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嘆きの手

 深い森の中に分け入って、翠は一人で黙々と薬草を採取していた。

 クロは翠の後を大人しくついて来る。

 薬草採取は冒険者の仕事の中では初歩中の初歩だが、害獣の生息する森の中に入らないといけないため、それなりの危険はある。


 だが、オルトロスのクロが一緒にいると、野生の獣や低位の害獣は怖がって近寄って来ない。クロは普段は中型犬くらいの普通の黒い犬の姿に化けているが、野生の勘でその力量が分かるのだろう。

 そのため、安心して薬草採取に集中することが出来た。


 ――た、楽しい……


 地味なのでやりたがらない冒険者も多い薬草採取という任務だが、翠には性に合っていた。

 緑の中にいると心が落ち着く。希少な薬草を探すのも楽しくて、つい森の奥深くまで入り込んで延々と薬草を集めていた。



 そんな時、急にクロが唸り声をあげて警戒態勢を取った。

「クロ……?」

 翠には分からなかったが、どうやら木陰に何かが潜んでいるようだ。


 ガサリと音がして、木陰に潜んでいた者は自分から姿を現した。二十代後半くらいの青年だ。皮鎧を装備した身なりからして、冒険者のようだった。

「お前、人間……か?」

 青年は、翠の姿を見て言った。


「あっ、はい……。人間です」

「何だ……、そんな見た目だからてっきり魔物かと思ったぜ」

 人気のない森の中なので、翠は羽根を隠していなかった。


「これはその、以前アンゲルスに襲われてですね……」

「いや、分かるよ。悪かった。……というか、こんな所で一人で何をしてるんだ? この辺が禁足地に指定されてることを知らないのか?」


 ――禁足地。

 危険な害獣が生息するため、許可を得た一定ランク以上の冒険者を除いて、立ち入りが禁止されている区域のことだ。


「あっ、そうだったんですね。薬草採取をしていて、つい……」

 ――どうやら、思っていた以上に森の奥深くまで入り込んでいたらしい。


 翠の羽根を見て、ふと思い出したように青年は言った。

「……もしかして、あんた『賢者』か? ドラゴンを一人で倒したっていう」

「えっ、ええと……。はい……、何かそう呼ばれてるみたいです……」


「よかったら力を貸してくれないか? 実は一緒に来た仲間が害獣にやられてしまって、ギルドまで救援要請に戻る途中だったんだ」

「え……、どんな害獣なんですか?」

「『嘆きの手』って呼ばれている、何かこう……地面とか木からたくさん手が生えてるような、気味悪い害獣だ。……なあ、頼むよ。今戻ればまだ命は助けられるかもしれない」

「わ、分かりました……」


 想像するだけで気持ち悪い害獣だが、人命がかかっているとなれば断れない。

 ――まあ、こちらにはオルトロスもいるし、大丈夫だろう。……多分。


「ありがとう、助かるよ……!! 俺はアランだ。よろしく頼む」

「翠です、よろしくお願いします。……こっちはクロ」

「よろしくな、クロ」

 しかし、クロはアランに牙を見せて唸った。

「……すみません、あんまり他人になつかないので」

「そ、そうか……」




 翠は、アランと共に森の更に奥深くへと進んでいった。

 道らしい道もないため歩きにくく、苔や地面に積もった枯葉で足元が滑る。幹の太い木々がうっそうと茂り、太陽光すら遮られて昼なのに薄暗く感じた。


「……大丈夫か?」

 アランが、遅れて後ろをついて来る翠を振り返る。

「す、すみません……」

 山歩きにも多少は慣れたつもりでいたが、やはりベテランの冒険者の健脚にはまるで敵わない。翠はついて行くのがやっとだった。

 クロは翠の後ろを歩きながら、ずっと周囲を警戒していた。


 しばらく歩いた時、不意に奇妙なものが目に飛び込んできた。

 木々の枝葉の間から、白い腕が一本、無造作に垂れ下がっている。


「ひっ……」

 その薄気味悪さに、翠は思わず情けない声を漏らした。

「……あれが『嘆きの手』だ。一本程度なら無害だから気にするな」


 更に歩を進めると、腕の本数は少しずつ増えていった。

 地面から無造作に生えた手。木々の上から垂れ下がる手。生気のないその腕はぴくりとも動かず、まるで本物の死体の腕だけが並んでいるようだった。


 ――こ、怖すぎる……!!


 まるでホラー映画のような光景に、翠はアランについて来たことを後悔し始めていた。更に、足元の地面が妙にネバついているような気がする。


「あ、あの……。それで、仲間が襲われたのはどの辺ですか?」

「もう少し先だ……」


 その先には、更に異様な光景が広がっていた。

 一本の大木に、大量の『嘆きの手』が群がっている。枝葉の間から何本もの白い腕が果実のように垂れ下がり、木の幹にも、たくさんの腕が絡みついていた。

 そしてその中に、人間の体が取り込まれているのが見えた。鎧を着た冒険者らしき姿の男女だ。


「ナタリア!! ゲイリー!!」

 アランが、名前を呼びながら彼らに駆け寄った。近くで見ると、彼らの体はうっすらと白い粘菌状のものに覆われている。

 それに構わず、アランは女性の体を『嘆きの手』から強引に引き剥がした。粘菌が白い糸を引く。

 見たところ大きな外傷はないように見えたが、彼女はぐったりして意識を失っていた。


「ナタリア!! 大丈夫か!? 返事をしてくれ……!!」

 アランが呼びかけると、ナタリアはうっすらと目を開いた。

「うっ……」

「ナタリア、よかった、無事だったか……!!」


 だが、ナタリアの様子はどこかおかしかった。

「あ、ああ、あなたは逃げてって……い、言った、のに……。も、も、もう、手遅れ……」


 彼女は、口からドロリと白い粘性の液体を吐き出した。同時に、彼女の口から生えてきたのは、白い腕だった。

「う……、うわああぁぁぁ……!!」

 アランが叫んだ。ナタリアの体を突き破るようにして白い腕が何本も生え、アランに襲い掛かる。


 それが合図だったかのように、それまで動かなかった『嘆きの手』が、一斉にザワザワと蠢き始めた。

 あまりのおぞましさに、翠は全身に鳥肌が立った。


 ――まずい。これは手に負えないやつだ……!!


「……クロ!!」

 翠の意図を汲んで、クロは瞬時にオルトロスの姿に戻る。そして、牙を立てないようにアランの胴体を咥え、強引に『嘆きの手』から引き離した。


 翠はクロの背中によじ登って言った。

「クロ、全力離脱!!」


 何本もの白い腕が、こちらに向かって迫って来る。地面から生えた腕が追いすがって来るのを強引に引きちぎり、オルトロスは全力疾走した。

「ま、待ってくれ、まだゲイリーが……!!」

 クロに咥えられながら、アランが叫ぶ。

「……あの人はもう駄目です。というか、このままじゃ僕たちまで取り込まれます……!!」


 可哀想だが、ナタリアの様子から見るに、ゲイリーという人ももう手遅れだろう。

 ――あの害獣は危険すぎる。

 あれだけ数が多いとまとめて焼き払うくらいしか対処方法が思い浮かばない。だが、こんな森の中で大規模な炎の魔法を使えば、周囲の木々に延焼して自分たちの命も危険になりかねない。


 『嘆きの手』の群生地から全力で離脱し、安全圏まで走ったところで、クロは咥えていたアランの体を離した。翠が背から降りると、クロは中型犬の姿に戻る。


「ナタリア……、ゲイリー……」

 目の前で仲間の無残な死に方を見てしまったアランは、がっくりと膝をつく。翠は、何と言葉をかけていいか分からなかった。

「……アランさん、一旦町に戻りましょう。このことをギルドに報告しないと」


 『嘆きの手』という害獣について、翠は一つだけ引っかかることがあった。

 ――あの白い粘菌状のものは一体何だろう? 地面が妙にネバついていたのも、あの粘菌が地面まで広がっていたせいだろうか。……それが意味することは、一体何だ……?


 よほどショックを受けたのか、アランの足取りはフラフラしていた。顔色も真っ青だ。

「アランさん、頑張ってください。もうちょっとで森を抜けますよ」

「あ……、ああ……」


 独り言のようにブツブツと、アランは語り出した。

「な……、ナタリアと俺は、実は恋人同士だったんだ……、ゲイリーの奴も多分、ナタリアのこと狙ってたんだけど……、はは……、こんなことになっちまうなんてな……はは……」


「アランさん……?」


 ――様子がおかしい。

 アランの目から、何かがこぼれ落ちる。それは、涙ではなく白い粘性の液体だった。

 彼の目と口から、ドロドロと白い粘液がこぼれ出てくる。眼球がポロリと落ち、その穴から生えてきたのは、白い腕だった。



 *****



 ――『嘆きの手(ラメント・ハンズ)

 外見は肘から下の人間の腕に酷似しており、手には五本の指を備え、爪のような構造まで観察できる。

 地面や木から生えており、一本から多いときは数百本が観察される。


 しかし、その実体はアメーバ様の「変形菌」であると考えられる。

 変形菌は地面や木々に根を張り、人間の腕のような形をした子実体を形成する。つまり、数百本の群れのように見える『嘆きの手』は全て繋がっており、一つの個体である。


 子実体を使って人間などの生物を捕獲し、その体を苗床にして成長する。

 変形菌に寄生された生物は、しばらくは意識を保ち、自由に行動することが可能であるため、菌を外部にばら撒く危険性がある。

 このため、『嘆きの手』の危険度の格上げを提言する。


 また、『嘆きの手』によって汚染された森林区域の焼却処理を提案する――



「……と。ギルドに提出するレポートのフォーマットってこれでいいのかな」

 翠はペンを置いた。


 あの後、アランに寄生した『嘆きの手』は、彼の体ごとその場で完全に焼却した。

 ――本当に危ないところだった。あのまま気づかずにアランを町に連れ帰っていたら、菌を町に持ち込んでいたかもしれない。それを考えるとぞっとする。


 念のため、翠は町には寄らずにクロに乗って猛ダッシュでアーカーシャの館まで戻り、粘菌に寄生されていないことを確認してもらった。

 アランを咥えていたクロは特に念入りに除菌してもらい、今は翠の足元で丸くなっている。


 ――悪夢に見そうな恐怖体験だった。

 恐らく、翠に出会った時点で、アランは既に粘菌に寄生されていたのだと思う。だからクロはアランに対して警戒心を剝き出しにしていたのだ。


 ふと、翠は足元にいるクロが口をモグモグさせていることに気づいた。

「クロ……? 何か食べてるの?」


 クロの口からはみ出しているのは、白い指だった。

 ――ひぇ。

 危うく悲鳴を上げそうになった。


「……すみません師匠!! もう一回除菌お願いします!!」



 *****



 ガーネットに頼んでリューイの背に乗せてもらい、翠は『嘆きの手』が生息していた森の上空まで来ていた。

「……この辺りでいい?」

「うん、ありがとう」


 地図とコンパスで位置は確認したので、この場所で間違いない。ギルドから焼却処分の許可が下りたので、翠はその実行に来ていた。

 『嘆きの手』が密生していた大木が生えていた辺りを中心に範囲指定をして、翠は爆轟魔法を放つ。


「……detonation……!!」


 大きな爆炎が巻き起こり、一瞬遅れて激しい爆音が響く。地面が抉れ、範囲内の木々が消し飛んだ。

 ――これで『嘆きの手』が一網打尽にできていればいいけど。


「アランさん、安らかに眠ってください……」

 ――助けてあげられなくてすみません。

 犠牲になったアラン達のパーティーに手を合わせ、翠は『嘆きの手』の一件に幕を引いた。

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