皇女暗殺計画
翠がオニキスに拉致されてエルシア帝国に連れて来られてから、数日が経った。
「スイ!! ご本を読んでくれ!!」
マリアンジュはそう言って、無邪気に翠の膝の上に座る。
翠はマリアンジュ皇女の部屋に軟禁されて、本を読んであげたりままごとの相手をさせられたりして過ごしていた。
――どうして僕はこんな子守りみたいな真似をしているんだろう……
ガーネットであっても、帝国領内まで翠を助けに来るのは難しいだろう。翠が自力で逃げるにしても、魔法を封じられていてはその手段がない。
――であれば、無理に逃げようとするよりも、なるべくオニキスの近くにいてその動向を探った方がいい。
そう判断して、翠は大人しくマリアンジュ皇女のペットという立場に甘んじていた。……おかげで、マリアンジュにはすっかり懐かれてしまった。
「スイ、お前は魔法が使えるというのは本当か?」
「……ええ、まあ……。今は首輪のせいで使えませんけど……」
「私も魔法を使ってみたい!! 呪文を覚えれば使えるようになるのか!?」
「えっと……、それはちょっと……難しいですね……」
「なんでじゃ!? 私も魔法を使ってみたい!!」
「うーん……」
――空気中のエーテル濃度が低い現代の環境で魔法を使うのは難しい。そんな話を、子供相手にどうやって説明したものか。
翠が困っていると、マリアンジュの侍女の一人が部屋に入ってきた。
「マリアンジュ様、お勉強のお時間でございます」
「え~……、勉強は嫌じゃ……」
「いけません。もう先生も待っておられますよ」
「むぅ……」
ふくれっ面をしながらも、マリアンジュは大人しく侍女について行く。
「スイ、私が戻ってくるまで大人しくしてるんじゃぞ?」
「……はい」
――皇女というのも大変なんだな。
マリアンジュ王女は勉強だけでなく、毎日様々な習い事もさせられているようだった。まだまだ遊びたい盛りの年齢だろうに、翠は少しだけ同情した。
外側から見た時は無骨な要塞という印象のフラムフェル城だったが、城内には美しい庭園もあった。
大きな噴水があり、季節ごとに様々な花が咲くらしい。
時折、翠はマリアンジュによってお散歩に連れ出された。
城内の人々に珍獣を見るような目でジロジロ見られるのは辛かったが、おかげでフラムフェル城の内部の様子を少しだけ知ることができた。
まず、エルシア帝国とルーセット共和国の軍事力の違い。これは、一目瞭然だった。
ルーセットでは武器と言えば基本的には剣や弓だったが、エルシア帝国の兵士は銃を装備している。翠は銃についてはあまり詳しくなかったが、見た目はマスケット銃に似ていた。
このフラムフェル城も軍事要塞として機能しているからなのか、城内の様々な場所で不自然なエーテルの流れが生じているのが翠には視えた。
――そして、城内の人々の会話などから、皇位継承に関わるドロドロした内情も垣間見えてきた。
ある日の散歩中に出会ったのは、顎髭をたくわえた中年の男だった。
「おやおや、お散歩ですかな。マリアンジュ皇女」
「叔父上!! うむ、庭にエルンの花が咲いたと聞いたのでな」
男の名はアルフレッド=ヴィトリー。アレクサンドル皇帝の弟だ。
以前までは、彼が皇位継承権第一位だったらしい。だが、マリアンジュが生まれ、現皇帝アレクサンドルが皇位を彼女に継がせると公言してしまった。
そのため、現在では彼は皇位継承権二位の座に甘んじている。年齢的に考えて、彼が皇位を継ぐ機会は巡ってこないだろう。――マリアンジュが生きているうちは。
「……ずいぶん妙な奴隷を連れ歩いておりますな」
アルフレッドは、翠のことをまるで気持ち悪いものでも見るような目で見ながらそう言った。
「スイは私のペットなんじゃ」
マリアンジュはあくまで無邪気に、叔父に珍しいペットを自慢する。
アルフレッドは苦笑いを返した。――表面上は優しい叔父として接しているが、彼のマリアンジュに対する感情は伺い知れなかった。
*****
その晩も、翠はマリアンジュのお人形遊びに夜遅くまで付き合わされていた。
「……もうそろそろ寝た方がいいんじゃないですか? 明日も早いんでしょう?」
翠がそう言うと、マリアンジュは頬を膨らませる。
「やだやだ!!まだ遊びたいんじゃ!!」
「そ、そう言わずに……。じゃあ、寝る前にご本を読んであげますから」
「ほんとか!? じゃあ寝てやってもいいのじゃ」
――よ、ようやく寝られる……
翠はホッと胸をなでおろす。
ベッドの上でマリアンジュのお気に入りの本を読んであげていると、彼女はすぐにスヤスヤと寝息を立て始めた。その寝顔は無垢で可愛らしい。
――この子が将来エルシア帝国の女帝になるなんて信じられないな……
深夜。翠はふと目を覚ました。
マリアンジュを寝かしつけた後、そのまま翠も一緒に眠ってしまっていたようだ。灯りは全て覆い隠しているので、部屋の中は真っ暗だ。
――王女と同衾しているところを見られたら侍女たちに怒られそうな気がする。
マリアンジュを起こさないように、翠はそっとベッドから抜け出そうとした。
その時、翠はあることに気づいた。ゾワリと、背筋に悪寒が走る。
――部屋の中に誰かいる。
わずかなエーテルの流れが、ぼんやりとした青い光として翠の右目には視えていた。――誰かが魔道具を使用している。
――誰が、一体何をしようとしているんだ……?
突然の事態に気が動転し、心臓が早鐘のように打った。
だが、驚いたのは侵入者の方も同じだった。
――何だあいつは。まさかこちらに気づいた……?
最近、皇女がお気に入りの奴隷を常に側に置いているという話は聞いていた。
――まあいい。多少夜目が効こうが、所詮はただの奴隷だ。戦闘力があるようには見えないし、騒がれる前に始末してしまおう。
そう判断した侵入者は、その奴隷に向かって一気に距離を詰めた。
――来た!!
首輪のせいで、空気中のエーテルを収集するいつもの方法で魔法は使えない。――それなら、相手が使用している魔道具のエーテル結晶を利用すればいい。
「……fogo……!!」
小さな破裂音が響き、侵入者の動きが止まった。
その隙に、翠は枕元のランプの覆いを取り外す。発光生物の灯りが、周辺を照らした。
黒い覆面姿の男がそこに立っていた。
彼が使っていた魔道具は恐らく、暗視スコープのようなものだったのだろう。それが急に爆発したので額の皮膚がざっくりと裂け、血を流している。――が、威力が小さかったせいで負傷はその程度だ。
「ぐっ……」
傷を押さえて、男は呻いた。――何だ今のは。この小僧がやったのか……?
「……何じゃ? 騒がしい……」
今の音で、マリアンジュが目を覚ました。翠は咄嗟に、彼女の体を抱き上げる。
――ここから逃げないと。
今の翠に、侵入者と戦う力はない。このままでは二人とも殺される。
男が怯んでいるうちに、翠はマリアンジュの体を抱いて窓際まで移動する。
「い、一体何じゃ!? あの男は何者じゃ……!?」
この部屋は、城の五階にある。
追い詰めたとばかりに、覆面の男は二人に向かってきた。手には大きなナイフを持っている。
「……マリアンジュ様、僕にしっかり捕まっていて下さい」
「え……?」
翠は、部屋の窓を開けた。
そして、マリアンジュの体をしっかり抱いて、空中に身を躍らせた。
「キャアアアアァァァ……!!」
マリアンジュ皇女の悲鳴が響く。
「……aer……!!」
――浮遊なんてできなくても、ただ落下方向と逆向きの空気の流れを作ればそれでいい。
翠は落下方向に圧縮空気を放つことで、何とか落下の速度を相殺する。
マリアンジュ皇女の部屋には、機械仕掛けで動く人形がいくつかあった。その動力源である小さなエーテル結晶を、翠はこっそり拝借して隠し持っていた。
――本当は逃げる機会があった時に使おうと思っていたんだけど……
さすがにあの男も、飛び降りてまで追いかけて来ることはないだろう。
ぎゅっと自分の体にしがみついているマリアンジュに、翠は声をかけた。
「……もう大丈夫ですよ。怪我はないですか?」
「う、うむ……」
その時、マリアンジュ皇女の悲鳴を聞きつけてか、衛兵たちが駆け付けてきた。
そこには何故か、皇弟アルフレッドの姿もあった。
――よかった、これで助かった……
と、翠が思ったのも束の間、アルフレッドはとんでもないことを言い放った。
「マリアンジュ皇女を離せ!! この誘拐犯が……!!」
「えっ……?」
衛兵たちによって翠はマリアンジュと引き離され、あっという間にその場に組み敷かれた。
「怖い思いをしましたな、マリアンジュ皇女。もう安心ですぞ」
「ち、違う!! スイは私を助けようとしてくれたんじゃ……!!」
マリアンジュが弁明しようとしてくれたが、アルフレッドや衛兵たちは一切聞こうとしなかった。
「……お前達、皇女を城内へお連れしろ」
衛兵に抱き上げられ、マリアンジュは城内へ連れられて行った。
「お前達、私の話を聞かんか……!! スイ……!!」
「……全く、こんな怪しい輩を皇女の側に置いておくなんて、私は最初から反対だったんだぞ」
蔑むような目で翠を見下ろして、アルフレッドは吐き捨てるようにそう言った。
「あ、あの、僕は本当に何も……!!」
「黙れ化物!!」
喋ろうとした翠の顔を、アルフレッドは蹴りつけた。
翠は察した。
――マリアンジュに刺客を差し向けたのはこの男だ。
それが失敗したから、自分に疑惑がかからないように、翠に罪をなすりつけて事件をうやむやにしようとしているのだ。
「この化物は牢に繋いでおけ。……後でじっくりと尋問してやる」