骨砕き(ボーンクラッシャー)
「先日の記事はご覧になりましたか? 少年が一人でドラゴンを倒したとかいう」
「いやはや、あんな作り話を平気で載せるとは、やはり大衆紙はレベルが低いですな」
――その大衆紙をないがしろにした結果、前回の選挙で現首相に大敗したことをもう忘れたのかしら。このボンクラどもは。
貴族達のどうしようもない会話を聞きながら、オニキスは思った。……いや、彼らはすでに貴族ですらない。『旧』貴族だ。
オニキスは、とある伯爵家の娘……ということになっている。もちろん偽装だ。
彼らの精神に少しだけ干渉して、オニキスが貴族の娘であるという情報を刷り込んだ。何かしら利用価値があるかと思って旧貴族連中のサロンに出入りしていたが、とんだ無駄足だった。
――こいつらときたら、現状に対する愚痴しか言わない。
口では政権奪還を願っていながら、その具体案は一切ないようだ。
彼らの持っていた荘園は解体され、土地は農民達に分配された。今となっては、旧貴族など溜め込んだ富を食いつぶすだけの存在でしかない。
「まったく、忌々しいですわね……」
誰にも聞こえないように小さく、オニキスは呟く。
――こいつらがもう少し有能だったら、利用する価値もありましたのに。
実のところ、オニキスが扱える魔法はそれほど多くない。多少の精神干渉がせいぜいだ。……もっとも、人間社会にまぎれて暮らす分にはそれで十分なのだが。
だからこそ、スイの力に興味があった。ドラゴンを一撃で倒せるほどの、その魔法理論が。
「……何とか私のものにできないかしら……」
*****
「……傭兵になりたい? お前が?」
「あっ、はい……」
ルーセット共和国の北部、エーデルハイト地方。
旧貴族の邸宅が多いこの地域で、凶暴化した害獣による被害が最近になって急増していた。そこで、彼らは自分の財産や土地を守るため、こぞって傭兵を雇い始めた。
このダルベルト旧侯爵家でもそれは例外ではなく、金にものを言わせて傭兵の募集をかけていた。
ダルベルト家に雇われている傭兵団長のアーガスは、傭兵志望としてやって来た少年を目の前にして言葉を失った。
――弱そうだ。あまりにも。
身長は低いし体の線も細い。おまけに武器らしいものといえば、青い宝玉のついた杖くらいしか持っていない。
「……坊主、お前、剣は使ったことあるか?」
「いえ、剣は使いません……」
「おいおい、剣も使わないでどうやって戦うんだよ!?」
やり取りを見ていた傭兵仲間の一人が、小馬鹿にして笑った。
「あー、分かった分かった。一応テストはしてやるよ」
アーガスは言った。――どう見ても傭兵というタイプではない。適当にあしらって帰らせよう。
「団長、こんなやつ団長が相手する必要ないですよ。来いよ坊主、俺が可愛がってやる」
傭兵の一人が名乗りを上げる。
「……怪我させんなよ」
アーガスは、ため息交じりに了承した。
ダルベルト家の敷地内、傭兵達の詰所の前にある練兵場。
傭兵の一人が、小柄な少年と対峙した。あまりにも体格が違いすぎて、誰の目にも勝敗は明らかなように見えた。
「ほら、どこからでもかかって来いよ」
舐め切った態度で、傭兵の男は少年を挑発する。
「……わ、分かりました」
少年は、杖を男の方に向けた。
「……ex……sonus……aer……」
少年が何か呪文のような言葉をつぶやいた次の瞬間、何かが爆発するような大きな音とともに、男の体が吹っ飛んだ。
「なっ……!?」
一体何が起こったのか、アーガスも周りで見ていた傭兵仲間も誰も理解できなかった。
吹っ飛ばされた男は地面の上に派手に倒れ込んだが、すぐに起き上がった。
「な、何だぁ!? て、てめぇ、何をした……!?」
「……す、すみません。怪我してないですか……?」
少年は申し訳なさそうに、男に尋ねる。男にとっては、少年のその態度はむしろ屈辱でしかなかった。
――上手く加減できてよかった……!!
翠は、内心で胸を撫でおろしていた。わざと大きな音を出して派手に演出してみたが、実際は圧縮した空気をぶつけて吹き飛ばしただけだ。
――人間相手に魔法を使うのは苦手だ。加減を間違えば殺してしまうかもしれない。
「てめぇ、魔道具を使うのは反則だろ……!!」
激昂した男が翠に食ってかかる。
「……こ、この杖は魔道具じゃないです」
「あぁ!? じゃあ今一体何を……」
アーガスが止めに入ろうとしたその時だった。
「……全く騒がしいな。一体何をしとるんだ?」
練兵場に、一人の恰幅の良い男が現れた。
金髪をしっかりと撫でつけ、髭の形を整えたその中年の男は、この家の主であるダリル=ダルベルト旧侯爵その人だった。先ほどの爆音を聞きつけて様子を見に来たのだろう。
「ダリル様。……実は、この少年が傭兵団に入りたいと言ってまして」
「……この少年が? 戦えるのか?」
アーガスの言葉に、ダリルは不審と嘲笑を隠そうともせずに言った。
「それが、今しがた何やら妙な技を……」
フン、とダリルは鼻で笑う。
「良い良い。害獣退治の役に立つかどうかは、実際に害獣と戦わせてみれば分かるだろう。……闘技場に連れて行け。私が直々にテストしてやる」
ダルベルト家の私設闘技場では、余興として時折捕獲してきた害獣と傭兵達とを戦わせていた。
「……おい、この前捕まえておいたアレを出せ」
ダリルが、アーガスに言う。
「え……、あれはさすがに……」
「構わん、あんなどこの誰とも知れんガキ一人死んだところでどうとでもなるわ」
――テストという名目で、少年が害獣に食い殺されるところが見たいだけじゃないか。
ダリルの悪趣味さにアーガスは辟易したが、雇い主には何も言えない。
「……運が悪かったな、少年」
一人でぽつんと闘技場に立たされた少年を見ながら、アーガスは呟いた。
闘技場はそこそこの広さがあるとはいえ、逃げ回るのに十分とは言えない。
翠の向かい側の闘技場の壁には大きな鉄格子の扉がある。その向こうに、アーガス達によって捕獲された害獣が繋がれていた。
「……何だあれ」
翠は思わず呟いた。
それは、体長3メートルはある大きな猪のような獣だった。だが、その口は大きく四つに裂け、びっしりと生えた牙が並んでいる。
その口で獲物を骨ごと食らうことから、通称「骨砕き」と呼ばれている害獣だ。
ドラゴンよりは楽な相手とはいえ、今はあの時とは状況が違う。エーテルの供給源がないため、大出力の魔法を瞬時に発動させることはできない。
――小規模の魔法で効率的に倒す方法を考えないと。……いや、そんなに難しく考える必要はないか。要は、足を止めさえすればいいんだ。
鉄格子が開け放たれ、獣を繋いでいた鎖が解き放たれた。
腹をすかせた獣が、翠を獲物として補足する。気味の悪い呻き声を上げ、骨砕きが翠に向かって突進してきた。
周囲で見ていた誰もが、彼の死を確信しただろう。
「……ex……fogo……!!」
勝負は一瞬だった。
骨砕きの右足の一部が爆発し、肉をごっそり抉り取られて巨体がその場に転倒する。起き上がろうとしてもがくが上手くいかず、血を流しながらのたうち回る。
――炎の魔法と、先ほどの空気を圧縮する魔法を合わせた簡単な応用だ。
燃焼させた空気を急激に圧縮すれば、気体が膨張しようとする力によって「爆発」を引き起こすことができる。
「ごめんね……」
こうして獣の動きを止めてできた時間で、翠は周囲の空気中の微量なエーテルをかき集め、吸収する。
――彼らが納得するような、なるべく派手な魔法を見せないと。
燃焼と圧縮、その手順は先ほどと同じ。ただ、その規模を大きくするだけだ。
「……explosion……!!」
ダリル達の見ている目の前で、害獣の体は文字通り爆発四散した。肉や内臓が周囲に飛び散る。
――ああ、またグロいことになってしまった……
「何だ……、何が起こった……!?」
目の前で起こった出来事が信じられず、ダリルは思わず椅子から立ち上がった。
――馬鹿な。あんなに苦労して捕獲した害獣をこんな簡単に……
アーガスも信じられなかった。
爆風に煽られて少年の着ているコートがめくれ上がったその一瞬、彼の背中に白い羽根が生えているのが見えた。
「……おい、俺、あいつ知ってるぞ。この前新聞に載ってた。確かドラゴンを一人で倒したっていう」
傭兵の一人が呟く。
「白き翼の賢者……、あれって作り話じゃなかったのか……!?」
*****
翠の力を見せつけられたダリルは手のひらを返し、翠は無事にダルベルト家で雇ってもらえることになった。
その晩、翠はダルベルト家の近辺でガーネットと落ち合った。
「スイ! そっちは上手くいった?」
「う、うん、何とか……。雇ってもらうことには成功したよ」
「ごめんね、私じゃ顔が知られてる可能性あるから……」
どうやら、オニキスは身分を偽装して旧貴族達のサロンに出入りしているらしい。――これは、カルラが教えてくれた情報だ。エミディオの手の者も、旧貴族達の内偵を行っている。
オニキスの動向を探るため、翠は内部から、ガーネットは外部から情報を探ることにした。害獣の凶暴化も、オニキスの仕業かもしれない。
できれば彼女が何かやらかす前に、何とかアーカーシャの元へ連れ戻したい。それがガーネットの考えだった。
「……オニキスは一体何が目的なんだろう」