してたんだろうなぁ、あの人は……。何だか上手く利用された気もするけど、まあ、首相に貸しを作っておくのもいいか……
翠はとりあえずそう思っておくことにした。
翠は、しばらくアーカーシャの館に引きこもって研究に専念していた。――わざわざ町に出て刺客に狙われるのも面倒だ。
定期的にシェナスにお使いに行くシトリンには、何か重要そうな依頼があった時だけ伝えてくれるように頼んであった。
プリトヴィーからもらったデータをもう一度精査したりしていたが、『世界樹』の探索は正直行き詰まっていた。
――ヴァーユの言っていた「世界の裏側」というのもよく分からないし、やっぱり五人目の古き魔女アパスを探しに行くべきかなぁ……
そんなことを考えていたある日のことだった。
凶報は、突然舞い込んできた。
「た、大変っス……!!」
シェナスに行っていたシトリンが、大慌てで戻ってきた。
「エルシア帝国でクーデターが発生、アレクサンドル皇帝が、さ、殺害されたっス……!!」
反逆軍によって占拠されたフラムフェル城から命懸けで脱出した近衛兵の一人が、早馬を飛ばしてルーセットに事態を伝えたらしい。
「え……、マリアンジュ皇女は……!?」
「皇女は生死不明らしいっス……」
――ということは、まだ生きている可能性もあるということだ。
「ガーネット、すぐにリューイを飛ばして。今からエルシアに行く……!!」
「分かった!!」
ガーネットは、即座に頷いた。
「え……!? い、今行くのは危険っスよ!?」
シトリンが慌てて止めようとする。
「だから行くんだよ……!!」
*****
「うぅっ……」
暗闇の中で、マリアンジュは目を覚ました。――ここはどこだろう。
彼女が今までに嗅いだことのない、甘ったるい香の匂いがした。その匂いは、マリアンジュにとっては下品で不快なものだった。
縛られた両腕に縄が食い込んで痛い。
――父上が殺された。その後のことは記憶が曖昧でよく思い出せない。
全部、悪い夢だと思いたかった。
「父上……」
思わず呟いたその時、部屋に明かりが灯された。
マリアンジュはどこかの部屋のベッドの上に縛られていた。全く見覚えのない場所だが、王宮でないことだけは確かだ。
知らない男がそこにいた。だらしなく太った中年の男だ。
「……おや、お目覚めになりましたかな、マリアンジュ皇女」
「だ、誰じゃお前は……!?」
「はは、まあ知らないのも無理はありませんな。私など皇女の眼中には入っていなかったでしょうから。でも、私はずっとあなたのことを見ていたんですよ。……まさか、あなたを金で買える日が来るとは思ってもみなかったですぞ」
そう言って、男はいやらしく笑った。その笑みに生理的な嫌悪感を覚えて、マリアンジュは全身に鳥肌が立った。
「な……、何を言っておる……」
「まだ自分の立場がお分かりでないのですかな? あなたは売られたんですよ。でも心配は無用ですぞ。私が、これからたっぷりと可愛がって差し上げますからな」
男が、マリアンジュの着ている衣服に手を伸ばす。
「さ、触るな!! 無礼者……!!」
「あなたはもう皇女ではないのですぞ? これは言葉の使い方から躾けないといけませんな」
男の手がマリアンジュの衣服を掴み、乱暴に引き裂いた。
「いやああぁぁっ……!!」
仕立ての良いドレスが無惨に破け、少女の白い肌が顕になる。
「やっ、やめよ無礼者!! い、一体何をするつもりじゃ……!!」
「おやおや、もしかして性教育はまだでしたか……? これは躾け甲斐がありますなぁ」
ニタニタと、男の顔が一層醜悪に歪む。
「ひっ……、さ、触るな……!!」
男の手がマリアンジュの肌に触れようとした、その時だった。
爆発音と共に、部屋の扉が吹き飛んだ。
「な、何だ……!?」
男が狼狽して声を上げる。
扉を破壊して現れたのは、白い翼の生えた魔法使いだった。
「スイ……!! た、助けて……!!」
マリアンジュは叫んだ。
縛られて無惨に衣服を破られたマリアンジュの姿を見て、翠は頭に血が上るのを感じた。
顕になった彼女の胸元に、白い羽根のペンダントが見えた。
それは、翠が以前城を去るときに書き置きと一緒に残して行ったものだ。――そんなものを、今まで後生大事に持っていたのか。
「……マリアンジュ様、少しだけ目を瞑っていて下さい。僕がいいと言うまで、開けてはだめですよ」
「う、うむ……」
よく分からなかったが、マリアンジュは翠に言われた通りに目を閉じた。
「お、お前、『賢者』か……!? ど、どうしてこんな所に……!?」
狼狽した男が何か言っている声が聞こえる。
「……や、やめろ、やめてくれ……!! 私はまだ何もしてな――」
バチッと爆ぜるような音が聞こえて、マリアンジュは小さく体を震わせた。ドサリと何かが倒れる音。それ以降、男の声は聞こえなくなった。
マリアンジュの腕を縛っていたロープが切断されて、両腕が自由になった。
ふわりとシーツで包まれて、体を抱き上げられる。
「……もう、目を開けてもいいですよ」
目を開けると、翠の顔がすぐ近くにあった。
「スイ……!!」
安堵感が込み上げてきて、マリアンジュは翠の体に抱きついて声をあげて泣いた。
「もう大丈夫。大丈夫ですよ……」
あやすように、翠はマリアンジュの背中を優しく撫でた。
床には、電撃で脳を焼かれた男の死体が転がっている。
――初めて自分の意思で人を殺したが、後悔はなかった。
シトリンからの報告を受けてすぐ、翠はリューイに乗ってフラムフェル城へと急行した。
反逆軍に占拠された城に上空から侵入し、魔法で姿を隠して兵士達の思考を読んだ。
そこで分かったのが、マリアンジュ皇女はまだ死んでいない、という事実だった。
恐らく、指揮官はマリアンジュも殺せと命令したはずだ。皇族の血を引くものを生かしておくメリットはない。
だが、現場の兵士はマリアンジュを殺すのが惜しくなったのだろう。
殺害したと嘘の報告をし、彼女をどこかへ売り飛ばした。――どうせ売るなら、なるべく高く売ろうとするはずだ。
兵士の思考を読んで得た情報をもとに、それらしい奴隷商や高級娼館に片っ端から殴り込みをかけ、支配人を脅して思考を探った。
そして、数件目の娼館で、秘密裏に売り飛ばされたマリアンジュをようやく見つけることができたのだ。
――危ないところだった。あと少しでも遅れていたらと思うとゾッとする。
泣き疲れて眠ってしまったマリアンジュを抱いたままリューイに乗り、翠は娼館を後にした。
「……これからどうするの?」
ガーネットが尋ねる。
「とりあえず、アーカーシャの館に連れて行こう。あそこが一番安全だ」
アーカーシャの館は結界に守られているため、普通の人間では見つけることすらできない。
――今は、マリアンジュの身の安全を確保するのが最優先だ。後のことは、それから考えよう……




