ヴァーユとの決戦・エピローグ
――電撃を食らったせいで、体が痺れてうまく動かない。
それに、このままではじわじわと体力を削られて負ける。
翠は、もう一度風の刃をヴァーユに放つ。だが、それはヴァーユによってことごとく相殺された。それこそ、翠がやったのと同じ方法で。
「そっちこそ、真似しないで下さいよ……!!」
より強い風を起こすと同時に、その力を利用して翠は後方に大きく飛んだ。――なるべく、ヴァーユから距離を取るために。
どういう仕組みか知らないが、ヴァーユは常に大量のエーテルを体の周囲にまとわせている。
ヴァーユの周囲のエーテルを吸い取って、翠は自分の魔法発動のためのエネルギー源に利用しようと考えた。
「……ex……ex……」
だが、さすがに翠のその行動はヴァーユに察知される。
「……面白いですわね。一体どんな魔法を見せてくれるのかしら?」
ヴァーユを中心として、薄青く光る魔法陣を展開する。翠は自分が巻き込まれないギリギリの範囲を設定した。
「……detonation……!!」
爆発の燃焼速度が音速を超えて広がる爆轟魔法。人間が直撃を食らえば骨も残らない。
閃光と、耳をつんざくような爆音。そして衝撃波。
――恐らく、ヴァーユは空間を渡って来る。エーテルのゆらぎを見逃さないように、翠は周囲を注視した。
そんな思考の裏をかくように、ヴァーユは正面から現れた。
爆炎を裂くように、風の刃が襲ってくる。
「あっ……!!」
意表を突かれて反応が遅れ、風を相殺しきれなかった。腕や肩口をざっくりと切り裂かれ、血が吹き出す。
「なかなかの威力でしたわよ」
爆発で巻き上がった砂煙の中に、ヴァーユは悠然と立っていた。
――痛い。まずい、出血量が多い……
翠の着ているローブが、自分の血で赤く染まっていく。痛みで意識が遠くなりそうだった。
「辛そうですわね。そろそろ終わりにしてあげましょうか?」
「そう……ですね……」
翠はクロの背中からずるりと地面に落ちた。翠を庇おうとするように、クロはヴァーユを威嚇する。だが、クロは攻撃をしてはいけない決まりだ。
傷口を押さえながら何とか立ち上がる翠に、ヴァーユはゆっくりと歩み寄って来た。
「……私のものになるなら、殺さないでおいてあげますわよ?」
翠の顎を軽く持ち上げて、ヴァーユは言った。
「…………っ」
近づいてくる唇を、翠は拒まなかった。むしろ自分から彼女の頭部に腕を回して、口づけを受け入れる。
――このタイミングを待っていた。
翠は、口移しで『それ』をヴァーユの口内に流し込む。
「んっ……!?」
驚いて、ヴァーユは翠の体から離れた。
「これは……、何を飲ませましたの……?」
「……即効性の致死毒です。今から毒物を特定して解毒魔法をかけても間に合いませんよ」
解毒の魔法は、体内で毒物を特定し、中和あるいは分解するというプロセスが必要になる。――そして、体内で毒を分解する魔法があるのなら、その逆の魔法も存在する。
「体内で毒を生成していたというの……? いつの間に……?」
「最初からずっとですよ」
ここまで戦ってきたのは全部、毒を生成するまでの時間稼ぎだ。――何とか、僕の命があるうちに間に合ってよかった。
単純な魔法の撃ち合いで『古き魔女』に勝てるなどとは最初から思っていない。魔女に毒物が効くのかどうかは賭けだったが、からめ手で彼女を倒す方法が他に思い浮かばなかった。
あとは、ヴァーユに接近できるタイミングさえあればよかった。
――本当は、口移しじゃなくて傷口に噛みつくとか色々と方法は考えていたんだけど、まあ成り行き上いいか……
「……あなたが負けを認めるなら、中和剤を飲ませてあげますよ」
「ふふ……、あっけない幕切れですわね……」
毒の作用による体の震えを抑えながら、青ざめた顔でヴァーユは言った。
「私としては命に未練なんてありませんけど、……あなたに素顔を見られるのは嫌ですわね」
――素顔?
意外にもあっさりと、ヴァーユは自身の負けを認めた。
「……認めますわ、あなたの思惑に気づかなかった私の負け……」
もう一度口づけをして、翠はヴァーユに中和剤を飲ませた。
「……意外にキスが上手いですわね」
「変なこと言うのやめて下さい……」
「負けてしまったけれど、まあまあ楽しかったからいいですわ。アーカーシャによろしく言っておいて下さいませ」
「あの、忘れてないですよね? 世界樹のことを教えてくれるって」
「……ああ、そうでしたわね。とは言っても、プリトヴィーと違って私が知っている情報はそんなにありませんのよ」
ヴァーユは簡潔に、一言だけ言った。
「世界樹は、この世界の『裏側』にある――」
「え……、それってどういう……」
「……さあ? あとは自分で考えて下さいまし」
破れたスカートの端をつまんで、ヴァーユは芝居がかったお辞儀をする。
「それじゃあ、また機会があったらお会いしましょう?」
「あ、あの……、あなたの本当の顔って……」
どうしても気になったので、翠は最後にそう尋ねた。
結局、ヴァーユはずっとオニキスの姿のままで、本当の姿を見せることはなかった。
「……私の本当の姿なんて、見ない方がよろしくてよ? 首を切られた程度の死体で吐いているあなたに耐えられるとは思えませんわ」
「え……?」
「大昔の魔女狩りで拷問を受けて、全身の皮を剥がされて顔を失った私は、それ以来ずっと他人の皮を被って生きてきましたの」
そう言って、ヴァーユは風のように消えた。
一人きりになって緊張の糸が途切れた途端に、傷の痛みを耐え難いほどに感じた。
――まずい、出血のせいで何だか寒くなってきた……
「スイ……!!」
王宮の方からガーネットが走って来るのが見えて、翠は意識を失った。
*****
「う……」
気が付くと、翠はベッドの上にいた。傷はきちんと手当てされ、包帯が巻かれている。
「スイ、良かった……!!」
ガーネットが翠の手を握って、心配そうに顔を覗き込んでいた。ラズの姿も見える。
クロは普通の中型犬の姿に戻って、ベッドの上に顔だけ乗せてこちらを見ていた。翠が目覚めたことに気づくと、身を乗り出して頬を舐める。
「ここは……?」
「クルートの王宮だよ」
ガーネットが答えた。
「……意識が戻ったようだな」
そう言って部屋に入って来たのは、イスマエルだった。アルジフも一緒だ。
ベッドから起き上がろうとして、翠は傷の痛みに顔をしかめた。
「そのままで結構だ」
イスマエルは言った。
「……すみません」
「いや、気にしないでくれ。あなたは我々の命の恩人だ」
「い、いえ……。その、ヴァーユの件については僕にも責任があるので……」
「大したもてなしはできないが、傷が癒えるまでゆっくりしていってくれ」
「ありがとうございます……」
申し訳ないが、ここはイスマエルのお言葉に甘えるしかなさそうだ。
「それにしても、さすがだな、賢者さま。どうやってあの魔女を倒したんだ?」
アルジフが尋ねる。
「それは……、秘密です……」
翠は言葉を濁す。
――よかった、キスしてるとこ見られてなくてよかった……!!
あれだけ派手に戦っておいて、オチが口づけで毒を飲ませたというのはちょっと言いにくい。
「……ラズ、悪いんだけど、先にイゼプタに戻ってエスメラルダ女王と、あとヨハンさんに伝言してもらえるかな? 密輸の件は解決したって」
「承知しました」
簡潔に、ラズは答えた。
「密輸の件……解決したのか……?」
それを聞いて、イスマエルは複雑な表情をした。
「はい、実はエルシア帝国に行ってきまして……」
翠はここに来るまでの経緯を簡単に説明した。密輸の大本だったドルイユ商会のガエル=ドルイユは関係者もろとも逮捕され、今頃は帝国兵によって取り調べを受けているはずだ。
ちなみに、シトリンはエミディオへの報告のために先にルーセット共和国へと戻っている。
「そう……か。我々が武器を入手する手段はもうないのだな……」
「あの、裏ルートの武器に手を出すのはお勧めしません。どこかの金持ちの養分にされるだけですよ」
――連中は、イゼプタ王国のクーデター派にも武器を売り、クルートとの間に戦争を起こさせようとしていたのだ。戦争が起これば更に武器が売れ、ドルイユ商会が儲かる。
「……すみません、差し出がましいことを言いました」
「いや、あなたの言うことも分かる。……そうだな、イゼプタとは良好な外交関係を結ぶ努力をしよう」
「それがいいと思います」
――というか、イスマエル陛下って女王のストライクゾーンだよな……。上手くやれば良い関係が作れそうな気がする……
*****
その後、ラズは翠の言う通りイゼプタの王宮に赴いてエスメラルダ女王とヨハンに伝言を伝えた。そして、そのまま一足先にルーセット共和国に戻った。
アーカーシャの館に帰ると、シトリンが出迎えてくれた。
「ラズ姉さん、お帰りなさいっス~!!」
「……どうも」
「スイ兄さんはまだ帰らないんスか?」
「ヴァーユとの戦いで傷を負ったので、しばらく療養してから戻るそうです」
「え、まじっスか!? 古き魔女と戦ったんスか!? 詳しく聞きたいっス!!」
「……スイが戻ったら直接聞いてください」
「ええ~!!」
シトリンは一瞬だけ不満そうな顔をしたが、すぐにコロッと話題を変える。
「ていうかエルシアの皇帝に謁見した時、マリアンジュ皇女の顔見たっスか!? あれはスイ兄さんに惚れてるんスかね!?」
「さあ……どうでしょう……」
時間がなかったので最低限の挨拶しかできなかったが、翠と再会したマリアンジュが頬を染めていたのを、シトリンは見逃さなかった。
かつて翠が出会った頃のマリアンジュはまだ幼い少女だったが、あの年頃の女の子の成長は早い。
ほんの一年で身長が伸びて、顔だちも少し大人びていた。あと2~3年もすれば、美しい淑女に成長するだろう。
「スイ兄さんも隅に置けないっスね~。未来の皇帝も夢じゃないっスよ」
「それはちょっと飛躍しすぎでは……?」
シトリンのお喋りを、ラズは適当にあしらった。
一方、イゼプタでの役目を終えたヨハンもルーセット共和国に戻ってきていた。
「おかえり、ヨハン。イゼプタでの任務はどうだった?」
中央都市シェナスの政庁舎で、エミディオがヨハンを出迎えた。
「いやぁ、正直俺はあんまり役に立てなかったよ……」
エミディオとヨハンは現在は上司と部下の関係だが、元々は反貴族のレジスタンス組織で共に戦った友人同士だ。二人だけの時は砕けた口調で話している。
「密輸事件の顛末は、シトリンが報告してくれたからだいたい知っているよ。……それよりも、賢者様の方だ」
ヨハンの任務は、密輸事件の調査のために賢者に協力すること。――同時に、賢者の動きを監視をすることだった。
「……正直、想像以上だったよ。俺が直接見ただけでも、クルート解放戦線とかいうテロ組織のアジトに一人で乗り込んで無傷で帰ってきた。それに、ラズという子から聞いた話では古き魔女ヴァーユと戦って撃退したとか」
「……そうか」
武力に乏しいルーセット共和国にとって、賢者の力は無視できないものだった。
できれば良好な関係を築いて、この国にとって有利に動いてほしい。――悪い言い方をすれば、彼の力を国のために利用したい。それが、エミディオの思惑だ。
「我々は、彼に見限られないようにしないとね……」
エミディオは、そう呟いた。
お読み頂きありがとうございました。ここまでで4章は終了です。
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