モリスン殺害事件
エルサンドラに戻ると、深夜にも関わらず王宮の中は妙に騒がしかった。就寝中だった使用人や兵士達が起き出してきて右往左往している。
「賢者様……!!」
兵士の格好をしたヨハンが、翠の姿を見つけて手招きする。
「ヨハンさん、何かあったんですか……?」
「実は、……モリスンが殺されました」
「え……?」
――モリスン。確か、先王の従弟であり王位継承権の上位にいる人物だ。王宮内では官僚として働いており、それなりに権力も強い。今回の武器密輸事件でもエスメラルダ女王が怪しい人物の一人として挙げていた。
「いつですか……?」
「ついさっきですよ。巡回中の警備兵が自室で殺されているモリスンの遺体を見つけたようです」
――何てことだ。たまたま僕が外出中に限ってこんなこと……
「誰がやったの?」
ガーネットが尋ねる。
「分かりません。犯人はもう逃げてしまったみたいで……。今ならまだ、現場が見れますよ」
ヨハンに案内されて、翠たちはモリスンが殺された現場へと向かった。
「うっ……」
血の匂いに、翠は思わず口元を覆った。王宮内にあるモリスンの私室。その扉の前の廊下がすでに血の海だった。警備兵が、体を肩口からざっくりと袈裟切りにされて殺されている。出会い頭に斬り殺されたのか、剣を抜く暇もなかったようだ。
「スイは無理に見なくてもいいよ、私が確認してくる」
ガーネットが言った。
「だ、大丈夫……」
吐き気を堪えながら、翠は開け放たれたままになっている扉からモリスンの私室の中に入った。
モリスンは、寝室のベッドの上で殺されていた。寝込みを襲われたのだろう。首と胴体が切り離され、シーツが真っ赤に染まっている。
部屋の窓は開け放たれており、夜風がカーテンを揺らしていた。
翠は慌ててその場を離れて、庭の片隅で吐いた。
「大丈夫? だから無理に見なくてもいいって言ったのに」
翠の背中を撫でながら、ガーネットが言う。
「情けないですわね。あの程度の死体で」
しれっとついて来たヴァーユが、呆れたように言った。
「自分が情けないのは自覚してます……」
モリスン殺害の件は、王宮内だけでなくあっという間に王都エルサンドラの住民達の間でも噂になった。
しかし、兵士たちの捜索にも関わらず、犯人と思われる人物は一向に見つからなかった。
その一方で、モリスンの身辺の調査を行ったところ、彼の別邸から思わぬものが発見された。
――エルシア帝国から密輸したと思われる武器が。
モリスンは王位の簒奪を狙ってクーデターを計画していたが、それが女王にバレて暗殺された――。真偽はともかく、王都ではそのように噂になっていた。
*****
「わ、私は何もしてないわよ……!!」
その晩、寝室を訪れた翠に対してエスメラルダは開口一番そう言った。
「……僕はまだ何も言ってません」
「モリスンの件よ!! 私が暗殺者を差し向けたなんて冗談じゃないわ。武器密輸の犯人がモリスンだったってことすら知らなかったのに!!」
「そう、ですよね……」
――では、モリスンは一体誰が何のために殺したのだろう?
「ねえスイ君、……いえ、賢者様。武器密輸の犯人は分かったわけだけど、引き続き力を貸してもらえないかしら? 暗殺犯の目的が分からない以上、私だって命を狙われるかもしれないわ」
すがるようにそう言って、エスメラルダは翠の手を握る。
「ここまで関わってしまった以上、中途半端に投げ出すような真似はしませんよ」
翠はそう答えた。
「ありがとう、優しいのね……」
薄い寝巻き姿のエスメラルダが、翠の体に抱きついてくる。
「どさくさに紛れて僕を誘惑しようとするのはやめて下さい……!!」
――武器密輸の件だって、これで解決したとは限らない。エルシアから武器を買っていたのは、本当にモリスンだけなんだろうか……?
*****
「モリスンがクーデターを計画していたこと自体は、どうやら本当っぽいんですよね」
ヨハンは言った。
「ええ、女王からも聞きました……」
その件は、翠もすでに知っていた。
モリスン邸の家宅捜索の結果、それを示す証拠がいくつも発見された。現在、クーデター計画に加担していた者達の洗い出しと取り調べが行われている最中だ。
そのせいで、王宮内は常にピリピリした空気が漂っている。
「そういえば、モリスンは近隣の小国を併合する野心があると女王は言ってました。女王は戦争には反対派ですから、自分が王位を取って小国への武力侵攻を行うつもりだったんでしょうか」
エスメラルダから聞いた話を思い出して、翠は言った。
「イゼプタの隣国と言えば、例えばクルートとかですね」
クルートはイゼプタに隣接する小国であり、十数年前にイゼプタと戦って領土の多くを奪われている。
――何者かがモリスンの計画を知って、それを阻止するために殺した……?
「モリスン暗殺を指示したのは、クルートの関係者という可能性もあるでしょうか……?」
翠は言う。考えられる可能性は一つずつ潰していかないといけない。
「なくはないですね……。そっちの線も調べてみましょうか」
「はい。――僕も、自分にできることはやっておこうと思います」
*****
「随分ちまちまと、面倒くさいことをやっていますのね」
翠が寝泊まりしている部屋。開け放たれた窓の窓枠に座って、退屈そうにヴァーユはそう言った。
「……仕方ないですよ。まず情報がないことには動くに動けないですし」
「片っ端から怪しい奴の脳を探って洗いざらい記憶を調べてやればいいのに」
「残念ながら僕の魔法ではまだそこまでは……」
――僕の使える精神感応の魔法で探れるのは、表層意識がせいぜいだ。相手がその時に考えていることしか読み取ることはできない。
「あなたは、イゼプタで何が起こっているのか興味はないんですか?」
何気なく、翠はヴァーユにそう尋ねた。
「全く興味ないですわね。どうせこんな国、千年後にはなくなっていますもの」
「それは……そうかもしれないですけど……」
「で、あなたはこれからどう動くつもりなんですの? 賢者サマ」
「……実は、あなたにお願いしたいことがあるんです。古き魔女ヴァーユ」
「私に……?」
ヴァーユは、わずかに眉をひそめる。
「古き魔女に頼み事なんて正気かしら? 高くつきますわよ……?」
そう言って、魔女は黒い唇を笑みの形に歪めた。




