ジャイアント・クローの襲撃
ダルベルト家に雇われてからしばらくの間、翠はアーガス達に同行して害獣退治をしたり、屋敷の周囲の見回りを行ったりして過ごした。
ガーネットとは時折連絡を取り合っていたが、残念ながら情報は得られていないようだった。
そんなある日、この家の主人であるダリル=ダルベルトが翠にこんなことを言った。
「賢者様、もしよければ今度私のサロンに顔を出してくれませんかな?」
「え……?」
「いやぁ、せっかくの賢者様のお力をですね、誰にも見せないのはもったいないと思いましてね……」
――ああ、なるほど。
翠の力を社交界の仲間に見せびらかしたいということか。
翠はもともと人前に出るのが得意なタイプではない。見世物になるなんて御免こうむりたいところだが、これはオニキスの情報を探るチャンスかもしれない。
そもそも、潜入先としてダルベルト家を選んだのも、ダリルが社交界で顔が広い人物だからだ。
「わ……、分かりました……」
――ここはなけなしのコミュ力を振り絞って頑張るしかない。
*****
絵画や高価な調度品が飾られた豪奢な部屋。着飾った旧貴族達の面々。
いつもはコートを着て翼を隠している翠だが、今日はダリルの意向で翼を晒している。部屋に入った瞬間に、翠の背中の羽根に一斉に好奇の視線が向けられた。
――か、帰りたい……!!
大勢の知らない人間に注視されるのは、想像以上に苦痛だった。
「皆さま、ご紹介しますぞ!! ここにおられるのはかの偉大なる古き魔女アーカーシャの弟子にして、列車を襲撃したドラゴンを一人で撃退した白き翼の賢者その人です……!!」
芝居がかった大げさな口調で、ダリルは翠のことをサロンの面々に紹介する。
――賢者とか呼ぶのは本当にやめてほしい……
まだ修行中の身なのに、そんな風に呼ばれるのは恥ずかしかった。
「あの……、よ、よろしくお願いします……」
自分では頑張って声を張ったつもりだったが、緊張して全然声が出なかった。
そんな翠の様子にはお構いなしに、貴族達は口々に質問を投げかける。
「まあ……、あの新聞記事は作り話じゃなかったんですの……?」
「その羽根は本物なのかね?」
「魔法が使えるというのは本当なのか!?」
「まあまあ皆さま、質問は後ほどごゆっくり……。どうですか賢者様、せっかくなので皆さまに魔法を見せて差し上げては」
ダリルが貴族達をなだめつつ、翠にそう促す。
「あっ、はい……」
――うーん、どうしよう……。まあ、見た目が綺麗で派手ならそれでいいか……
「……ex……convert……fogo……」
空気中のエーテルを集めて燃焼させ、炎に鮮やかな色を付ける。
黄色やオレンジ、赤、青、紫……と、次々に異なる色の炎を出してみせた。
どうやら貴族達には満足してもらえたようで、拍手喝采を頂いた。
――まあ、ただの炎色反応なんだけど……
「素晴らしいですわ……!! 一体どうやって魔法を使っておりますの……!?」
「今のは本当に魔法か!? トリックじゃないのか……!?」
「えっ、ええと……」
一度に色々と質問されると困ってしまう。
翠がしどろもどろになっていると、貴族達の後ろからよく通る声が響いた。
「あらあら……、皆さま、そんなに質問攻めにして。賢者様が困っておりましてよ?」
一体いつから紛れ込んでいたのか、そこにはゴスロリ姿の黒髪縦ロールの少女が立っていた。
「オニキス……!?」
黒い唇を歪めて、オニキスは微笑む。
「またお会いできましたわね、スイ」
「おや、オニキス様は賢者様とお知り合いでしたか」
「ええ。……ダリル様、私、賢者様とお話ししたいことがありますの。少しお借りしてもよろしくて?」
「はは、賢者様も案外隅に置けませんな。どうぞごゆっくり」
オニキスは翠の手を引いて、バルコニーへと出た。
「……あなた、ずいぶん独特な魔法を使うのね。ますます興味が湧いたわ。その知識がどこから来たのか」
「それは……」
――それは教えられない。翠の魔法理論の土台が異世界の知識であることは。
「ねえ、スイ。私と一緒に来ませんこと?」
「……え?」
オニキスの突然の発言に、翠は困惑する。
「お母様のところにいたってつまらないでしょう? あの人は積極的に教えてくれるタイプではないですし」
確かに、アーカーシャは一から十まで丁寧に教えてくれるタイプではない。どちらかというと、自分で考えさせるタイプだ。
だが、翠の性格的にはそちらの方が性に合っていた。
「僕は別に、つまらないと思ったことはないよ」
「あら、そう。あなたもガーネットお姉さまと同じ、従順なお人形さんですのね」
「そ、そんなつもりは……。君の方こそ、どうしてアーカーシャから離反したの……?」
「私、お母様の言いなりになるのは嫌ですの」
「え……?」
オニキスは急に反抗期の少女のようなことを言い出した。
「ま、まさかそんな理由で……?」
「そんな理由とは何ですの? あなたに私の気持ちは分かりませんわ。……魔女に造られた被造物の気持ちなんて」
「それは……、そうだけど……」
――まずい。無神経なことを言ってしまった気がする。
「……とにかく、私と一緒に来る気はありませんのね」
「うん……」
翠は答えた。
「僕は、君と一緒には行かない」
「その言葉、後悔させますわよ……」
オニキスは、翠の瞳を見据えながら無表情にそう言った。
その瞳は、深淵のような漆黒だった。
*****
それから数日後のことだった。
見回りに出ていた傭兵の一人が、血相を変えて詰所に駆け込んできた。
「だ、団長、大変だ……!! ジャイアント・クローの群れがこっちに向かってきてる……!!」
アーガスが慌てて外に出ると、空の向こうから巨大な鳥のような生物が群れをなしてダルベルト家の方へ向かって来ているのが見えた。
ジャイアント・クローは翼を広げた大きさが4~5メートル。体は羽毛で覆われているが、くちばしには鋭い牙があり、翼には大きな鉤爪があることから翼竜の一種である。
空から獲物を襲う危険な害獣だが、普段は単体で行動することが多く、こんな群れを為すことなど滅多にない。
最悪なことに、ジャイアント・クローの群れは明らかにダルベルト家を目掛けて向かってきていた。その理由は、アーガス達には全く分からなかったが。
「ひ……ひええぇぇぇ……」
ジャイアント・クローの群れが向かってくるその様子は、屋敷内にいたダリルにもしっかり見えていた。
「賢者様!! な、何とかして下さい……!!」
すがりつくような勢いで、ダリルは翠に懇願する。
「わ、分かりました……。何とかしてみるのでダリル様は屋敷の奥に避難していて下さい……」
――害獣の不自然な挙動……、オニキスの仕業か……?
以前にフォレストドラゴンをけしかけてきたことから、恐らくオニキスは精神干渉で害獣を操れるのだろう。
そうこうしているうちに、ダルベルト家の屋敷はジャイアント・クローの群れに取り囲まれてしまった。
ガラスを割ったジャイアント・クローが屋敷の中に入り込み、屋敷内も阿鼻叫喚の騒ぎになる。
一匹のジャイアント・クローが急降下してきて、傭兵の一人を足で掴んだ。獲物を上空へと持ち上げ、地面へ落とす。ぐしゃりと嫌な音を立てて動かなくなった獲物に、2~3匹のジャイアント・クローが群がって争うように肉をついばみ始める。
その凄惨な光景に傭兵達が及び腰になるのを感じて、アーガスが檄を飛ばした。
「怯むんじゃねぇお前ら!! 降下してきたところを迎え撃て!! 弓を使える奴は弓持ってこい!!」
その時だった。アーガス達の横を疾風のように走り抜ける者があった。
鮮やかな緋色の髪をツインテールにした少女である。
急降下してくるジャイアント・クローに向かって自ら跳躍し、その頭上を飛び越えたところで体を半回転させる。そして、落下する速度を利用してジャイアント・クローの首を短刀で掻き切った。
あまりにも人間離れした動きだった。
その少女の存在を、アーガスは噂で知っていた。
「アーカーシャの自動人形……。何でこんな所に……」
屋敷内にいた翠も、何とかその場に合流した。
「ガーネット……!!」
「スイ!! 無事だった!?」
どうやら彼女は、異変を察してこの場に駆け付けてくれたようだ。
「ごめんガーネット、皆さん、少しだけ時間を稼いでください……!!」
翠は言った。
――こんな数、一匹ずつ倒していたら間に合わない。まとめて何とかしないと。
「分かった!!」
翠の意図を察して、ガーネットは即座に答える。
――大型の魔法を使うためには、空気中のエーテルを大量に集める必要がある。
そのための時間が必要だった。
「お前らも姐さんに続け……!!」
アーガスが傭兵達を鼓舞するように叫んだ。ガーネットが現れたことによって、先ほどまで逃げ腰だった傭兵達はにわかに活気づく。
ガーネットは下降してくるジャイアント・クローの背に飛び乗ってその首を切り、そのまま跳躍して次の個体の首を狙う。返り血で彼女のエプロンドレスが赤く染まるが。全く気にしていないようだった。
「す……、すげー……」
空中で器用に戦うガーネットの姿に、傭兵達は思わず見惚れる。
「ぼんやり見てんじゃねぇ!! お前も弓使え!! 姐さんに当てんなよ……!!」
ガーネットと傭兵達が時間を稼いでいる間に、翠は魔法の発動のために必要なエーテルを何とか掻き集める。
「……ex……ex……」
周囲の空気中のエーテルを吸い取った分、外側から空気が流れ込んでくるため、翠を中心として風が発生する。少しでも時間を短縮するため、杖に付いているエーテル結晶も使用し、念のために持ち歩いているエーテル結晶も全て放出した。
空中に投影される術式が複雑な魔法陣を描く。
――「爆発」の魔法の基本は燃焼と圧縮。
大量の燃料を瞬間的に燃焼させると、気体の膨張による圧力変化が伝播する速度は高速となりやがて音速を超える。――これを「爆轟」と呼ぶ。
「ガーネット、離れて!! 皆さん伏せて下さい……!!」
翠が叫んだ。
「……detonation……!!」
集めたエーテルが一瞬のうちに燃焼し、衝撃波を伴う大爆発が引き起される。
耳をつんざくような爆音が響き渡った。
爆発に巻き込まれたジャイアント・クローは跡形もなく消し飛び、衝撃波を食らった個体も無残に吹き飛ばされる。……なお、ダルベルト家の屋敷も巻き込まれて少し吹き飛んだ。
地面に伏せて難を逃れた傭兵達は、その威力に声も出なかった。
――これが、賢者の力なのか。
「な、何とかなった……かな……」
集中力を使いすぎて力が抜けそうになりながら、翠は呟いた。
「……素晴らしいですわ」
オニキスが、翠の背後に立っていた。吐息を感じるほど間近に。
――いつの間に!?
翠が慌てて振り返った瞬間、オニキスはその顔を両手で押さえ、強引に口づけをした。
「…………!?」
合わさった唇の間から、ドロリとした何かが翠の口内に流れ込んでくる。
――まずい、これ、何かの薬……
そう気づいた時には、もう遅かった。
「……オニキス!?」
ガーネットが、オニキスに気づいて慌てて駆け寄ろうとする。
だがその時、タイミングを見計らったように飛んできたドラゴンにオニキスは身軽に飛び乗った。意識を失ってぐったりした翠の体を抱いて。
リューイと同じタイプの、騎乗用に飼い慣らされたドラゴンである。ただし、その体色は黒い。
「ご免あそばせ、ガーネットお姉さま。この子は私がもらっていきますわ」
「待って、オニキス!! 待ちなさい……!!」
――まさか、この襲撃は最初からスイを連れ去ることが目的だったの……!?
「スイ……!!」
勝ち誇ったように笑って、オニキスはその場から飛び去った。