エルフの末裔
「プリトヴィーの弟子……」
――『古き魔女』の弟子。僕以外にもいたんだ……
「あの、僕たちはプリトヴィーに会うためにここまで来たんです」
「師匠に……?」
翠の言葉に、イーリィは怪訝そうに首をかしげる。
「はい。もしできたら、会わせてもらえないでしょうか……?」
「残念だけど、そう簡単に会わせてあげることはできないな。うちの師匠は用心深いんだ」
――まあ確かに、いきなり訪れて簡単に会わせてもらうのは難しいだろう。
とはいえ、はるばる海を渡ってここまで来たのだ。引き下がるわけにもいかない。
「どうすれば、会わせて頂けますか?」
イーリィは少しだけ考え込んで、翠たちを観察するようにじっと見つめた。
「その前に、まずは私も君たちのことが知りたいな。アーカーシャの弟子とやら。……少し、力試しをさせてもらうよ」
言うやいなや、イーリィの姿はその場からふっと掻き消えた。
いつぞやオニキスがやったような精神干渉による認識阻害ではなく、光の屈折率を操作して自分の姿を見えなくしている……と、翠は判断した。
次の瞬間、イーリィの姿は翠たちを取り囲むように無数に出現した。木々の間や巨木の根や枝の上、いたるところに彼女の姿がある。
「分身した……!?」
ガーネットが声を上げる。
「……本当に分身しているわけじゃないよ。よくできた幻影だと思う」
「へぇ、さすがにそれは分かるんだね」
感心したように、イーリィは言う。空気を操作して声を反響させ、どこから喋っているのかも分からないようにしている。
――それにしても凄い。こんなにたくさんの幻影を一気に作り出すなんて。
影や光の加減なども完璧に再現されていて、どれも個別にちゃんと動く。一見しただけでは、本物と幻影の区別はつかない。
「この中から本物の私を探し出し、帽子を奪えたら君の勝ち。……ああ、手を触れて見分けるのは禁止だよ。どうだい?」
「……分かりました」
翠は答えた。
――ごめんなさい、イーリィさん。これは僕には簡単すぎます……
幻影はとてもよくできている。恐らく、普通の人間の目ではこの大量の幻影の中から本物を見つけ出すのは困難だろう。
しかし、それが魔法によって作られた偽物である以上、翠には全て見えてしまう。
魔法を使えば、必ずエーテルの流れが発生する。
――その流れの源を辿れば、誰が魔法を使っているかは一目瞭然。
幻影には一切わき目もふらず、翠は迷わずに「本物」のイーリィの方へと向かう。彼女は、巨木の根の上にいた。
「……ex……aer……」
小さな風を起こして彼女の帽子を吹き飛ばし、落ちてきた帽子を翠はそっと受け止める。
「……僕の勝ちですね」
あまりにもあっさりと看破されて、イーリィは一瞬だけぽかんとした顔をした。だが、すぐに我に返って根の上から飛び降りると、翠の肩をガシッと掴む。
そして、翠の目を覗き込むように思いっきり顔を近づけてきた。
「一体どうやって見破った? 魔法を使ったようには見えなかった。君には何か視えてるのか……?」
――ち、近い……!! 顔が近い……!!
「あ、あのですね、実は僕は、この右目の羽根でエーテルの流れを視覚的に視ることができるんです……」
「エーテルの流れを……? この羽根で? この羽根はどこから生えてるんだ?」
イーリィは、興味深そうに翠の右目から生えている羽根に触れる。
「ちょっ……、羽根には触らないでください……!!」
好奇心で我を忘れた状態になっているイーリィを、ガーネットが引き剥がした。
「ストップ、ストップ……!! スイが嫌がってるでしょ……!!」
「……ああ、すまない。興味深くてつい……」
翠から帽子を受け取ってかぶり直し、イーリィは言った。
「……君に興味が湧いたよ。とりあえず、私の家に来ないかい? お茶くらいは出すよ」
お言葉に甘えて、翠たちはイーリィの家にお邪魔することにした。
彼女の家は、巨大な木の枝の上にあった。枝の高低差を利用して、複数の部屋が階段や吊り橋で繋がっている。木の幹をぐるりと回るように階段が作られていて、上り下りには困らないようになっていた。
――秘密基地みたいで、少しワクワクする。
家の中は、壁一面に試薬や標本の類が所狭しと並べられていた。見たことのない動物の骨や、乾燥させた薬草の瓶。色とりどりの鉱石。
規模こそ違うが、アーカーシャの館と少しだけ雰囲気が似ている。
「狭いけど、まあ適当に座ってくれたまえ」
「……はい、お邪魔します」
物置状態になっていたソファーの上の荷物を脇に寄せて、翠はそこに座らせてもらった。少し狭いが、ガーネットはその隣に座る。中型犬の姿になったクロは、翠の足元にきちんとお座りした。
「その魔獣は便利だね。姿を変えられるのか」
「はい。僕の言うことはちゃんと聞いてくれるし、いい子ですよ」
翠が頭を撫でると、クロは嬉しそうに尻尾を振る。
イーリィはフラスコのような器具でお湯を沸かしてお茶を淹れてくれた。――かなり渋い漢方のような匂いがする。
口をつけないのも失礼かと思い、翠は意を決して一口飲んでみた。案の定、苦い薬のような味がした。不味さを顔に出さないように、翠は必死に平静を装う。
――変なものが入ってたりしないよな……? このお茶……
「それで、うちの師匠に会いたいということだったけど、その理由を詳しく聞かせてもらえるかな」
「はい、実は『世界樹』について調べていまして……。古き魔女プリトヴィーが『世界樹』の探索に熱心だったと僕の師匠から聞いたので、何かお話が聞ければと……」
正直に、翠はそう答えた。
「……『世界樹』、か」
自分で淹れた苦いお茶を眉一つ動かさずに飲みながら、イーリィは言う。
「それがどういうものか、君は知っているのかい?」
「この世界を記述する完全な定理……と、聞いています」
「そう、……そして、この世界で生まれた者には触れることができないものだ。恐らく、創世の神がそのように設定したのだろうね。世界の中心定理を勝手に書き換えられないように」
「……はい、知ってます」
「私も魔法使いの端くれだから、真理を探究したい君の気持は分かるよ。わざわざこんな所まで古き魔女を訪ねてきた行動力も評価する。……でもね、残念ながら大切な研究成果をそう簡単に開示するわけにはいかないな」
「そう……ですよね……」
――どうしよう。僕が異世界人であることも話すべきか……?
翠は逡巡した。まだ出会ったばかりのイーリィのことを、どこまで信用していいのか分からない。
部屋の中に、微妙に気まずい沈黙が流れた。
「……あの、イーリィさんはずっとここに一人で住んでいるの?」
空気を変えようと、ガーネットがイーリィに話しかけた。
「ああ、そうだよ。……もう、かれこれ百年くらいになるかな」
「百年……!?」
イーリィの外見は、せいぜい二十歳前後にしか見えない。
「シルヴァラントには、大昔は長命種が存在していたんだよ。人間との混血が進みすぎて、純血種は絶滅してしまったけどね。……ただ、ごく稀に人間達の中から『先祖返り』が生まれるんだ。それが私」
自らの先のとがった耳を指差して、イーリィは言った。
「人間達と時間感覚が合わないから、森にこもって一人で暮らしてるってわけさ」
「そうだったんですね……」
「私としては、君のことももっと詳しく教えてほしいな。特にその羽根のこととか」
そう言って、イーリィはまたしても翠にぐっと顔を近づける。
「わ……、分かりました……」
翠は、アンゲルスという害獣に襲われたことと、その後の経緯をかいつまんでイーリィに説明した。
「なるほどな……。その翼は後天的に生えたものだったのか」
「はい。……ガーネットに助けられていなかったら、僕は多分あそこで死んでいたと思います」
あの異形の天使に襲われた時のことは、いまだに悪夢に見るくらいにはトラウマになっている。
「しかし、エーテルの流れが視えるというのは羨ましいな……。エーテルの収集も、その翼を媒体にしているんだね」
「……はい」
「さっきの力試しで本当はもう少し君の魔法を見せてもらいたかったんだけどね……。よかったら、君の魔法理論について教えてもらえないかな? 他の古き魔女の弟子と話をする機会なんてなかなかないしね」
「はい、僕もイーリィさんのお話を聞きたいです」
先ほどの蟻たちとの会話といい、精密な幻影といい、イーリィの魔法は興味深い。
――今まで割と力技な魔法の使い方しかしてこなかったから、そういう技巧的な魔法の使い方も勉強したい。
すでに薄々感づいてはいたが、イーリィはかなりの魔法オタクだった。
延々と、夜が更けるまで勉強会は続いた。




