ジレーズ砦の虐殺
「……スイの反応はルーセット国内にはない」
展開していた魔法陣を収束し、アーカーシャはそう言った。
「そんな……」
翠がオニキスに連れさらわれたあの後、単独での捜索は難しいと判断したガーネットは、一旦アーカーシャの館へと戻った。
そして、アーカーシャに事の全てを報告し、助力を仰いだ。
アーカーシャは空気中のエーテルに干渉し、ルーセット国内全域を探査して翠の固有の波動を探した。
――が、それを見つけることはできなかった。
アーカーシャが影響を及ぼせるのは、彼女のテリトリーの範囲内に限られる。魔女同士の古き盟約により、他の魔女の領域に干渉することはできない。
アーカーシャのテリトリー、つまりルーセット共和国の中に、翠はいないということだ。
「国外に連れ出されたとなると、可能性として一番高いのはエルシア帝国か。……テジャスの領域だな」
「テジャスというのはどんな魔女なの?」
ガーネットも、他の古き魔女についての情報はほとんど知らなかった。
「私ももう何百年も会っていないから、現在の彼女がどうなっているのか詳しくは分からない。まあ、魔女の中ではまだ話の通じる方ではあったかな……」
古き魔女テジャスについては、もう百年以上音沙汰がない。どうやら、エルシアに住んでいる人間達ですら彼女がどこで何をしているのか知らないようだった。
――おおかた、どこかでずっと眠っているのだろう。
「それより、問題はオニキスだ」
アーカーシャの作った自動人形。
オニキスはガーネットと違って、性格変数の自由度が高い。どのような人格形成がされるのか、その成長を観察する意図があったからだ。
――その結果、ものの見事に親への反抗心を覚え、離反してアーカーシャの元から姿を消してしまった。
放っておけばいずれ戻ってくるかもしれないと思って放置していたのが裏目に出た。
「うん、スイが何をされるか心配だから、早く助けに行かないと……」
「……ああ、そうだな」
――ガーネットは純粋にスイ個人の身を案じているようだが、問題はそれだけではない。
オニキスが彼の力を悪用するようなことがあれば、最悪の場合国が滅ぶような事態もあり得る。
『魔法』という力の危険性を、アーカーシャはよく知っていた。
「エルシア帝国には私は手を出せない。……それでも行くか? エルシアに」
「うん、行く……!!」
アーカーシャの言葉に、ガーネットは頷いた。
「……オニキスのことは、どうすればいい?」
「捕獲して連れ帰ることが出来れば一番いいが、それが難しいなら、破壊しても構わない」
「うん……、分かった」
――オニキス。
大人しくしていれば見逃そうと思っていたが、もうこれ以上、彼女を放置するわけにはいかないようだ。
*****
「……オニキス殿、尋問中の罪人を勝手に牢から出しては困りますな」
地下牢から翠を連れ出したオニキスに対して、アルフレッドが言った。
翠は、オニキスの背後に表情のない顔でぼんやりと立っている。
「あら、尋問ではなく拷問の間違いではなくて……?」
しれっと言い放つオニキスに、アルフレッドは悪意のこもった視線を向ける。
「心配しなくても、スイはもう余計なことは喋りませんわ。……あなたにとって不都合なことは何も、ね。アルフレッド閣下」
「な、……何のことですかな」
「どうせ、失敗した暗殺者はもう処分しているのでしょう? スケープゴートにするなら別の誰かにして下さいませ」
アルフレッドは戦慄した。――この女、どうして知っている……?
「……私、あなたのやったことを責めるつもりなんてありませんのよ? 何なら、協力して差し上げてもよろしくてよ」
オニキスは、黒い唇を歪めて笑う。その深淵のような漆黒の瞳が、アルフレッドを捉えた。
「……協力、だと」
「ええ、……皇帝の座は、あなたのような人にこそふさわしいと思いますの」
――だって、あなたの方が操りやすそうですもの。
心の中で、オニキスはそう付け加えて嗤う。実際のところ、彼らの権力争いには毛ほども興味はない。皇帝など別に誰でも構わない。
だが、そんなことに翠を巻き込まれては困る。
――この子の本当の価値が分からない愚か者。すぐに、それを分からせてあげますわ。
「は、はは……、オニキス殿は、見る目がありますな……」
「そのためにも、スイを殺してはいけませんわ。この子の力は役に立ちますの。すぐにそれを見せて差し上げますわ……」
オニキスは、翠の手を取って言う。
「さあ、行きましょう。スイ」
「……うん」
虚ろな瞳で、翠は頷いた。
*****
地竜に乗った竜騎兵たちが戦場を駆けて行く。
土色の硬い鱗で覆われた地竜の体長は2~3メートル。翼を持たない代わりに、発達した後ろ足で地上を高速で走ることが出来る。
軍旗を掲げた部隊長が、兵士たちを鼓舞するように叫ぶ。
「進め……!! 我らが祖国を取り戻すために……!!」
オルダキアは、地竜を飼い慣らして生活する騎竜民族の国家だった。その機動力の高さから、オルダキアの竜騎兵団はかつては大陸一の強さを誇っていた時代もある。
エルシアの軍事力に敗れ、支配下に置かれた現在においても、分離独立を目指して度々反乱を起こしていた。
ジレーズ砦は、オルダキア反乱軍に対するエルシアの防衛拠点である。砦の前面に銃兵隊が展開し、進撃してくる竜騎兵団を押し返していた。
地竜は外皮が硬いため、銃弾の一、二発では致命傷を与えられない。銃弾を恐れずに特攻してくる竜騎兵にエルシア軍は手を焼き、砦は疲弊していた。
――今日こそはこの砦を落とす。
竜騎兵団の主力部隊が銃兵隊を引き付けている間に、機動力を生かした別動隊が砦の側面から奇襲をかける算段だった。
高々と軍旗を掲げ、部隊長は騎竜兵隊を率いて砦へ向かって突進する。――囮となって死んだとしても本望だ。
だがその時、砦に展開していたエルシア軍が突如として兵を引いた。
思わぬエルシア軍の動きに部隊長は困惑した。――何だ? まさか別動隊の動きに気づいたか……?
エルシア兵が引き上げて行くのと同時に、砦の塀の上に姿を現す者があった。
――少年だ。背中と右目に翼の生えた、異形の姿をしている。
弓の射程にはまだ少し遠い。――何者かは知らないが、まあ一人では何もできまい。
エルシア軍の妙な動きに動揺する兵士たちを叱咤して、部隊長はそのまま進撃しようとした。
不意に、少年を中心として風が巻き起こった。少年は、何かを呟いているように見えた。
竜騎兵団を囲むように、魔法陣が浮かび上がる。
「……detonation……」
戦場に展開していた竜騎兵団のほぼ中心部で、突如として大爆発が巻き起こった。
一体何が起こったのか、理解できたものはその場に一人もいなかった。
爆発は地面を抉り、竜騎兵の多くが成すすべもなく巻き込まれた。爆炎と熱風が瞬く間に周囲に広がり、鼓膜をつんざくような爆音が響き渡る。
地竜もろとも吹き飛ばされ、バラバラになった竜騎兵の遺体が戦場に散らばった。一命を取りとめた者も、重傷を負って倒れている。
想像もしていなかった攻撃に、生き残った部隊にもパニックが広がっていく。
その隙を見逃さず、エルシアの銃兵隊が追い打ちをかけた。戦線は、あっという間に崩壊した。
「相変わらず、素晴らしい威力ですわね……」
翠の背後で、オニキスは一部始終を見ていた。以前、ジャイアント・クローの群れを一撃で吹き飛ばした翠の爆轟魔法だ。その破壊力は折り紙付きである。
オニキスは翠の体を後ろから優しく抱きしめ、その耳元で囁く。
「……いい子ね、スイ。よくできました」
翠の体が小さく震えていることに、オニキスは気づいた。
「スイ……?」
何度か不自然な呼吸を繰り返した後、翠は嘔吐してその場に倒れた。崩れ落ちるその体を、オニキスは抱き止める。
「あら……、もしかして洗脳に抗おうとしておりますの? もう少し調教が必要かしら……」
「……その少年は一体何者なんだ」
エルシア帝国軍のジレーズ砦の司令官が、オニキスに尋ねた。彼女の腕の中でぐったりしている翠を、恐怖のこもった目で見ている。
「あなたがこの子の正体を知る必要はありませんわ。……でも、よく分かったでしょう? この子の、兵器としての有用性が」
唇を歪めて、オニキスは笑った。