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ヴァーユ来襲

「……言っておくけど、私を人質にしてスイを呼び出すのはお勧めしないよ」

 ガーネットは言った。

「分かってる。嬢ちゃんのことは丁重に扱うから安心してくれ。……俺だって、あの賢者様の逆鱗に触れるようなことはしたくねぇよ。おっかないからな」

 巨大サンドワームを倒した時に、アルジフは翠の魔法の威力を目の当たりにしている。絶対に敵に回してはいけない相手だと理解していた。


 ――そういう意味じゃないんだけど……


 アルジフは、翠がヴァーユと入れ替わっていることを知らない。何をしでかすか分からない分、今王宮にいる『賢者』は本物より数段危険な相手なのだ。

 

 普段のガーネットであれば、銃を構えた男達に囲まれていようと逃げ切る自信はあった。

 だが今は、脇腹に受けた傷のせいでいつものようには動けない。仕方なく、ガーネットは彼らに従うことにした。武器を取り上げられて、荷車に乗せられる。

 荷車は、地竜に引かれてどこかへ向けて走り出した。

 

「どこに行くの?」

 同じ荷車に乗り込んだアルジフに、ガーネットは尋ねた。

「クルート王国だよ。……俺の主は、現クルート国王イスマエル=アルハード陛下だ」

 アルジフはそう答えた。


「アルジフさんはイゼプタの人じゃなかったの?」

「俺は元々クルート人だよ。普段は黙ってるけどな」

「……剣術指南役としてイゼプタ王宮に出入りしてたのは、スパイのため?」

「まあ、そんなとこだな」


 ――なるほど。

 彼がモリスンを殺した理由を、ガーネットは何となく理解した。

 モリスンはクーデターを起こして王座を奪い、クルートに武力侵攻するつもりでいた。アルジフは、何らかの経緯でその計画を知ったのだろう。そして、祖国を守るため、あるいは本国からの指示でモリスンを殺した――。恐らくは、そんなところだろう。




 クルートは、イゼプタ王国に隣接する小国だ。イゼプタと比べると国が貧しく、王宮も質素なものだった。


 アルジフに連れられて、ガーネットはクルートの国王と謁見した。

 国王イスマエルは、意外にもまだ年若い青年だった。褐色の肌に黒髪の美青年だ。アルジフの話では、先日父親から王位を引き継いだばかりらしい。

「……お目にかかれて光栄です、陛下」

 ガーネットはとりあえず、儀礼通りの挨拶をする。


「まずは、無理やり連れてきてしまったことを謝罪しよう。……それで、そなたが本当にその、賢者の連れなのか?」

 ガーネットの姿を見て、戸惑い気味にイスマエルは尋ねた。

「はい、そうですけど……」

「こんな可憐な外見ですが、このお嬢さんは俺より強いですよ」

 アルジフが言う。


「本気で言っているのか……!?」

「本気ですよ……。ついさっき一本取られたばかりです」

 イスマエルは、信じられないという顔をした。


「……あの、何のために私を連れてきたんですか?」

 ガーネットはイスマエルに尋ねた。

「どうしても、賢者と直接話がしたかったんだ。彼が、イゼプタの女王からの依頼でエルシア帝国からの武器の流通ルートを潰そうとしているのは知っている。……だが、そんなことをされては我が国が困る」


「どうしてですか?」

「大国であるイゼプタと違って我が国は弱い。今度イゼプタに侵攻されれば、我が国は終わりだろう。我々が身を守るためには、武器に頼るしかないんだ」

「…………」

 ガーネットは色々と思うところがあったが、今ここでそれを議論しても無駄そうだ。

 アルジフが、イスマエルに聞こえないようにガーネットに耳打ちする。

「……すまねぇな、あの王様はまだ若いんだ。まあ、そのうち色々と勉強してもらうさ」


 ――その前に国が滅びなければいいけど。

 ガーネットはそう思ったが、口には出さないでおいた。それよりも、ヴァーユがどう動くか気が気ではなかった。

 興味がないと言って本物の翠が戻ってくるまで何もしないでいてくれればそれが一番いい。――でももし、面白がってガーネットを取り戻すという名目でクルートに乗り込んできたらどうする……? 魔女に暴れる口実を与えてしまうことになるのでは……?

 アルジフもイスマエルも、自分たちがどれだけ危険な橋を渡ろうとしているのか分かっていない。


 ――迂闊(うかつ)なことしちゃったなぁ……

 独断で行動したのが完全に裏目に出てしまった。ガーネットは、頭を抱えたい気分だった。



 *****


 アルジフ達は、ガーネットを預かっているとイゼプタの王宮に使者を送って伝えた。

 それから二日後、事件は起こった。


 クルートの王宮に、突如として爆音が響き渡る。

「な、何だ……!?」

 にわかに、王宮内は騒然となった。

 兵士たちが慌てて音がした方へ向かうと、王宮を囲う防壁の一部が爆破され、大穴が開けられていた。


 そこから現れたのは、背中に(いびつ)な羽根の生えた一人の少年だった。

「お……、お前は何者だ……!?」

 兵士の一人が少年に尋ねる。

「……何者って、ひどいなぁ、呼び出したのはあなた達じゃないですか」

 微笑みながら、少年は答えた。口調も表情も穏やかなのに、彼の雰囲気はどこか異様だった。

 その雰囲気に気圧された兵士の一人が、彼に銃を向ける。


 慌てて駆けつけたガーネットが叫んだ。

「待って……!! 武器を向けちゃ駄目……!!」

 ――だが、少し遅かった。


 乾いた銃声が響いた。

 恐らくは、誤射だったのだと思う。その証拠に、銃弾は全く明後日の方向へと飛んだ。だが、彼に口実を与えるには十分だった。


「……僕に武器を向けたね。それじゃあこれは、正当防衛ですよね……?」


 兵士の持っていた銃が爆発を起こし、兵士の腕が吹き飛んだ。悲鳴が響き渡り、他の兵士たちにも恐怖が伝播していく。

「う、撃て……!!」

 隊長格の兵士がそう号令を出した。兵士たちは一斉に、少年――翠の姿をしたヴァーユに銃口を向け、発砲する。魔女は、口元を歪めて(わら)った。

「駄目……!!」

 ガーネットの声は、銃声に搔き消された。


「……本当に愚かだね、人間ども。その程度のオモチャが僕に通用するとでも?」

 銃弾は、少年の周囲の空間に縫い留められたように止まっていた。彼に届くことなく、ポロポロと地面に落ちる。


「化物……」

 誰かがそう呟いた。

「あ、悪魔、……奴は、ジレーズ砦の悪魔だ……!!」

 どこかでその噂を聞いたのだろう、兵士の一人が悲鳴のように叫んだ。


「……そうだよ」

 兵士達の周囲で、何もない空間が突如として爆発を起こす。小規模な爆発だが、何人かの兵士が巻き込まれて負傷した。

 悲鳴と苦痛を(たの)しむために、ヴァーユは敢えて殺さない。死なない程度に傷つけて、血を流してのたうち回る兵士達を見て楽しんでいた。


「もうやめて……!! スイ、私は無事だからもう帰ろう……?」

 ガーネットは、ヴァーユの説得を試みた。翠の姿をしたヴァーユは、少しだけ考える素振りをする。

「うーん……、でも、僕の大切なガーネットをさらって行った連中に容赦する必要なんてないよね? そこで黙って見ててよ。すぐに片付けるから」

 本物の翠に言われれば嬉しい台詞ではあるが、ヴァーユが言っていると思うと白々しいことこの上ない。

 ――完全に、ヴァーユはこの状況を面白がっている。


「い、一体何が起こったんだ……」

 アルジフと共にようやく現場に駆け付けたイスマエルは、その惨状を見て青ざめた。

「は……、話が違うぞアルジフ!! 賢者というのは、もっと温厚な人物ではなかったのか!?」

「……俺も、そう思ってたんですけどね」

 信じられないという気持ちは、アルジフも同じだった。

 ――あれは本当にあの『賢者』か?


 アルジフの知っている賢者は、温厚で話の通じる相手だったはずだ。負傷した兵士達を前に嗤っている彼が、アルジフの知る賢者と同一人物とはとても思えなかった。

「ここは危険です。イスマエル陛下は避難していて下さい」

「い……、いや、私だけ逃げるわけにはいかん。私とて、自分の身を守るくらいはできる」

 生半可な護身術でどうにかなる状況とは思えないが、アルジフは主人の意思を尊重することにした。

「……分かりました。できる限りお守りします」


 アルジフは、賢者に向かって言った。歩きながら、自然に間合いを詰める。

「よぉ、賢者さま。随分と派手なご登場だな」

「アルジフさん、こんにちは」

 翠と同じ顔で、ヴァーユは微笑んだ。


「お嬢ちゃんを勝手に連れてきたことは謝るから、ここは矛を収めてくれねぇか……?」

「あなたが僕に勝てるなら、いいですよ」

 絶対に無理なことが分かっていて、ヴァーユはそう言って嗤う。


 間合いに入った瞬間に、アルジフは剣を抜いた。一刀で首を斬り落とす――そのつもりで放った一撃だった。だが、ゾワリと嫌な気配を感じ、アルジフは即座に攻撃を中断して飛び退いた。


「……へぇ、見えなくても分かるんだ。面白い」

 ヴァーユは呟いた。王宮に忍び込んだ暗殺者の骨を折ったその正体。――ヴァーユの操る不可視の手。

 アルジフもあのまま攻撃していたら、恐らく右腕の骨を折られていた。


「人間にしては良い勘してますね、アルジフさん」

 アルジフは瞬時に理解した。――こいつは人間じゃない。人間が勝てる相手じゃない。


「アルジフさん、戦っちゃ駄目……!!」

 ガーネットは言った。

「……って言われてもなぁ」

 アルジフとて、できればこんな化物とは戦いたくない。だが、ヴァーユはアルジフに興味を持ってしまったようだった。


「勘だけでどこまで戦えるのか、見せてくださいよ」

 楽しそうに、ヴァーユは言った。アルジフは全身に鳥肌が立つのを感じた。――見えない何かが、明確な害意を持って迫って来る。

「くそっ……」

 ――どうせ見えないなら……

 アルジフは、目を閉じた。あえて視覚を遮断することで神経を研ぎ澄ませ、気配だけで不可視の手の動きを感じ取る。ぬるりと迫って来る不可視の手をかいくぐり、『賢者』に肉薄した。


「……驚いたな」

 ヴァーユは呟く。

「人間にしては、上出来な方ですね」

 だが、やはりアルジフの剣はヴァーユには届かない。何か空気の壁のようなものに剣が阻まれた――と思った次の瞬間、鋭い風の刃がアルジフの体を切り刻む。

「ぐっ……!!」

 ヴァーユには、害意はあっても殺意はない。傷は致命傷にならない程度に加減されていた。

 ――遊ばれている。この『賢者』にとって、これは戦いですらないのだ。アルジフにとってはこの上ない屈辱だった。彼のそんな感情すら、ヴァーユは美味しく咀嚼(そしゃく)する。


「スイ、もうやめて……!!」

 ガーネットは、アルジフを庇ってヴァーユの前に立ちふさがった。

「……どうして庇うの?」

 不思議そうに、ヴァーユは首をかしげた。


「アルジフ……!!」

 後方で見ていたイスマエルが、見かねて声を上げた。信じられなかった。――あのアルジフが、手も足も出ないなんて。

 そのせいで、ヴァーユの興味がイスマエルの方に向いてしまう。


「……もしかして、あなたがクルートの王様ですか? 意外にお若いんですね」

 自分の外見を棚に上げて、『賢者』はそう言った。

「この惨状を招いたのはあなたですよ。どうやって責任を取るつもりです……?」

 楽しそうに言いながら、『賢者』はイスマエルの方にゆっくりと歩み寄る。ガーネットが制止しようとしたが、無駄だった。


「やめろ、陛下に手を出すな……!!」

 アルジフが叫んだ。

「くっ……」

 イスマエルは、無謀にも腰の剣を抜く。

「……剣を、僕に向けましたね」

 魔女は唇を歪めて笑った。


 その時、上空で大きな生物の羽根音が聞こえた。見上げると、黒いドラゴンが高速でこちらに向かってきていた。

 城壁が爆破された現場の真上まで来た時、ドラゴンから何者かが飛び降りてきた。

 背中に(いびつ)な羽根の生えた、白い髪の少年。


「……ex(エクス)……aer(アーエール)……!!」


 空気を操って落下速度を調節し、翠はふわりと地面に舞い降りた。


「え……、賢者様が二人……?」

 事情を知らないアルジフとイスマエルは困惑した。背中に羽根のある『賢者』がもう一人現れたのだから。


 ヴァーユは小さく舌打ちした。

「……何だ、もう帰って来たのか。せっかく面白くなってきたところなのに」


「スイ……!!」

 本物の翠に、ガーネットは駆け寄った。

「遅くなってごめん、ガーネット。……というかこの状況は何……?」

 負傷して倒れている兵士達や、傷だらけのアルジフの様子を見て、翠は眉をひそめた。


 ラズにドラゴンで送ってもらい、翠はエルシア帝国からイゼプタに戻って来た。そして、ガーネットがクルートに連れさらわれたことを聞かされた。――翠の替え玉のヴァーユがそれを追って行ったことも。

 それを聞いて、休む間もなく慌ててクルートに駆け付けたのだ。


「……僕はこんなことをあなたに頼んだ覚えはありませんよ、ヴァーユ」

 ヴァーユは肩をすくめた。ヴァーユが化けていた翠の輪郭が滲むように歪み、オニキスの姿に変わる。


「私はあなたの代わりに、あなたの役を演じて差し上げただけですわよ」

「僕はこんなことしません!!」

「そうかしら? その人形が奪われたら、あなたは絶対に取り返しに行くでしょう?」

 ガーネットを指差して、ヴァーユは言う。


「それは、そうですけど……。でも、こんな無意味に負傷者を出したりしません……!!」

「どうかしら……。先に攻撃されたら、あなたも反撃するでしょう?」

「…………っ」

 翠は返答に詰まる。

「私は、あなたの行動パターンから逸脱したことはしていませんわよ? まあ、多少怪我人が出てもそれは仕方のないことですわよねぇ? 正当防衛ですもの」

 楽しそうに、魔女はクスクスと笑う。


「……ど、どういうことだ? そなたが本物の『賢者』なのか……?」

 イスマエルが翠に尋ねる。

「はい……。すみません、事情は後でゆっくり説明します」

 簡潔に、翠は答えた。


「とにかく、これ以上彼らに危害を加えるのはやめて下さい。古き魔女ヴァーユ」

 ――古き魔女。その言葉に、負傷した兵士達の間からもざわめきが漏れる。


「どうしようかしら……。あなたの頼み事はもう果たしたのだし、これ以上あなたに指図されるいわれは全くないのだけど」

「それは……」

「せっかく楽しんでいたところを邪魔されたのも業腹ですし、……そうですわね、あなたが私の相手をして下さるなら、これ以上この人間どもを虐めるのはやめて差し上げてもよろしくてよ?」

「えっ……」

 翠は戸惑った。――戦えと言うのか、『古き魔女』と……?


「もともと、私が興味あるのはあなただけですのよ。ただの人間相手では、暇つぶしにもなりませんわ」

 黒い唇を歪めて、ヴァーユは(わら)う。

「もしあなたが勝ったら、私が知っている『世界樹』の情報を教えて差し上げますわよ?」


「――分かりました」

 翠は答えた。

「あなたと、戦います」


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