黒の少女、再び
――数日後。
王宮内で、翠は一人の兵士に声をかけられた。
「……俺です、ヨハンです」
「ヨハンさん……!! どうしてこんな所に……」
「兵士の制服を拝借して紛れ込みました。とりあえず中間報告をしようかと」
「……お願いします」
基本的に人が来ない王宮の書庫に移動して、翠はヨハンから話を聞いた。
「まず、バネット将軍の線はなさそうですね。兵舎に潜り込んで家捜ししましたが、特に何も出ませんでした」
「さすが仕事が早いですね……」
「それに、将軍は先王への忠誠が厚い人物のようです。先王の遺言で王座に就いたエスメラルダ女王を裏切るようなことはしないでしょう」
「……ちなみに、それはどうやって調べたんですか?」
「一緒に飲みに行くくらい仲良くなって本人から直接聞きました」
――さ、さすがすぎる……
「この調子で他の人物についても調べてみますね」
「何だか任せきりですみません……」
――この調子ならもう僕の出番はないのでは……? それならそれで助かるけど……
「まあ、もともと俺達がやるべき仕事ですからね」
ヨハンは言った。翠は中立な立場の冒険者だが、ヨハンはルーセットの諜報員である。表立って動くわけにはいかない。――そのため、あくまで表向きは翠に動いてもらいたい、ということなのだろう。
「……ところで賢者様」
ふと声を潜めて、ヨハンは翠に尋ねた。
「はい……?」
「エスメラルダ女王とはどうなんです……? 女王の寝所に出入りしてるって聞きましたよ」
「な、何もしてませんよ……!! 寝室に出入りしているのは、連絡のためです……!!」
初日に薬を盛られて女王の寝室に連れ込まれて以来、何やら妙な噂になってしまった。――どうせ噂になっているなら、逆にそれを利用してしまおうというわけだ。時おり女王の寝室を訪れて話だけして、それ以外特に何もしていない。
「噂を本当にしてもいいのよ?」と女王に迫られたこともあるが、丁重にお断りした。
「何だ、もったいない……。あんなに美人なのに」
「……僕からしたら十歳も年上なんですよ?」
「賢者様にはまだ大人の女の魅力が分からないんですね……」
「ええ……、文字通り僕には十年早いみたいです」
「……ああ、それと」
思い出したように、ヨハンは言った。
「町で偶然耳にしたんですが、最近、例の巨大サンドワームを倒した者を探し回っている人物がいるらしいですよ」
「え……?」
「何でも、真っ黒いローブを身にまとった怪しい人物だとか。……何者かは分かりませんが、念のためお気を付けください」
「……分かりました」
ルーセットから来た『賢者』が巨大サンドワームを倒したという話は、もう各所に知れ渡っている。その何者かが翠の元に現れるのは時間の問題だろう。
そして、程なくしてその人物は翠の前に姿を現した。
ごく普通に、王宮に客人として訪ねてきたのだ。王宮の使用人から来客の訪問を伝えられて、翠は少しだけ考えた。――まあ、どうせ会うなら早い方がいいだろう。それに、人目の多い王宮内で騒ぎは起こさないだろうし……
王宮の玄関ホールにいたのは、ヨハンが言っていた通り、黒いローブで全身を覆った人物だった。顔も性別もよく分からず、明らかに異様な雰囲気を放っている。
「あの……」
翠が話しかけようとした時、その人物が口を開いた。
「サンドワームを倒したのはあなたかしら? ……賢者サマ?」
翠の全身に鳥肌が立った。その声も、喋り方も、翠には聞き覚えがあった。
――そんな、まさか……
その人物は、身にまとっていた黒いローブを脱ぎ捨てた。黒髪のツインテールを縦ロールにした、黒衣の少女がそこにいた。口紅も、ネイルも黒い。両頬には独特な水玉模様のペイントがある。
少女は、黒い唇を歪めて嗤った。
「オニキス……」
――おかしい。アーカーシャの元で封印されているはずの彼女が、こんな所にいるはずがない。
だが、目の前にいる少女は、声も外見もオニキスそのものだった。
「お久しぶりですわね。元気にしておりまして?」
「……君は一体何者だ?」
翠は彼女に尋ねた。諸々のトラウマを思い出して嫌な汗が流れる。
「あら、もう私のことを忘れてしまいましたの……?」
翠の頬に触れようとした彼女の手を、翠は振り払った。――忘れるわけがない。だが、ここにいる彼女がオニキスであるはずがないのだ。
「何のつもりでそんな姿をしているのか知らないけど、言わないなら強引にでも口を割ってもらうよ……!!」
珍しく冷静さを失って、翠は魔法を使った。
「……ex……fogo……!!」
だが、魔法が発動することはなかった。――集めたエーテルを散らされた、そんな感じだった。
「ふふ……、乱暴ですこと。こんな所で騒ぎを起こす気ですの?」
オニキスの顔をした少女はそう言って笑い、一歩引いて翠から距離を取った。
「ここでは落ち着いて話ができそうにありませんわね。……待っていますわ、ファイの遺跡で」
少女は再び黒いローブを纏うと、その場から掻き消えるように居なくなった。
「待っ……」
翠は咄嗟に右目の眼帯を取って、周囲のエーテルの流れを視た。
認識阻害にせよ、光学迷彩にせよ、何らかの魔法で姿を隠しているならエーテルの流れが生じるはずだ。それを追えば、彼女を捕まえることができる。
だが、そこにあったのは彼女が魔法を使った後の痕跡だけだった。集められたエーテルが青くゆらぎ、空気中に拡散していく。
――つまり、その場に魔法で身を隠している者はいない。本当に、彼女は姿を消したのだ。
「空間転移……?」
翠は呟く。
――僕の知る限り、そんな魔法が使える存在は世界に五人だけだ。




