オルダキアの姫君
どこまでも見渡す限り、青い海が続いている。
空にはもはや見慣れてしまった空気クラゲが泳いでいる。まるで上空にも海が広がっていて、二つの海に挟まれているような不思議な光景が広がっていた。ぼんやりしていると海と空の境界が分からなくなる。
翠とガーネット、そしてクロの二人と一匹は、港町ベイルーンからの輸送船に乗っていた。海洋運輸協会からの海賊退治の依頼を受けて、護衛という形で乗せてもらったのだ。
ルーセット共和国は海を挟んで東側にあるイゼプタ王国という国と貿易を行っており、高価な貿易品を積んだ船がベイルーンから出港する。そういった船は、海賊の標的になりやすい。
船酔いでぐったりしながら、翠は船の甲板から海を眺めていた。
「スイ、大丈夫?」
ガーネットが心配して声をかけてくる。
「……うん、大丈夫……」
――そういえば、この世界はどうやら平面説が一般的なようだけど、実際はどうなんだろう。巨大なクラゲが空を泳いでいるような世界だし、もしかしたら本当に平面なのかもしれない。
「……この世界の端ってどうなってるの?」
「世界の端では空と海が繋がっているらしいよ? まだ誰も見た人はいないけど」
「そうなんだ……」
心地よい海風に吹かれていると、船酔いが少しはマシになる。
輸送船は、風力とエーテル機関の二つの動力で動いている。
風のある時は帆を張って風力で進み、風のない時はエーテル機関で外輪を回して進むらしい。
――動力源としてエーテル結晶が積み込まれているなら、いざという時は大きい魔法も使うことができる。まあ、殺さずに無力化できればそれが一番いいんだけど……
*****
船に乗って数日の間は、何事もなく過ぎた。翠がようやく船酔いに慣れてきた頃、事態は動いた。
「……前方に船影を発見!!」
マストの上で見張りをしていた船員が叫んだ。
「こちらの信号には応答しません!!」
船員が手旗信号で通信しようとするのを一切無視して、船は露骨にこちらの進路を塞ぐように向かってくる。
やがて、目視でもその姿がはっきりと見えるようになった。
分かりやすく真っ黒い帆を張ったその船は、船体の側面に大砲を装備していた。砲門をこちらに向け、問答無用で砲撃してくる。
大きな砲撃音と共に、砲弾が着水して水柱が上がる。
――心配ない。まだ大砲の射程範囲外だ。この砲撃はただの威嚇だろう。いっそもう少し近づいてくれれば、こちらからも攻撃できるんだけど……
「くそっ、連中撃ってきやがった……!! 賢者様、どうします!?」
船長が翠に尋ねる。
「大丈夫です、砲弾が来ても風で逸らします」
――正直なところ、大砲はそれほど怖くない。向こうだってまともに当てるつもりはないはずだ。大切な積荷が海に沈んだら元も子もないのだから。
威嚇砲撃から間もなく、ボートのような小型の船が四艘ほど、すごい勢いでこちらへ向かってきた。
どう考えても手漕ぎの速度ではない。――エーテル機関でスクリューを回す高速船……!?
小型船で接舷してこちらに乗り込み、一気に制圧するのが彼らのやり方なのだろう。
――でも、そうはさせない。動力源としてエーテル結晶を使っているなら、逆にそれを利用できる。
「……explosion……!!」
翠は、接近してくる小型船の動力部分だけを狙って、威力を抑えた爆発を起こして吹き飛ばした。推進力を失った小型船は海上で立ち往生する。
――よし、この要領で、残りの三艘も足止めしてしまおう。もし接舷された時はガーネットとクロにも戦ってもらおうと思っていたけど、これなら僕一人でもなんとかなるかもしれない。
同じ要領で、二艘目、三艘目も動きを止める。――力加減に失敗して船が転覆したりもしたが、多分誰も死んでいない……と思う。爆発の威力を抑えるのと、高速で移動してくる対象に座標を合わせるのに意外に神経を使う。
「スイ、気を付けて……!!」
ガーネットが叫んだ。
いつの間にか接近していた四艘目の小型船から、乗員が銃を撃ってきた。エルシア帝国製のマスケット銃だ。
オルトロスの姿に戻ったクロが盾になって翠を守る。クロは多少の傷であれば瞬時に回復するため、事実上物理攻撃が無効である。
「ありがとう、クロ」
四艘目の小型船も、動力部を破壊して動きを止める。
これでひと段落したかと一瞬気を抜いたその時だった。船員の悲鳴が聞こえて、翠は振り返った。
「……動くな。動いたらこいつの命はないぞ」
一人の女が、船員を羽交い絞めにして銃を突き付けていた。筋骨隆々で体格が良く、浅黒い肌には顔も含めて全身に傷跡がある。髪も短いため、一見すると男のように見えた。
――銃撃でこちらの注意を引いている間に、泳いで乗り込んできたのか。見ると、甲板の縁にフックが引っかかっており、ロープが垂れ下がっている。あれでよじ登って来たのだろう。
「一人で乗り込んできたんですか?」
翠は女に尋ねた。
「はっ、お前は馬鹿か? 船の動力を破壊した程度で足止めができたつもりか?」
鼻で笑いながら、女は言う。
甲板に次々とフックが引っかけられ、ずぶ濡れの男たちが次々とよじ登って来た。銃が濡れないように頭上に括りつけている。
――また、自分の甘さが裏目に出てしまった。
後悔しても遅い。ここは何とか打開策を考えよう……
「要求は何です? この船の積荷ですか?」
気弱な部分は見せないように、なるべく毅然とした態度で、翠は彼女との交渉を試みる。雰囲気などから察するに、彼女がこの海賊団の首領なのだろう。
「ああ、最初は積荷が目的だった。だがな……」
女は、翠を憎悪の視線で睨みつけた。
「……今はお前を殺したくて仕方ない」
「え……?」
その返答に、翠は困惑する。
「その忌々しい白い羽根……。お前のことは知っているぞ、ジレーズ砦の悪魔め……!! どうしてこんな所にいる……!?」
吐き捨てるように、彼女は言った。
「……あなたは、もしかしてオルダキア人……?」
「ああ、そうだ。……私は、ファラルダ=ルナ・デル=マルゾーラ。オルダキア王家の血を引く最後の末裔だ……!!」
――何てことだ。
オルダキア王家の者は、エルシア帝国に占領された際に全員処刑されたと聞いている。まさか、生き残りがいたなんて。
海賊にまで身を堕とした彼女の半生がどれほど過酷なものだったかは、その全身の傷跡が物語っていた。
「……分かりました。じゃあ、取り引きをしませんか? 僕のことは好きにしていいので、この船のことは見逃してもらえませんか」
「は? お前をぶっ殺してからこの船の積荷も頂くに決まってるだろ」
「それは無理ですよ。……僕は、今すぐにでも君達全員をまとめて殺せる」
「……ふざけんなよ、こいつの命がどうなってもいいのか!?」
ファラルダは、人質にしている船員のこめかみに銃口を押し当てた。船員の顔は恐怖で真っ青になっている。
――どうしよう。人質だけでも何とかしないと手出しができない。
今まで黙って見守っていたガーネットが、不意に口を開いた。
「オルダキア人は誇り高い民族だって聞いているよ。それが人質なんて取って恥ずかしくないの?」
「……何だと?」
ファラルダがガーネットを睨みつける。
ガーネットは、意外なことを言い出した。
「決闘しようよ、私と。一対一で」
「ガーネット……!?」
――突然何を言い出すんだ!?
「このままじゃ埒が明かないよ。……なるべく犠牲は最小限に抑えたい。そうでしょ?」
「そうだけど……」
「決闘だと……!? お前が、私と? 舐めてるのか……?」
ガーネットは、外見は華奢で可憐な美少女である。体格だけなら、どう見てもファラルダの方が強そうに見える。
「……言っておくけど、私は強いよ。あなたなんかに絶対負けない」
「てめぇ……、言ってくれるな……」
ファラルダは、ガーネットの挑発に乗った。
「私が勝ったら、そこの白い羽根の悪魔をぶっ殺して、この船の積荷ももらっていくからな。……お前が勝ったら、私の命をくれてやるよ」
「別にあなたの命なんていらないよ。代わりに、海賊行為なんてもうやめるって約束して」
一瞬だけ冷静になって、ファラルダは少し考え込んだ。
「……ああ、いいだろう。そこの悪魔を殺せるなら、それくらいの条件は飲んでやる」




