トラウマポーカー(1)ー開始ー
「……それで、具体的には何をするんですか?」
「そうだね、ポーカーなんてどうだい? 単純なドローポーカーだ」
ドローポーカーは、カードを五枚ずつ引いて揃った役の強い方が勝ちというごくシンプルなルールだ。
「もちろん、普通のポーカーじゃない。ベットするのはお互いの自我と、負の記憶、……即ちトラウマだ」
「え……?」
プリトヴィーが提示したルールはこうだった。
お互いの負の記憶、――トラウマをチップにしてベットする。負けた方は自身のトラウマを追体験する。
「チップを先に使い切るか、トラウマに耐え切れなくなって先に降参した方の負けだ」
「相手のメンタルを先に折った方が勝ちというわけですか。……悪趣味ですね」
途端に、周囲の風景が切り替わった。
白と黒の格子模様の床が延々と続く空間の中に、ゲームテーブルがぽつんと置かれている。
「さあ、席に着きたまえ」
「……分かりました」
言われたとおり、翠はプリトヴィーの正面の椅子に座った。すると、目の前に白と黒のチップが十枚ずつ出現する。
「これは……?」
「黒いチップは君の負の記憶。トラウマチップとでも呼ぼうか。白いチップは、君の自我を構成するものだ。……記憶とか知識とか、そういうものだね」
「具体的には、どうやって賭けるんですか?」
「最初のベットは必ずトラウマチップを賭けること。フォールド(降り)する場合は同数の白チップを代償として支払ってもらう」
「レイズ(上乗せ)はできるんですか?」
「もちろん。……でも、トラウマチップを上乗せするのはおすすめしないよ。心が壊れてしまうかもしれないからね」
「ちなみに、トラウマを追体験って具体的にはどうなるんです?」
「……負けてみれば分かるさ」
【1ターン目】
トランプが空中で自動的にシャッフルされ、二人の前に五枚ずつカードが配られた。
翠は自分の手札を確認する。――当然、最初からそんなに良いカードが来るはずもない。交換は一回のみ可能というルールだが、それでも9のワンペアという微妙な手札。
「先攻と後攻は、交互に交代しようか。とりあえず、私からでいいかな?」
「どうぞ……」
プリトヴィーは、黒いチップを一枚置いた。
「ベットだ」
――最初から降りても仕方がない。翠も、黒いトラウマチップを一枚置く。
「コールです……」
お互いの手札を公開する。プリトヴィーの手札はJのワンペア。役が同じなら、数が大きい方が勝ち。
「……残念だったね」
プリトヴィーが笑う。
その瞬間、翠は強烈なフラッシュバックに襲われた。
爆発に巻き込まれ、一瞬で消し炭となる何人もの兵士。爆風で吹き飛ぶ手足や内臓。焦げた遺体。千切れた肉片。致命傷を負い、地面を這いずる人々。
――遠目にではあったが、翠は確かに見た。自分の魔法が、たくさんの兵士の命を一瞬で奪う様を。
翠はその場で嘔吐した。
――トラウマの追体験、こういうことか……。その時の感情や絶望感まで生々しく思い出す。
ここは精神世界なので今しがた吐いた物は消えてなくなっていたが、翠の体の震えは止まらなかった。
「……続けられるかい?」
「だ、大丈夫です……」
――まだ、一回目だ。こんな所では終われない。
【2ターン目】
2ターン目も、カード運は思わしくなかった。Qが二枚。――またワンペア……
一度フラッシュバックを体験しているため、黒いチップを置く翠の手が震える。
「……ベットします」
「コールだ」
プリトヴィーは即座にコールを宣言し、互いの手札をオープンした。彼女の手札は、4と9のツーペア。
「すまないね、また私の勝ちだ」
「……っ」
ヒュッ……と、翠の喉から小さく音が漏れた。
「……あああぁぁぁっ!!」
次の瞬間、翠は叫んでいた。
二度と聞きたくないと思っていた、あの気味の悪い赤子のような鳴き声が聞こえた。
オギャァ……オギャァ……オギャァ……
右目を齧られ、眼球を引きずり出された時の激痛が生々しくよみがえり、翠は思わず右目を押さえる。
――大丈夫、この痛みは過去のものだ……。頭ではそう理解しているのに、精神が悲鳴を上げる。全身から冷汗が噴き出した。
「……大丈夫かい?」
「だ……大丈夫、です……」
――これは、想像以上に辛い。黒チップは十枚だから、もしも負け続ければあと八回もフラッシュバックを体験することになる。心が折れるのも時間の問題だ。
「辛かったら、降参してもいいんだよ? 森と同化して一生心穏やかに過ごすのも悪くないと思うよ」
優しい声で、プリトヴィーはそう言った。
「降参はしません……」
――僕の心は僕のものだ。もう二度と他人の好きにはさせない。
【3ターン目】
プリトヴィーは迷わず黒いチップをベットする。
翠の手札は6と8のツーペア。
「……コールです」
手札を公開する。プリトヴィーの手札はAのワンペア。――よかった、ようやく一勝できた。
翠は安堵して胸をなでおろす。
プリトヴィーの負の記憶が再生された。
森の中に、幼い少女がいた。萌黄色の髪から、先のとがった耳がのぞいている。両親に捨てられて、寂しさとひもじさで泣いていた。……泣いても誰も来てくれないと分かって、やがて彼女は泣くのをやめた。
飢えて死にかけていた彼女を助けて介抱したのは、ノーブルアントだった。
――あれ? この記憶って……
「これってイーリィさんの記憶では……? 弟子の記憶をチップにするのはずるくないですか?」
「仕方ないだろう。私とイーリィは人格がほとんど融合していて分離できない。彼女の記憶は私の記憶だ」
――な、何か釈然としないな……
【4ターン目】
――う、カードの引きが悪い……
翠の手札は役なしだった。最初の二回のダメージが尾を引いて、ハッタリをかませるような気力もない。
「……フォールドです」
翠は勝負から降りた。プリトヴィーの手札はワンペア。フラッシュバックを回避できたことに一旦は安堵する翠だったが、代償として白チップを奪われてしまった。
「ふふ、これが君の世界の記憶か……」
プリトヴィーは、チップをもてあそびながら笑う。白いチップは、自我を構成する記憶や知識の断片だ。
翠が奪われたのは、元いた世界の記憶の一部だった。
こうやって少しずつ記憶を削り取られていけば、いずれ自分が何者かも分からなくなってしまうのだろう。
ここに来て、翠はようやくこのゲームの戦い方を理解した。
――トラウマのフラッシュバックを恐れて勝負から逃げれば、少しずつ心を削り取られて負ける。こんな戦い方をしていては駄目だ……
【5ターン目】
「ベットだ」
プリトヴィーは、黒いチップを一枚賭ける。
「フォールドします」
翠は再び、フォールド(降り)を宣言した。
「……いいのかい?」
「ええ、どうぞ」
白いチップを一枚、翠はプリトヴィーに投げ渡した。
「これは……」
翠が捨てた記憶の断片を確認して、プリトヴィーはわずかに眉をひそめた。
「君、これを手放してしまってもいいのかい?」
「はい。……僕にはもう必要のないものです」




