女王蟻の試練
翠は薬の材料になる植物を採取するため、クロと一緒に森の中を探索していた。イーリィに用事を頼まれたため、ガーネットは別行動をしている。
結局、泉での一件以来特に何事もなく、相変わらず翠はイーリィの元で彼女の仕事を手伝っていた。
「あ、これも初めて見る果物だ……」
シルヴァラントの森は、ルーセットとは植生が異なっている。歩いているだけで、見たことのない植物がたくさん目に入る。
それは小さな黄色い果実だった。試しに一つ取って皮をむいてみると、レモンのような柑橘系の酸っぱい匂いがした。
――料理に使えそうだけど、一応後でイーリィさんに聞いてみよう。
そう思って、翠はその実をポケットに入れておいた。
「さてと……、あと必要な薬草は……」
必要な植物のリストを確認しつつ、翠は呟いた。――ヒカリゴケか。洞窟の中を探さないと駄目かな。
森の中を歩いて適当な洞窟を探し、翠は軽く中を探索してみる。魔法で明かりを灯すと、光を反射して淡く光るコケがわずかに生えていた。
――よかった、奥に行けばもっと生えているかもしれない。
そう思って、更に洞窟の奥へと進んで行った。
その洞窟は、思っていたよりも中が広かった。いくつか分岐もあったので、翠は迷わないように目印をつけながら先へ進んで行く。
ある程度進むと、開けた空間に出た。壁には先に続いていそうな穴が複数あって、どれを選んで進むべきか悩ましい。
その時だった。今まで大人しかったクロが、不意に唸った。
――何かいる。害獣……?
慌てて周囲を警戒すると、穴の中から巨大蟻がぞろぞろと姿を現した。
――ノーブルアントだ。しまった、もしかしてここは彼らの巣の中か……?
洞窟の中を歩いていたつもりが、いつの間にかノーブルアントの巣穴に迷い込んでいたらしい。
あっという間に、翠はノーブルアントに取り囲まれてしまった。蟻たちは顎を擦り合わせて音を出す独自の言語で何かギィギィ言っているが、残念ながら翠には全く分からない。
――ど、どうしよう……
以前から、ノーブルアントとコミュニケーションを取る方法がないか、翠は考えていた。
そこで思いついたことが一つある。
――オニキスの精神干渉。
彼女の魔法は、自分の中のイメージを相手の脳内に強引に刷り込むような方法だった。そんな強引なやり方ではなくて、エーテルを介して相手の精神と繋がり、相互にやり取りをすることができれば……
精神干渉ではなく、精神感応。いわゆるテレパシーで意思疎通ができるのではないだろうか?
――ぶっつけ本番だけど、やってみるしかない。
オニキスの魔法術式を思い出し、アレンジを加えて術式を構築する。自分の中のイメージを、エーテルを介して彼らの脳内に直接伝える。
『……こんにちは』
ノーブルアントが、驚いたような反応をする。――成功した……かな?
ギィギィと、蟻は何かを喋る。精神感応で、言語ではなくイメージを介して、彼が何を言わんとしているのか何となく理解できた。――あ、そういえば働きアリって全員メスだっけ。じゃあ「彼女」か。
『お前は何者だ?』
ノーブルアントの一体が翠に尋ねる。
『僕は翠といいます。……あの、あなた達の住処に勝手に入ってすみません。迷い込んでしまっただけなんです』
――少なくとも、敵意がないことは伝わるはずだ。
『ハネのあるヒト個体は初めて見た』
『本当にヒトか?』
蟻たちが困惑してざわついているのが分かる。
――悪気がないのは分かるけど、ちょっと傷つくなぁ……
『ヒトなら殺さないが、ヒトでないなら殺す』
ノーブルアントは、そう言い放った。
『人です……!! 僕はこう見えて普通の人間です!!』
慌てて、翠は説明した。蟻たちは顔を見合わせる。どうやら、判断がつきかねているようだ。
『……我々の女王に判断を仰ぐ』
『ついて来い』
彼女たちは言った。
――女王アリに会わせてもらえるなら、むしろありがたい。せっかくだから色々と話を聞いてみたい。
翠はおとなしく、彼らに従って巣穴の奥に歩を進めた。
巣穴の中は、ヒカリゴケが発光生物の光を反射して淡く輝き、幻想的な光景を作り出していた。想像以上に広大な巣のあちこちで、ノーブルアント達が規律よく働いている。
巣穴の最深部にあたる広い部屋に、女王はいた。――大きい。働きアリたちの二倍はある巨大な体。大きく膨らんだ腹部。背中には、薄い翅がある。
『女王、巣穴に紛れ込んでいたヒトのようなものを見つけました。変種かもしれません』
翠を連れてきた働きアリが、女王に言う。
『変種じゃありません……。僕はこれでも普通の人間です』
翠は一応訂正をする。
『……妙な技を使うな、人間。少なくとも普通のヒト個体とは違うようだ』
女王は言った。
『お目通り出来て光栄です、女王様。……僕は翠と言います。ルーセットという国から来た、古き魔女アーカーシャの弟子です』
ノーブルアントが人間の国や『古き魔女』についてどれくらい知っているか分からないが、翠はそう名乗った。
『古き魔女……』
意外にも、女王はその言葉に反応を示した。そして、意外なことを言った。
『我々に知性を授けて下さった偉大なる魔女プリトヴィーと同列の存在か』
『えっ……?』
――プリトヴィ―が彼らに知性を授けた……?
『古き魔女プリトヴィーについてご存じなんですか?』
『当然だ。かの者は我々を創り、我々はかの者が存在するこの地を守るために存在している』
『……あの、もしプリトヴィーの居場所についてご存じでしたら、教えて頂けないでしょうか?』
翠のその頼みに、女王は少しだけ考え込んだ。
『もし、其方が本当に古き魔女の弟子というなら、まずはその証を見せろ』
『証……?』
翠が困惑していると、女王の傍に控えていたノーブルアントの一体が、翠の前に歩み出て来た。
働きアリよりも一回り以上体が大きく、特に顎が大きく発達している。――兵隊アリだ。この巨大な顎で挟まれたら、首など一瞬で噛みちぎられてしまいそうだ。
――まさか、一対一で戦って倒せと……?
クロの力は借りられないし、殺してしまうような魔法も使えない。どうしよう……
自分よりもずっと大きな巨大蟻を目の前にして、思わず体がすくむ。翠は自分の脆弱さをよく分かっている。攻撃を避けられるような身体能力もないので、攻撃されれば確実に死ぬ。
兵隊アリを威嚇して唸るクロを、翠はなだめた。
「クロ、僕は大丈夫だから下がっていて」
――大丈夫。考えるんだ、殺さずに倒す方法を。
『分かりました……。やります』
覚悟を決めて、翠は言った。
『その勇気に敬意を表するぞ。……己の力を示すがいい、人間』
女王のその一言が合図となって、兵隊アリが動く。
翠はポケットの中に入っていた果実を握りつぶすと、空気の魔法を応用し、その果汁を兵隊アリに向けて噴霧した。
『…………!!?』
兵隊アリは露骨に怯んで、体をのけぞらせる。
――柑橘系の果実に含まれるクエン酸を、蟻は忌避する性質がある。人間で例えるなら、いきなり催涙スプレーを吹きかけられたようなものだろう。
「……ex……convert……electron……」
蟻が苦しんでいる隙に、翠はその体に触れる。――触れるのは、一瞬だけで構わない。
クラーケンを倒した際に使った雷撃魔法。出力を絞って威力を調整し、死なない程度の電流を兵隊アリの体に流した。
強力なスタンガンを押し当てられたようなものだ。神経系が麻痺して、兵隊アリの巨体が地面に倒れる。全身を痙攣させてもがいているが、まともに動くことはできない。
『ごめんなさい、めちゃくちゃ痛いですよね……。僕の勝ちでいいですか……?』
『……いいだろう。お前の力を認めよう、人間』
女王は言った。翠はほっとして胸をなでおろす。――よかった。自分も相手も死なずに済んだ。
『それじゃあ、教えて頂けますか? 古き魔女プリトヴィーについて』
*****
ノーブルアントの巣穴から出ると、外は真っ暗になっていた。巣穴の中の方が明るかったくらいだ。
「……スイ!!」
森の向こうから、翠の名前を呼ぶ声が聞こえた。翠が灯した明かりを見つけて、巨木の根を身軽に跳び越えながらガーネットが走って来る。
「ガーネット、……ごめんね、遅くなって」
「なかなか戻ってこないから心配したよ~!!」
遅れて、イーリィもやって来た。
「……ずいぶん遅かったね。何かあったのかい?」
「すみません、ちょっとノーブルアントの巣穴に迷い込んでしまって……」
「アント達の巣穴に?」
イーリィは少し驚いた顔をする。
「……よく無事に戻ってこれたね。彼らの言葉も分からないのに」
「はい、ちょっと色々ありまして……」
翠は曖昧に言葉を濁した。
――巣の女王から話を聞いたこと、イーリィさんにはまだ黙っていよう。




