賢者様の憂鬱
「お久しぶりです~、賢者様ご指名の依頼がたくさん来てますよ~」
相変わらず間延びした喋り方をする冒険者ギルドの受付嬢がそう言った。
ルーセット共和国、中央都市シェナス。
傷の療養のためにしばらくクルートに滞在した後、イゼプタに戻ってエスメラルダ女王に諸々の報告と挨拶を済ませ、翠はようやくルーセット共和国へと帰って来ていた。
「はあ、どうも……」
イゼプタで巨大サンドワームを討伐した件などは、すでにルーセット国内でも噂が広まっていた。『賢者』の名前が有名になってしまったおかげで、名指しでの依頼も増えてきた。
「申し訳ないですけど、僕じゃなくても良さそうな依頼は他の冒険者に回してあげて下さい」
しかし、翠はそう言って依頼の大半を断っていた。――正直、全ての依頼に対応していたら体がいくつあっても足りない。
「そうですか~、承知いたしましたぁ」
残念そうに、受付嬢は言った。
目ぼしい依頼がなかったので、イゼプタでの活動報告レポートだけ提出して翠はギルドを後にした。
――せっかく来たんだから、久しぶりにシェナスの料理を食べていこう。
そう思って、翠はギルド近くの食堂に立ち寄る。
「いらっしゃいませ~!!」
扉を開けると、ウェイトレスの元気な声が出迎えてくれた。昼食の時間には遅すぎるため、食堂の中はすいている。
「……あれ」
「あっ……」
そのウェイトレスは、翠の知っている人物だった。思わず、互いに顔を見合わせた。
「ミーシャ?」
「スイ……!! 久しぶり……!!」
彼女はかつて一緒にダンジョン探索をした冒険者、ミーシャだった。
「こんな所で何してるの?」
翠はミーシャに尋ねた。
「……これはその、副業よ。正直、冒険者としての収入だけじゃ食べていけないからね」
ダンジョンが枯渇している昨今では、大半の冒険者が何かしら副業を持っているのが普通だった。副業の方が本業になってしまっている者も多い。
「アベルは?」
「あいつも今日は副業よ。体力馬鹿だから建設現場で力仕事してるわ」
「そっか……、元気そうでよかった」
「その点スイはすごいよね、いつの間にか『賢者様』だもん」
「そんな、すごくなんてないよ……」
――『賢者』の名前が知れ渡ってしまって、決して良いことばかりではないのだ。
食堂のドアが開いて、ガラの悪そうな一人の男が店内に入って来た。
「いらっしゃいませ~」
ミーシャがそちらに振り向いた、その時。
男が急にミーシャの体を羽交い絞めにし、剣を突きつけた。
「きゃあっ!?」
「お前が『賢者』だな!? この娘の命が惜しかったら……」
が、男はそのセリフを最後まで言うことすらできなかった。クロが男に飛びかかり、剣を持つ腕に噛みついたのだ。
「ぎゃああぁぁっ……!!」
悲鳴を上げ、男は剣を床に取り落とす。
「今すぐ店から出ていくなら、腕は噛みちぎらないでおいてあげますよ」
翠は言った。
クロの牙は、男の腕にしっかりと食い込んでいる。男の顔は苦痛に歪んでいた。
「わ、分かった……、出ていく、出ていきます……!!」
ため息をついて、翠はクロに指示を出した。
「……クロ、もういいよ」
主の言葉に従って、クロは男を解放した。男は噛まれた腕を押さえながら、逃げるように店を出て行った。
「騒がせてごめんね、ミーシャ。大丈夫だった?」
「う、うん、大丈夫……。今の人、何……?」
「多分、僕を狙ってきた裏社会の賞金稼ぎ……だと思う」
武器密売の元締めだったドルイユ商会を潰したことで、どうも裏社会で目をつけられてしまったらしい。密売事業に絡んで甘い汁をすすっていた者はたくさんいたのだから、当然と言えば当然だ。
『賢者』の首には物凄い金額の賞金がかけられているらしく、町を歩けば刺客に狙われる始末だ。――もっとも、ほとんどは賞金に目がくらんだだけの雑魚なので、今のようにクロが撃退してくれているが。
「た、……大変ね」
「大変だよ……、今日だけでもう三人目だもん……」
うんざりしたように、翠は言った。
食事を終えてお茶を飲んでいると、食堂のドアが開いて騒々しい声が響いた。
「スイ兄さ~ん!! こんな所にいたっスか!! 探したっスよ~!!」
「……シトリン、どうしたの?」
ガーネットが脇腹に受けた傷を修復中のため、今回はシトリンと一緒にシェナスに来ていた。
翠が冒険者ギルドに行っている間に、彼女には魔道具協会と政庁舎の方で用事を済ませてもらっていたのだ。
「イケメン首相がお呼びっスよ~!! 何でも、直々に依頼したいことがあるらしいっス!!」
「エミディオさんが? ……分かった、すぐ行くよ」
――お茶くらいゆっくり飲ませてほしいなぁ。
半分くらい残ったお茶を名残惜しげに一瞥して、翠は席を立った。
食堂を出て政庁舎へと向かう道すがら、翠はシトリンに言った。
「シトリン、ちょっと遠回りして行こうか」
「え、何でっスか?」
「……食堂を出てからずっと尾行されてる。このまま政庁舎に行くわけにいかないよ」
尾行の有無は、クロの挙動で分かる。クロが背後を警戒している時は、だいたい何者かにつけられている。
「あ~、なるほど了解っス」
翠たちは、わざと遠回りして路地裏へと入った。案の定、尾行していた男も慌ててついて来る。
男が角を曲がると、そこには金髪のメイド姿の少女がニコニコしながら立っていた。
「…………!?」
驚いて、男は一瞬動きを止めた。
「うりゃあっ!!」
その瞬間、シトリンの容赦ないハイキックが男の顎に炸裂する。あっという間に、男はノックアウトされて地面に倒れた。
もともと戦闘向けに作られているガーネットやラズに比べると劣るが、シトリンも決して弱くはない。身体能力は一般人と比べると十分高い。
「スイ兄さん、どうっすか!? シトリンは役に立ったっスか!?」
「……うん。ありがとう、シトリン」
「えへへ……、もっと褒めてほしいっス」
「また刺客かぁ……、今日はもう四人目だよ」
心底うんざりして、翠はぼやいた。
「スイ兄さん人気者っスね!!」
「全く嬉しくないよ……」
そんな遠回りをして、ようやく翠は政庁舎に辿り着いた。
執務室に通されて、エミディオと面会する。
「やあ、賢者様。先日の武器密輸事件ではお手柄だったね。まさか、エルシアまで乗り込んで密輸の大本を潰してくるとは思わなかったよ」
整った顔で微笑んで、エミディオは言った。
「いえ、当然のことをしたまでです……」
――おかげで、刺客に狙われまくる羽目になりましたけど……
「それで、僕に依頼したいことというのは?」
翠はエミディオに尋ねた。
「……ああ、実は近々、エルシア帝国との間に正式に友好条約を結ぶことになったんだ」
ルーセット共和国と隣国のエルシア帝国は、長い間緊張関係にあった。
エルシア帝国はもともと、西大陸デュシス統一の野心を持っていた。そんなエルシアがルーセットに侵攻できなかった理由はただ一つ、古き魔女アーカーシャとの衝突を恐れたためだ。
しかし約一年前、エルシア帝国の皇弟アルフレッドの暴走により、帝国軍がルーセットとの国境間際まで侵攻してくるという事件が発生した。――その件は結局、翠とアーカーシャの働きによって事なきを得たわけだが。その一件を受けて、エルシア帝国との間に正式な条約を結ぶべく、エミディオは水面下で交渉を続けていたのだ。
「条約の調印式典のためにエルシア帝国へ行くのだけど、その際の護衛と立会人の役目を君に頼みたい」
「え……、そんな大切な仕事、僕でいいんですか?」
「……むしろ、君以上の適任はいないと思うけどね」
苦笑しながら、エミディオは言った。――『賢者』が護衛に付いてくれるなら、軍隊を連れて行くより安全そうだ。
「どうだろう、引き受けてもらえないかな?」
「わ、分かりました。僕でお役に立てるなら……」
どちらにせよ、翠は近いうちにエルシア帝国に行くつもりだった。――先日は時間がなくてマリアンジュ皇女にろくな挨拶もできなかったし……
「ありがとう。……君ならそう言ってくれると思っていたよ」
ふと思い出したように、エミディオは言った。
「ああ、ちなみに、式典の後には晩餐会もあるから」
「え……、それっていわゆる社交パーティーですよね……。もしかして僕にも参加しろと……?」
「もちろんだよ。パーティーは苦手かな?」
「正直苦手です……。僕が行っても見せ物になるか敬遠されるかどっちかなので……」
――やっぱり断ればよかったかな。
エミディオからの依頼を受けてしまったことを、翠は少しだけ後悔した。




