人ならざる者
激しい爆音とともに、派手な閃光が暮れかけた夜空を照らした。その後、しばらく断続的に銃声が聞こえていたが、やがて静かになった。
翠が殴り込みをかけたクルート解放戦線のアジトから少し離れた場所で、ヨハンは様子を伺っていた。何かあればすぐ加勢に行こうと思っていたのだが、どうやらその必要はなさそうだ。
程なくして、翠もガーネットも無傷で戻って来た。
「ここのボスから穏便に話を聞いてきました」
しれっと翠は言う。
――穏便とは? と思ったが、ヨハンは黙っておいた。
「残念ながら、モリスン殺害については彼らは何も知らないみたいでした」
「……じゃあ、その件はクルート解放戦線とは無関係ってことですかね」
「どうでしょう……。所詮一支部のボスに話を聞いただけなので、まだ断言はできないですけど……。とりあえず、武器の入手元についての情報は得られたので今回はそれで十分です」
「それじゃあ、次はその入手元の方に殴り込むんですか?」
「いえ、それは女王に任せようと思います。入手元と言っても、所詮はただの仲介人でしょうし……。とりあえずは、王宮に戻りましょう」
*****
――そう言って王宮に戻って来てから数日。
女王にシクリで得た情報を報告して以降、翠は特に何もしていないように見えた。勤勉な彼にしては珍しくダラダラしている。
「……賢者様、そんなにのんびりしてていいんですか?」
何となく心配になって、ヨハンは翠に尋ねた。
「いいんですよ……。モリスンを殺した暗殺者が再び現れないとも限りませんし、今は王宮から離れない方がいいと思います」
「まあ、それはそうですけど……」
「わざわざ羽根を晒して、女王の依頼で動いているという情報まで開示してきたんですから、僕を狙って来てくれれば面白いんですけどね」
翠はそう言って、薄く笑った。
――自分を囮にして敵を誘い出そうとしているのか……?
ヨハンはそう考えた。
翠は、いつも羽根を隠すために着ているブカブカのローブも今は着ていない。珍しく薄着でくつろいでいる。
「そういえば賢者様、いつも一緒にいる犬はどうしたんです? ここ数日見かけませんね」
「……ああ、クロはちょっと訳あって別行動中です」
「そうですか……」
何となく違和感を覚えたが、ヨハンはそれ以上深く追求しなかった。
*****
夜空に発光生物が瞬く夜。
上空の高濃度エーテル層に生息する発光生物たちには何らかの周期性があるようで、輝くように明るい日もあれば、ほとんど真っ暗になる日もある。
その日は発光生物の光の弱い、暗い夜だった。――暗殺者の活動には良い夜だ。
真っ黒い衣装に身を包み、男はイゼプタの王宮へと忍び込んだ。警備兵の巡回時間および巡回ルートについての情報は、すでに頭に叩き込んである。
手筈通り、部下とは途中で二手に分かれ、彼は自分のターゲットの寝室へと向かう。寝室の扉には鍵がかかっているが、どこにでもあるようなシンプルな構造の鍵だ。開錠するのは容易い。
難なく鍵を開け、彼は寝室の中へと入る。
ベッドには、人が眠っていると思しきふくらみがある。ターゲットを確認するためにそっと布団をめくってみる――が、そこには誰もおらず、枕と丸めたシーツが入っていた。
「寝込みを襲えば何とかなると思いましたか?」
声は、男の背後から聞こえた。
――後ろ!? 馬鹿な、気配は何もなかったはず……
慌てて、男は後ろを振り返る。そこには、背中に翼の生えた少年が立っていた。――情報として聞いてはいたが、実際に見るとやはり異様な姿だ。
少年は、男の体に軽く触れた。たったそれだけなのに、バチっと何かがはぜるような音とともに、男の体に貫くような激痛が走った。
「――――っ!!」
喉元まで出かかった悲鳴を、男は何とか飲み込んだ。
「……声を上げないのは大したものですね」
激痛のあまりうずくまってしまいそうになるのを気力で堪え、男はダガーナイフの刃を少年に向けた。
しかし、その刃は少年には届かなかった。
――ゴキン、と妙な音がした。
「…………?」
気が付くと、ナイフを握る男の腕はあらぬ方向に折れ曲がっていた。骨を折られた激痛は、後から襲ってきた。
「……があぁっ……!!」
今度は、声を堪えることが出来なかった。
――今、一体何が起きた……!?
男は、全く状況を理解することができなかった。少年は、指一本動かすことなくそこに立っている。
「大丈夫、綺麗に折ったので適切に治療をすればちゃんと治りますよ」
微笑んで、少年はそう言った。
「もう少し遊んであげたいところですけど、まだ仲間がいるんですね? ……あと二人、ですか」
「な……」
男は絶句する。――どうして分かった? まるで、頭の中を読まれたかのようだった。
少年は無防備に背中を向けて、男を残してその場を離れようとした。
男は激痛に耐えながら、折れていないもう片方の手にダガーを持ち換えて背後から少年を狙う。
――ゴキッ……と、再び鈍い音がした。今度は、男の足が関節とは逆方向に曲がっていた。
「……っ、ぐあぁっ……!!」
痛みのあまり、悲鳴すらまともに出てこない。その場に倒れ込んで、男は床の上でのたうち回った。
「しばらくそこで大人しくしていて下さい」
つまらなそうな目で男を見下ろして、少年はそう言った。
冷汗が止まらなかった。
――ば、化物……。痛みのあまり遠くなっていく意識の中で、男は思った。
その暗殺者は、双子の姉妹だった。
姉のシゼルと妹のメイリー。孤児だった二人はとある組織に拾われて、暗殺者として育てられた。任務でイゼプタの王宮に忍び込んだ二人は、暗い廊下を音もなく走っていた。
一緒に潜入した師匠であり上司でもある男とは先ほど別れ、別のターゲットの元へと向かっている。
シゼルが、不意に足を止めた。
「…………?」
メイリーも立ち止まり、怪訝そうに姉の方を見る。
(――誰かいる)
シゼルは、視線だけでそう伝えてきた。
(え……?)
メイリーには分からなかった。だがその時、前方の廊下の暗闇の中から、ぬるりと姿を現す者があった。
背中に羽根の生えた、異形の姿の少年だ。
(えっ……、あれって師匠のターゲットじゃ……)
――ルーセット共和国から来たという『賢者』。イゼプタの女王に加担し、武器の流通ルートを潰そうとしている彼を始末する。それが、今回の任務の一つだ。彼女達の師匠である男は、彼を仕留めに向かったはずだった。
(……どうして、その『賢者』がここにいるんだろう?)
メイリーが混乱して色々考えている間に、シゼルが動いた。床を蹴って間合いを詰め、無防備な『賢者』の首筋を狙ってダガーを振るう。
しかし、『賢者』を傷つけることはできなかった。ダガーの刃は、彼に触れる前にパキンと折れて床に落ちた。
(えっ……)
驚いて、シゼルは一瞬だけ呆然とする。その瞬間、『賢者』に腕をつかまれた。
バチッという音とともに、シゼルの体に激痛が走る。
「…………っ!!」
「ああ、やっぱり悲鳴を上げない訓練は受けているんだね。……いつまで声を出さないでいられるか、試してあげようか」
――体に電流を流されている。そんな理屈などシゼルに分かるはずもない。訳の分からない激痛に、シゼルは声にならない悲鳴を上げた。
(た……、助けなきゃ……!!)
慌てて、メイリーは投擲用のダガーを『賢者』に向かって投げる。だが、その刃は空中で何かに反射したように反転し、真っ直ぐにメイリーの方に向かってきた。
「…………!?」
訓練のたまもので考える前に体が動き、メイリーは何とかダガーの直撃を避ける。刃は彼女の頬を浅く裂き、壁に突き刺さった。
(な……に、今の……)
『賢者』がつかんでいたシゼルの腕から手を離すと、彼女はそのまま床に崩れ落ちた。口から泡を吹いて痙攣している。
メイリーは混乱し、パニックになりかけていた。
「さあ、次は君の番だよ」
微笑んで、『賢者』はそう言った。
「ひっ……」
メイリーの口から小さく悲鳴が漏れる。
だがその時、メイリーの方に向き直った彼の足首をシゼルがつかんだ。
「……い、妹に手を出すな……」
床に這いつくばったまま、絞り出すようにシゼルは言った。
ボキッと何かが折れるような音がした。折れたのは、『賢者』の足をつかんでいたシゼルの指だった。五本の指の関節が、あり得ない方向に曲がっている。
「……ああああぁぁぁっ!!」
さすがに、もう悲鳴を堪えることはできなかった。
「気安く僕に触らないでほしいな。……人間風情が」
最後の一言は小声で吐き捨てるように、『賢者』は言った。
「……それじゃ、君の番だよメイリー」
どうして自分の名前を知っているのか、そんなことを疑問に思う余裕すらメイリーには残されていなかった。
(――怖い。怖い怖い怖い怖い……!!)
目の前の少年が、自分と同じ人間とはとても思えなかった。
――人間じゃない。何か得体の知れない魔物か何かだ。
「や……、やめてぇ……」
恐怖のあまり、メイリーは失禁していた。もう完全に戦意は喪失している。
「スイ!! もうやめて!!」
廊下の向こうから走って来た緋い髪の少女が、そう叫んだ。彼女は、メイリーを庇う様に『賢者』との間に割って入る。
『賢者』は興ざめしたように溜息をついた。
「……やっぱり、普通の人間じゃ退屈しのぎにもならなかったね。これでも壊さないように大分加減したんだよ?」
*****
暗殺者の侵入があった翌日の朝。
ヨハンは、ガーネットの姿を探して話しかけた。
「昨晩の件、聞きましたよ。侵入した暗殺者を賢者様が全員捕えたらしいじゃないですか」
「ああ、うん……」
ガーネットは、少し浮かない顔で頷く。捕えられた侵入者三名のうち、二名は獄中で治療中、一名は外傷こそほとんどないものの、精神が不安定になっているらしい。
「あの……、最近の賢者様ってちょっと変じゃないですか? 前からあんな感じでしたっけ?」
周囲に誰もいないことを確認してから、声を潜めてヨハンは尋ねた。
「……えっと、誰にも言わないでね。あれはスイじゃないの」
「え……!?」
「スイがお願いして、スイの替え玉になってもらってるんだ」
「……いつ入れ替わったんですか?」
「王宮に戻って来てすぐだよ」
「全然気づきませんでした……。というか、替え玉にしてはあまりにも本人に似すぎてますよね。一体何者なんです……?」
言動に若干の違和感はあるものの、それ以外は顔も声もヨハンの知る『賢者』そのものだ。特徴的な背中の羽根も、本物のように見える。
「……古き魔女ヴァーユ」
ガーネットは、そう答えた。
「古き魔女……」
ヨハンは、背筋に冷たいものを感じた。
――『古き魔女』。その存在は誰もが知っているが、普通はお目にかかる機会などない。人間に友好的なルーセットの魔女アーカーシャですら、自身が人間達の前に姿を現すことは基本的にないのだ。
「今は味方をしてくれているけど、いつ気が変わるか分からないから、ヨハンさんも気を付けて」
「気を付けてって……、どうやって……?」
「あまり刺激しないようにするとか……かな」
「……わ、分かりました」
ヨハンとて命は惜しい。――迂闊なことを言って魔女の地雷を踏まないように気をつけよう。
「それじゃあ、本物の賢者様はどこへ行ったんです?」
「……エルシア帝国、だよ」




