魔女への対価
時間は少し前に遡る。翠が旧クルート領に出かける前のことだ。
「……実は、あなたにお願いしたいことがあるんです。古き魔女ヴァーユ」
「私に……?」
ヴァーユは、わずかに眉をひそめる。
「古き魔女に頼み事なんて正気かしら? 高くつきますわよ……?」
そう言って、魔女は黒い唇を笑みの形に歪めた。
「しばらくの間、王宮で僕のふりをしてもらえませんか?」
翠はヴァーユにそう言った。
「この私に、あなたの替え玉になれと言いますの?」
「はい……」
「一応、理由を聞かせて頂けるかしら」
不満げな様子を滲ませながら、ヴァーユは尋ねる。
「モリスンがあれほどあっさり殺されたことを考えると、恐らく王宮内に敵の内通者がいると思います。僕が不在時に殺されたのも、偶然じゃないかもしれない」
「あなたがいなくなるタイミングを狙った……ということかしら」
「はい。だから、いま僕が王宮を長期間離れるのは危険かもしれない。それに、内通者に僕の動きを気取られたくない」
敵の目的が分からない以上、モリスンを殺して終わりとは限らない。できれば、第二の犠牲者が出ることは防ぎたい。
「……それで、あなたはどこに行くつもりですの?」
「まずは旧クルート領へ調査に。その後、エルシア帝国に行く予定です」
「エルシア帝国……?」
「はい。モリスンは殺されましたが、密輸事件がこれで終わりとは思えない。大本を叩かないと、武器の流入は止まりません。だから、エルシアで武器の輸出を行っている連中を探してきます」
「なるほど、大した正義感ですわね……。まあ、理由は分かりましたわ」
ヴァーユは言った。
「それで、対価として何を差し出して下さいますの? まさか、ただで頼み事を聞いてもらえるなんて思ってませんわよね?」
――もちろん、そんな甘いことは考えていない。最初に出会った時に翠の記憶の一部はすでに覗かれている。何か他に、ヴァーユの興味を引きそうな情報は……
「千年前の魔法文明崩壊の真相……なんてどうでしょうか」
その言葉を聞いて、ヴァーユの顔色が変わった。
「どうして、あなたがそんなことを知っていますの……?」
――やっぱり、全ての『古き魔女』があの事実を知っているわけじゃないんだ。
「以前、シルヴァラントで古き魔女プリトヴィーに会った時に、彼女の記憶の中で見たんです」
「プリトヴィーの記憶……、なるほど、それは面白そうですわね……」
翠が提示した情報に、ヴァーユは食いついた。
ベッドに腰かけている翠の方に、ヴァーユはおもむろに近づいてきた。そして、翠の体をベッドの上に押し倒す。
「えっ……!?」
突然のヴァーユの行動に、翠は困惑した。
楽しそうに唇を歪め、ヴァーユは触手状の長い舌を見せつけるように伸ばした。――その部分も、オニキスと全く同じだ。
翠の顔が青ざめた。
「ちょっ……、な、なんでそんな所までコピーしてるんですか……!?」
「私の形態模写は完璧でしてよ? 機能まで完全に模倣できますわ」
「あ、あなたはそんなもの使わなくても人の記憶を覗けるんですよね!?」
「ええ、……でもそれじゃつまらないですもの。あなたの嫌悪をたっぷりと味わわせて下さいまし……? それも対価の一部ですわ」
ヴァーユは、華奢な少女の外見からは想像もできない力で翠の体を押さえつけている。
――逃げられない。
「や……、やめっ……」
「あら、やめてしまっていいんですの? お願いを聞いてほしいのではなくて……?」
「…………っ」
翠は何も言い返せなかった。諦めたように抵抗をやめて、ヴァーユのなすがままに任せることにした。
「ふふ、可愛らしいこと……」
触手のような舌が、翠の首筋や頬を舐め回す。
「どの穴に挿れてほしい……? ああ、やっぱり右目かしら……」
翠の嫌悪感をじっくりと味わうように、ヴァーユはわざわざ当時のオニキスの台詞を再現した。
「……やるなら早くやってください……」
「そんなに急かさないで下さいまし。気分を盛り上げるために前戯は大切でしょう?」
ヴァーユは翠の右目の眼帯を剥ぎ取ると、そこに生えている小さな羽根にゆっくりと舌を這わせる。そして、その根元から眼窩へと長い舌を潜り込ませていく。
「うっ……」
粘膜に異物を挿入されるのだから、当然痛い。その痛みと気持ち悪さに、翠は思わず呻いた。
――何でこう何回も右目を犯されないといけないんだろう……
『何なら気持ち良くしてあげてもよろしくてよ?』
ヴァーユの声が脳内に直接伝わってくる。
『……僕に変な性癖を植え付けようとするのはやめて下さい』
しばらくの間、翠はオニキスに洗脳された際のトラウマを再現されるという凌辱に耐えた。翠の脳内の情報を存分にすすって、ヴァーユはようやく満足してずるりと触手を引き抜く。
「なかなか興味深いお話でしたわ。……今度あの女に会った時に、こき下ろすネタができましたわね」
そう言って、ヴァーユは意地悪く嗤った。
――すみませんプリトヴィーさん、あなたの過去を勝手に売って……
罪悪感を覚えて、翠は心の中で謝罪する。
「面白い情報を見せてくれたお礼に、あなたの頼みごとを聞いて差し上げますわ」
ヴァーユは言った。
翠の目の前で、オニキスの姿が滲むように歪む。輪郭が変化し、翠と全く同じ姿がそこに現れた。
「……客観的に見ると僕ってこんな感じなんですね。思ったより化物っぽいっていうか……」
鏡では何度も見ているが、立体として目の前に現れると情報量が異なる。右目と、そして背中に左右非対称な羽根の生えたその姿は、お世辞にも人間には見えない。
「そんなに自己卑下するものではないよ。僕は結構いいと思うけどね」
翠と同じ声でそう言って、ヴァーユは満足気に背中の羽根を動かしてみせた。
――な、何だろう……、自分の声を録音で聞いた時みたいな恥ずかしさがあるな……
「……と、とにかく、引き受けて下さってありがとうございます。僕が不在中、よろしくお願いしますね」
「まかせて、僕の形態模写は完璧だよ? 君がやりそうにないことはやらないよ。……多分ね」
そう言って、ヴァーユは翠の顔で薄く笑う。
「僕の顔でそういう笑い方するのやめて下さい……」
――不安だ……
ヴァーユの形態模写は確かに完璧だが、いかんせんこの魔女は元の性格が悪い。
――何事もなければいいけど。




